第 2 節 生い立ちと経営理念形成過程 (注 186 )
2. 科学的根拠に立脚した事業展開 2-1. 無線設備の装備
造船価格の低廉化と農商務省の新漁場開拓のバックアップなどがあり、1923年にト ロール汽船は制限数の70隻に達した。共同漁業ではその2年前の1921年、民間トロー ル船として初めて宇品丸と武蔵丸に無線電信装置を装備した。『共同漁業第八回営業報 告書』(注203)には、所有トロール船の増加に伴い「當社ハ又漁場ニ於ケル各船相互ノ聯 絡入船ノ按配、市況ノ通信併ニ海難救助ノ目的等ニ使用スル爲無線電信ノ必要ヲ認メ所 有船湊丸外九隻ニ對シ遞信省ヨリ該装置ノ許可ヲ受ケ現ニ武蔵丸、宇品丸ノ弐隻ニ對シ テハ日本無線電信電話株式會社ノ手ニ依リ最新式ノ装置ヲ施シ近ク實用上ノ効果ニ就 キ試驗スルトコロアラントス而シテ其成績如何ニ依リテハ漸次社船全部ニ之レガ設備 ヲ爲サントスルモノナリ」とあり、無線装置設置の目的は所有船同士の連絡と情報収集、
海難救助にあったことが分かる。また「之ガ装置ヲ爲シ試用ニ供シタルカ最初ハ通信技 術ニ熟練セサリシ爲メ多少ノ不便ヲ成シタルモ幾何モナクシテ其効果ヲ顕ハシ各船競 フテ之レカ装置ヲ爲」(注204)したとのことから、共同漁業の無線装備が嚆矢となり、トロ ール船はじめ遠洋漁船を中心に無線装置の搭載が推し進められたことが分かる。
2-2. 最新式漁法の採用
政府規制によるトロール汽船の増強、無線装置搭載、漁船員の習熟度向上などにより、
日本のトロール漁業は総体的に発展の方向にあった。しかし大正末期ころから東海・黄 海に機船底曳網漁業者が多数見られるようになり、トロール漁業の漁獲高に影響を及ぼ した。重ねて戦後不況による需要減と魚価の低下に見舞われるなど、トロール事業者は 決して安泰といえる状況にはなかった。
(注201)共同漁業および関連会社が竣工・進水・取得・庸船などをした船舶数
(注202)農林省水産局(1936、P.6)
(注203)自大正九年七月一日 至大正九年十二月卅一日、P.4
(注204)日本トロール水産組合編(1931、P.23)
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『共同漁業第拾参回営業報告書』(注205)には「機船底曳網漁業其他一般近海漁業ニ依 ル漁獲物ノ出廻ハリ相当多カリシト一面漁場ニ於テ魚族ノ囘游密ナラサリシコトトハ 蓋シ其不振ノ主因ト見做スベキガ如シ」とあり、さらに「近時大型機船底曳網漁船ノ激 増及ビ冷凍運搬船ノ増加等ヨリ魚類ノ供給ハ勢ヒ増スベキ傾向ヲ示シツツアリテ今後 市況ノ著シキ好調ハ多ク望ムベカラサルモノノ如ケレバ此際經營上更ニ一段ノ注意ト 努力トヲ以テ漁業能率ノ増進ト經費ノ節減トヲ圖リ之レニ依テ只管事業成績ノ維持向 上ヲ期センノミ」とし、機船底曳網漁業との競合に警戒感を示している。共同漁業はさ らなるトロール事業の拡充を目指し、漁業技法の向上に力を入れた。
1925(大正14)年末ごろよりV.D.式トロール漁法がイギリスより伝えられた。V.D.
