2012
年から高齢者向け歌唱教室を始め,歌唱前ウォーミングアップとして体操や発声練習 を試みたところ,楽しむだけでなく学びたい,よりよい声で歌いたいという意欲的な声が挙が った。そのため,歌唱前ウォーミングアップを取り入れることにより,高齢者の歌唱へのモチ ベーションを向上し精神面や身体面に与えるよい影響を分析考察することとした。研究の目的 は次の2点である。1)目的
(1)高齢者への歌唱前ウォーミングアップの方法として,無理のない,効果的と考えられる ウォーミングアップ法を作成する(第4章第1節参照)。
(2)歌唱前ウォーミングアップを含む高齢者を対象とした歌唱プログラム構築に向け,作成 したウォーミングアップ法を3か所の高齢者施設で実践し,効果と改善点を明らかにする。
2)方法
実践は
2012
年5月からA,B,C
の3施設で行い,2014年7月から9月の3ヶ月間に月2 回ずつ,歌唱プログラム実践の様子をビデオ収録した。施設A
は有料老人ホームで参加者は40
名前後,施設B
はグループホームで参加者は9名,施設C
は特別養護老人ホームで参加者は50
名前後である。実施者は,講師1名(筆者)と補助職員1名の計2名である。歌唱前ウォーミングアップは「ゴリラ体操」(腹筋,背筋),「石持ち上げ」(腹筋,背筋,側 筋),「瞬間芸」(腕筋),「グーチョキパー体操」(指筋),「肩甲骨伸ばし」(背筋,腹筋),「首回 し」(首筋),「前ならえ」(腕筋),「ブーメランを使ったストレッチ」,「深呼吸」等,約
10
分の ウォーミングアップで6種類前後を毎回取り入れた。発声練習は「あくびが出るよ アーアー アー」(レガート唱法),「わっはっはっはっはー」(スタッカート唱法),「まみむめもー」(ビブ ラート唱法)の3種類を必ず取り入れるようにした。3)ビデオ分析の結果と考察
施設A 施設B 施設C
体操は,「石持ち上げ」で反応が弱かった こと以外は,全体的に積極的に参加して いた。ウォーミングアップの体操を6種 類以上行ったので,後半には疲れた様子 を見せた人がいた。発声練習は,笑顔を 見せ,生き生きと参加していた。
体操の「肩甲骨伸ばし」「手首 運動」「前ならえ」は,体が思 うように動かない様子であっ た。発声練習では,大きな声を 出して参加することができて いた。
体操の「肩甲骨伸ばし」「手首 運動」「肩の上げ下げ」のよう に,半身不随等の身体が不自 由だと参加しづらい体操は,
参加者が少なかった。発声練 習は,真剣に行っていた。
施設全体:1つの動きを2,3回繰り返すことで,1回目よりも2回目,2回目よりも3回目と参加者の 増加がみられた。動きによっては全員が参加できないものがあるので,今後は全員が参加できるもの,ま たは,できなくても代用できる方法を考える必要がある。「肩の上げ下げ」「肩回し」「深呼吸」「ゴリラ 体操」に関しては,2年以上継続していることもあり,定着している。施設に入居している高齢者は,受動 的で日常的に運動をすることが少ないため,適度な種類のウォーミングアップをするべきだが,どの程度 が適度であるかについては参加者のADLや症状と照らし合わせて検討する必要がある。発声練習は,2年 前(2012年時)と比較すると,最初は緊張や歌う体になっていない等で声の出づらい人が多かったのが,
回を重ねるごとに大きな声になっていった。この変化は,発声練習の目的に繋がると示唆される。
表4-2-1.ビデオ分析の結果(山下,2014)
171
4)まとめ体操は1つの動きを回毎に2,3回繰り返すことで参加者の増加がみられた。発声練習は,
当初,緊張や歌う体になっていないことから声の出づらい参加者が多かったが,回を重ねるご とに大きな声に変化していった。このように,今回の歌唱前ウォーミングアップの実践には,
参加者をより能動的に変化させる効果が観察された。今後は継続して撮影を行い新たなウォー ミングアップを取り入れた歌唱活動による個人の変化を観察していく。また,体操と発声を含 んだウォーミングアップを全ての施設で同時に行うことによってどのような反応の違いがみら れるかを,施設スタッフとともに観察し意見交換することで,高齢者施設の歌唱教室における 歌唱前ウォーミングアップの有効な方法をさらに検討する必要性を再認識した。
2.歌って健康になることをテーマにした歌唱プログラムの実践例
当教室は,
60
歳以上の男女を対象に誰でも参加できる教室として募集を行った。以下に教室 の実践事例を示す。1)目的
高齢者が歌うことで生きがいをもち,生活を歌で活性化していくことを目的とする。
2)対象者
対象者は,カルチャー教室の公募で集まった
60
