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教育年限および教育科目

ドキュメント内 著者別名 SHIMAZU Atsuko (ページ 49-56)

第 2 章 水産講習所が水産業に及ぼした影響

第 3 節 教育体制と教育内容

2. 教育年限および教育科目

2-1. 水産伝習所における教育内容の変遷

水産伝習所設立当初、すなわち1889(明治22)年1月において修養年限は1年とさ れた。早期に実業従事者を養成するとの設立趣旨に基づいた結果と考えられる。1 年間 を4期に分け、最初の1期を予科と称して水産物の大別、水産製造法、漁撈大意、化学 大意、地文学大意、企業学大意の一般常識を教えた。続く 2~4 期を本科と称し、製造 科、蕃殖科、漁撈科に分けて専門科目に重点をおいた科目構成とした。生徒は全科生と 現業生に分け、全科生は予科・本科を修め、現業生は各科を修めることが困難な者に限 って本科の現業のみを伝習することとした。全科生の毎年1回の募集に対し現業生は便 宜募集としていることから、「実業に即す」という設立目的に立脚した措置と思われる。

修養年限は間もなく長期化の方向をたどり、1889年11月に早くも規則改正を行って 予科6カ月、本科1年の合計1年半となった。一回目の入学生の年齢や経歴はまちまち で、学力の程度は総じて低く(注55)、それを是正するために6カ月の予科を設けたもので ある。さらに現業専科を新設して、卒業後に製造科・蕃殖科について各々8科目を設け て実業家について実習させた。初年度は約8カ月の間に3回の実習を行い、現業実習と いう新たな試みを展開した。

続いて1891年1月に修養年限を正式に1年半とし、予科と本科の一貫した教育課程 を編成した。予科を正科・副科に分け、正科を水産大意・動物学・植物学・理学・化学 とし、副科を数学・英学・画学とした。さらに傍聴生の制度を設け、希望する科目の傍 聴を認めた。

続いて1891年6月、生徒を1年生・2年生に分け、2カ年をもって卒業の要件とし た。卒業後に実施していた実習を本科に加え、修養年限を2年に改めたものである。毎 夏に約50日の実習を行い、実理重視がさらに進められた。

1893年5月に農商務省より生徒養成費が交付されると、翌年に規則を改正して 1年 の実習科を増設して修養年限を3年に延長した。第3学年において徹底した実習主体の 教育課程を組んだものである。1895年9月、第9回生が第3学年に進級するに際して 実習科の始業式を行った。実習に重きを置く教育は水産講習所にも引き継がれた。

(注54)松原(1890、P.P.494-495)

(注55)東京水産大学創立七十周年記念会(1961、P.45)

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2-2. 水産講習所における教育内容の変遷

水産講習所では、以下の4つのタイミングで教育内容の大幅な見直しが行われた。

①1898(明治31)年:水産伝習所時代の教育内容をほぼ踏襲

②1900(明治33)年:理論より応用の充実を中心に科目の見直し

③1911(明治44)年:学理重視へのシフト

④1922(大正11)年:水産講習所充実案に伴う大改正 この4つの時期を中心に教育内容の変遷をみていく。

1897(明治30)年3月、勅令第47号をもって官制水産講習所が設立されると、学科

は講習科・現業科・研究科となった。講習科の入学資格は尋常中学第3学年級卒業程度 で、修養年限は3年であった。履修科目構成は、1・2年が共通科目、3年で漁撈、製造、

養殖に分かれて実習主体の専修科目を履修するというもので、水産伝習所時代の形式を ほぼ踏襲した。現業科は実業者もしくはその子弟のために設けられ、受験資格は 20 歳 以上でかつ水産業に2年以上従事した者、修養年限は1年以内とされた。研究科は卒業 生を対象に、特定の科目についてなお深い研究を要望する者に対して設けられた。修養 年限は1年以内であったが、翌年6月に3年以内となった。 1899年1月、文部省は 講習科を官立中学校と同等以上のものと認定した。翌 1900年に早くも水産講習所の体 制が大きく変わる。まず講習科を本科とし、入学資格を中学校卒業程度とした。本科の 修養年限は3年と変わりはなかったが、入学時から漁撈、製造、養殖に分け、それぞれ 初年度より実習科目が取り入れられた。実習については漁撈科は乗船実習、製造科は小 田原の実習所において食用品、肥料、工用品、薬用品製造などの所外実習が行われ、養 殖科も所外実習として淡水養殖、鹹水養殖、発生学実験・解剖実験などが行われた。影 山(1990、P.29)は入学時から3科に分けて初年度より実習を取り入れたことについて、

「実習本位の教育が行われるように改められており、これもわが国水産業の進展に対応 した動きを示すものであった」としている。現業科の修養年限は1年以内、研究科は3 年以内に延長された。現業科について影山(1990、P.33)は、年齢満二十歳以上、2年 以上の水産業従事経験などの入学資格および 1 年以内の修養年限に言及し、「要は水産 業に従事しているか、もしくはその子弟に対し短期間に速成で水産技術の伝習を行い、