式とはウイグネロンダール会社が特許を持つ漁法で、従来のオッタートロールより網口 が拡張され漁獲量が格段に増大するものであった(注206)。日本の漁業者は競って採用し たものの当初の特許料は船1隻につき年間3,000円の高値であったため、「其負擔輕カ ラス茲に於テ當業者ハ夫々工夫ヲ凝シテ有効ナル漁法ヲ案出シ之ヲ以テ右VD式ノ使用 ニ換ヘ遂ニVD式ノ使用ヲ見サルニ至」(注207)ったとされる。そうした状況下、共同漁
業は1925年にV.D.式を所有船に順次採用し、特にタイやチダイ、レンコダイなどの優
良魚種の漁獲量の増大を実現した。かつ漁獲物の鮮度が従来法よりも優良であるなどの 効果を上げ、1926年に全所有船に搭載した(注208)。
2-3. 研究機関・早鞆水産研究会の創設
合理化と近代化のために研究・開発の重要性を國司は早くから認識しており、それが 國司の発案によって設立されたとされる(注209)早靹水産研究所会の創設につながった。
1920 年のことであり、日本で最初の民間研究機関(注210)であった。國司はここで漁場 の調査ならびに魚類の研究、水産物製造、冷蔵法、漁具および漁法、造船および諸機械 器具、内外水産に関する諸調査など、水産に関する研究を広く行うこととした。
『早鞆水産研究所要録』の「緒言」には、汽船底曳網漁業やトロール漁業などの大規 模沖合・遠洋漁業が著しい発展を遂げる上で企業の工業化および経営の合理化が必要で あり、それには科学の力が不可欠であるとした上で、早鞆水産研究所の創立について「當 時のトロール漁船の根遽地、下関市にその研究室を設けて水産に關する基礎的、應用的 方面の研究を行ふことにしたのも、畢竟水産業を科學的に研究して、それを合理的に發 達せしめ、以て時勢に順應せんことを企圖したのに外ならぬのである」(注211)とある。
これは「『事業成功の要は時勢に順應して業界の適者たるにあり』てふ真理を信じ、之
(注205)自大正拾弐年壱月壱日 至仝年六月参拾日、P.6
(注206)トロール水産組合(1931、P.27)
(注207)同上(P.P.27-28)
(注208)『共同漁業第壱拾九回営業報告書』(自大正拾五年壱月壱日 至同年六月参拾日、
P.6)
(注209)藤田 他(1989、P.3)
(注210)日本水産(2011b、P.23)
(注211)日産水産研究所(1935、P.1)
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を逐ふ者は必ず救はるべしと云ふ固き信念に立脚」(注212)し、合理化と近代化を推進す べしという國司の考えと一致している。
早鞆水産研究所は生物部においてトロール漁場の調査を行った。その一つが渤海湾お よび黄海北部の調査である。同海域はタイやグチ、ヒラメなどの底魚およびエビ類の漁 場として年々出漁船数が増加傾向にあったが、科学的調査はされておらず、早鞆水産研 究所が海洋および生物に関する調査を行った上で試験機関とともに大規模調査を行っ た。その際トロール船6隻をもって試験操業を行い、同海域におけるトロール漁業の指 針を確立した。支那東海及び黄海南部の調査も行った。特に市場価値の高いタイ類を中 心に生態面での研究を行い、産卵場、生育場とその間の移動について究明した。また台 湾総督府調査船照南丸が南支那海、シャム湾、マラッカ海峡、ジャワ海の調査を行う際 に、早鞆水産研究所員が便乗して調査を行った。同海域はトロール漁場としての価値は 認められなかったものの、沿岸漁業として好漁場であるとの結果を得、関係会社に情報 提供した。政府は新漁場開発に協力姿勢を示し、1924 年に汽船トロール漁業取締規制 を改正した。内地近海東海黄海以外での操業について、70隻の船数制限とは別に許可す るとの内容であった。
2-4. ディーゼル・トロール船の採用
漁場の遠隔化が進むにつれ貯蔵の問題が浮上したため、國司はディーゼル・エンジン 付トロール船の研究を進め、1927年に世界初となるディーゼル・トロール船「釧路丸」
を進水させた。釧路丸は総トン数約312トンを誇り、航続力40日を実現させた。仲谷
(1950、P.34)によれば、日本における漁船用ディーゼル機関の創始は1920年に完成 した100馬力のディーゼル機関で、静岡県の鰹鮪漁船に据え付けられた。仲谷が新潟鉄 鋼所において設計したものであり、以降、その他のメーカーもディーゼル機関の製造に 乗り出したという。仲谷はさらに「昭和のはじめに大型トロール船のディーゼル化をイ ギリスより早く実現した。この機関は筆者がスウエーデンのノーベル社から特許権を買 う交渉にあたりニイガタ・ノーベル・デイーゼルとよんだものであった。 この大型ト ロール船は 600~1000 馬力の 2サイクル機関を据付け東洋はもちろんメキシコや南米 にまで出漁したものであった」と記している。ここには具体的な船名は記載されていな いが、1927 年に進水した釧路丸であることはほぼ間違いないであろう。共同漁業にお いてディーゼル・トロール船を実用化したのは、早鞆水産研究所の漁船部であった。漁 船部では専門家を招へいして航続能力の伸長を中心に研究を行った。その成果の一つと して、トロール船へのディーゼル機関採用をもって業界に新機軸を提示したのである。