歳から80
歳の女性15
名であり,5名のみ が職をもっている。3)方法
講座は,1回が
1
時間30
分の講座であり月に2回の実施,実施期間は,2015
年4月から11
月の8か月間であり,全16
回である(本事例調査期間としてこの8ヶ月間で調査したが,その 後も2018
年4月現在まで継続している)。カルチャー教室が前期(4月から9月の6ヶ月間), 後期(10月から3月の6ヶ月間)と分けられているのに準じ,前期を4月から9月,後期を10
月11
月として観察を行った。実施者は講師1名(筆者)である。進行では,講師のピアノ伴 奏,参加者も曲に合わせて道具や楽器をもちいる場合がある。準備物はピアノまたはキーボー ド,楽譜等である。公募内容は「クラシックから歌謡曲,演歌,童謡,唱歌等,よく知ってい る曲を中心に歌います。皆様からのリクエスト曲をお聞きします。また,歌う前のウォーミン グアップでは,準備体操や発声練習を取り入れます。男女問いません。楽しみながら健康に暮 らしたい方,音楽仲間を作りたい方,歌もうまくなりたい方,一緒に歌を歌いましょう!」と 示した。進行内容は,表4-2-2を基本とした。流れ 内容 時間
Ⅰ 導入 ① 軽い話題, 本日のプログラムの説明 3分
Ⅱ ウ ォ ー ミ ン グ アップ
② 体操(肩回し,肩甲骨伸ばし,深呼吸等) 5分
③ 発声練習(ビブラート,ノンビブラートの練習,スタッカート唱 法等)
5分 表4-2-2.カルチャー教室歌唱プログラム(山下,2015)
172
Ⅲ 歌唱 ④ 前半(曲:≪五番街のマリーへ≫≪少年時代≫≪古城≫≪旅愁≫) 30分
⑤ 休憩 ※お話タイム 5-10分
⑥ 後半(曲:≪上を向いて歩こう≫≪いい日旅立ち≫≪月の砂漠≫
≪琵琶湖周航の歌≫)
30分
Ⅳ まとめ ⑦ 最後の歌(≪今日の日はさような≫) 7分
⑧ 今日の振り返り,次回予告 1-5分
4)経過および結果
前期の初回に行ったプログラム終了時,参加者
14
名に対して質問紙調査を実施した。質問内容は,「Q1歌うために何か努力していること,Q2歌うことに関しての目標の有無,Q3 目標の内容」の3点のみである。結果を表4-2-3に示す。
最初の1,2回は講師の年齢が自分達よりも若すぎるということに不安を抱く様子や発言が みられたが,回を重ねるごとにその様子が改善され,参加者が互いに話すようになった。声も 伸び伸びとし,腹式の発声を意識している様子が多くみられるようになった。その後,前期受 講者のほぼ全員が後期の受講を希望し継続した。自らリクエスト曲を出してくる人が増加した。
「毎回楽しみにしている」,「講師のコンサートに行きたい」等の好意的な発言があった。声の 大きさは教室全体に響くようになり,他者に自身の歌声を聞かれることへの羞恥心が減少し,
表情が豊かになった。2015年
12
月からは定期的に懇親会が開催されている。5)考察
現在(2018年5月),カルチャー教室では多様な講座が開設されているが,当カルチャー教 室には筆者が開設するまで音楽系の高齢者限定講座は存在しなかった(現在は多数存在する)。 しかし,回を重ねるごこに参加理由がそれぞれ異なる参加者の関係に一体感が生まれ,新たな 人間関係が形成されていった。また,参加者が意欲的に取り組んでいることの窺える発言や様 子がみられた。その後,本講座は活動場所を変えて継続し,開始から換算して現在まで3年以 上経過した。多少メンバーの入れ替わりはあるものの,講座開設当初からの参加者も在籍して いる。このことから,高齢者の講座への参加意欲が継続していると捉えられる。また,これは 歌唱活動という音楽活動のもつ高次的作用1の働きを通したものや他者との関わりによって生 成される新たな自己の働きによって参加意欲が向上したことを示している。
1 程度や水準が高いこと。
回答
Q1 とくにない,どうしたらよいかわからない,今まではなかったが腹式呼吸に気を付けたい,みんなに ついて行けるように努力したい,思うだけで実行していないので今度早速誘ってもらい参加した Q2 はい9名,いいえ1名,無回答4名
Q3 いろんなジャンルの歌を歌ってみたい,腹から出すようにしたい,孫に子守歌を歌うことがあり,い ろいろと覚えられればと思っている,楽しく歌えればいいと思っている,一人では歌えなくても、大 きな声できれいな声で歌えたらよいと思う,少しでも声がでれば嬉しい,皆と楽しめたら,日常的に 歌を歌ったことがなかったので,これからは歌集を見て少しずつでも歌っていくように頑張りたい,
心身ともに健康になること,高い声が出るようになりたい
表4-2-3.カルチャー教室質問紙調査結果(山下,2015)