即戦力のある人材を育てることが主たる目的であった」としている。それと前後し、1898 年より遠洋漁業練習生を採用した。水産伝習所および水産講習所の卒業生、もしくは同 等以上の学術技能を持つ者を対象とし、修養年限は3年(時宜により伸縮の可能性あり)

とされた。1900年に遠洋漁業練習科を設置し、遠洋漁業練習生は当科に所属となった。

政府の遠洋漁業奨励策に連動した動きと考えられる。

やがて水産学分野での学理研究に対する世論の関心が強くなり始めた。その背景には、

日露戦争後の北洋権益拡大に伴う水産技術の高度化への要求があった。それは水産教育 における学理充実への要望の高まりとも捉えられ、その影響は水産講習所にももたらさ れた。規則改正とともに基礎学科の充実と実地授業の後退が見られるようになった(注56)

1903 年に所長に就任した松原は実業従事者輩出に重きを置いていたことは事実であ

(注56)東京水産大学百年史編集委員会(1989、P.95)

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るが、学理をないがしろにしていたわけではない。1897 年に水産講習所が水産科教員 の養成を文部省より委託されたとき、その始業に当たって松原は概ね次のような訓示を 行った。「元来本所の教育目標の一部は将来水産に関し深遠な学理を究める人物を養成 するのであるが、優秀な学究的の者の外に、一般的には水産技術に熟練した人物の養成 に努めておる。従つてこの度水産教育家を養成するということは仲々困難な事である。

目下日本の水産業はまだまだ低調であり、水産がどの位邦家に利益しているか、水産の 将来はどうであるかということを考える人は甚だ稀で、一般世間から賤しまれ劣等の待 遇を受けておる。これは旧来の慣習だけを墨守し、学理を応用することが全く無いから である。故に水産学校の若い子弟から学理を教えてゆくより外、道がない。諸君はこの 重責を負つていることを認識し、十分な修業を積まれるように望む。諸君は一年間に漁 撈、製造、養殖にわたつて学ぶのであるから容易ではない。夏期は凡て地方実習に当て るから了承されたい。何卒入学された以上初志をつらぬいて水産教員の使命を体し、十 分勉学あらんことを切望する」(注57)。学理が水産の発展に欠かせないものであることを 示し、学理を教えられる人材養成の重要性を示す一方で、水産技術熟練者の養成に努め る傍らで学理に通じた人材を養成する困難性もほのめかしており、良策が見いだせない 中で微妙な立場であったようにも受け取れる。

次に教育内容に大きな変更があったのは、下啓助が第 2 代専任所長に就任した 1911 年である。入学資格を中学校卒業者もしくは専門学校入学者検定に合格した者、および 府県立水産学校本科卒業者に限定した。また履修内容を大幅に変更し、物理および普通 動植物、数学などの基礎学科を加えた。これは学理重視へのシフトと考えられる。

次の大幅改正は、第3代専任所長・伊谷の時代である。水産講習所は1922(大正11)

年に水産講習所充実案が可決され、予算 50 万円が支給されることになった。ここにお いて修業年限は本科4年、遠洋漁業科3年(所長権限で1年以内の伸縮あり)、研究科3 年以内、別科1年(所長権限で1年以内の伸縮あり)となった。入学資格は中学四年修 了以上または甲種水産学校卒業もしくはそれに準ずる者とされた。なお、『東京水産大 学百年史』によれば「改革の目的は「本所の教育目的である水産界の実践的指導者を養 成する校風を堅持しつつ、可能な限り基礎学科の向上充実を図る」という、いわば実学 教育の学術的醇化であった」(注58)。それが基礎科目、専門科目共に増加・充実という形 で実現した。ここにも実理路線を見直す動きが見える。

1922年の大改正の発端は、教科内容の充実を求めた学生運動にある。1919年に総決 起大会を開催し、在学生のみならず在京の卒業生の出席を得ると同時に、学校側から世 話人兼指導員として製造科助教授が選ばれるなど、活発な運動が展開された。当時所長 であった伊谷はその動きを適切に導き、産学官の要職に就いて活躍する卒業生の協力を 得、当局に陳情を行い、それが結果として水産講習所充実費 50 万円の計上につながっ た。伊谷は水産伝習所第一回卒業生であり、自身も技師として製造の実理・実学を指導 してきた立場から実理派の急先鋒と考えられがちであるが、『楽水』の伊谷への追悼文

(注57)東京水産大学創立七十周年記念会(1961、P.39)

(注58)東京水産大学百年史編集委員会(1989、P.42)

ドキュメント内 著者別名 SHIMAZU Atsuko (ページ 49-56)