なお釧路丸の企画は國司であったとされる(注213)。トロール漁業の先進国・イギリスで 学んだ國司が日本でトロール漁業を発展させ、イギリスに先駆けてディーゼル・トロー ル船で操業を行ったことは、一面において日本のトロール漁業が国際的に高い水準に達 したものとみなすことができる。
ディーゼル・トロール船はトロール事業の拡充に大きな力を発揮した。國司はトロー
(注212)國司(1930a、P.218)
(注213)藤田 他(1989、P.148)
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ル漁業の行き詰まりの打開策として、そして将来に向けての拡大策として、操業区域を それまでの内地近海・支那東海・黄海から、南支那海およびベーリング海へと拡張した。
1927 年にトロール漁業の前進根拠地として台湾の基隆および高雄に設備を設け、蓬莱 水産株式会社と連携して準備を進めた。翌 1928年にトロール漁業の試験操業を行い、
南進計画の第一歩を印した(注214)。また1930年に南支那海の新たな漁場開発のためにデ ィーゼル・トロール漁船を派遣して、同方面の漁場における大型トロール漁船の有効性 を確認した(注215)。
『汽船「トロール」漁業ノ現況(昭和十一年三月)』(注216)には当時のディーゼル・エ ンジン付き 300 トン級のトロール船の性能と活用状況について、「建造費ハ約二十二、
三萬圓ヲ要シ續航力約四十日間ニ堪フルベク能ク二百尋ノ深海ニ作業シ其ノ船型モ亦 南支那海及「ベーリング」海ノ遠距離漁場ニ出漁スルニ適ス又眞空管式無線電信ニシテ 優ニ一千浬ノ通信能力アリ又漁艙ハ從來ノ空氣冷却法ノミニ依ラズ豫備冷却トシテ先 ヅ冷却シタル海水中ニ漁獲直後ノ魚類ヲ浸シ約三時間ニテ漁体ノ温度ヲ●氏零度ニ引 下ゲコレヲ空氣冷却シタル漁艙内ニ其ノ温度ヲ保タシメ冷藏スル海水冷却法ヲモ併用 シ益々海外漁場ヘノ進出ヲ計リ小型「スチーム」船ニ代リ船形ハ益々大型「四百七拾噸」
且「デーゼル」五〇〇馬力ノ機関ヲ具ヘ五十日以上ノ續航力ヲ利用シ南支那海中安南海 彎ニ進出シテ以来同方面ニハ斯種「トロール」汽船ノ増加ヲ見」たとある。さらに 1931 年発行の『本邦トロール漁業小史』(注217)には、「最近ノ建造ニ係ル六隻ハ約五十五日以 上一萬四千浬ノ續航力ヲ有シ其船型モ亦南支那海及ベーリング海ノ遠距離出漁ニ適ス ルモノニシテ無線電信ハヴァルブ式ニシテ優ニ一千浬ノ通信能力ヲ有シ漁船ハ從來ノ トロール船ニ比シ約三倍ノ包容力ヲ有シ其船價一隻當約三十一萬圓ヲ要シタリ此等ノ 船ハ特ニ冷蔵装置ニ最モ意ヲ用ヒ間接鹹水船内急速冷凍装置ヲ設備シ其ノ成績大ニ見 ルヘキモノアリテ茲ニトロール漁船漁獲物保存上ニ一新紀元ヲ劃セリ尚ホオイルバナ アニ依ルトロール船慶南丸及第百國際丸の出現ヲ見タリ」とある。慶南丸は共同漁業が 1928 年に許可を受けた船であり、第百國際丸は 1930 年に國際工船漁業株式會社が許可 を受けた船である(注218)。
ちなみに 1931 年 1 月末現在の機船トロール業者所属トロール汽船は総数 72 隻で、う ち共同漁業船籍船は 49 隻であった。また 72 隻中総トン数 300 トンを超えるものは 14 隻で、うち 13 隻は共同漁業所有船である(注219)。さらに 1936 年 1 月 1 日現在の数字を 見ると、総数 77 隻中共同漁業船籍船は 44 隻、総トン数 300 トンを超えるもの 22 隻中 16 隻が共同漁業所有船であった(注220)。
(注214)『共同漁業第弐拾弐回営業報告書』(自昭和参年壱月壱日 至昭和参年六月参拾日、
P.11)
(注215)『共同漁業第弐拾八回営業報告書』(自昭和五年七月一日 至昭和五年拾弐月参拾 壱日P.P.5-6)
(注216)農林省水産局(1936、P.P.8-9)
(注217)日本トロール水産組合編(1931、P.P.26-27)
(注218)許可年は日本トロール水産組合(1931、参考統計表P.6)による
(注219)日本トロール水産組合(1931、参考統計表P.P.3-6)
(注220)農商務省水産局(1936、P.P.18-24)