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創業企業家の成功要因

ドキュメント内 著者別名 SHIMAZU Atsuko (ページ 188-196)

第 4 章 高碕、國司、中島の企業家活動にみる成功の要因

第 2 節 社会的環境下での主体性の発揮と貫徹

5. 創業企業家の成功要因

3人の企業家活動を見ると、戦前期企業家特有の思考と行動を備えていたことが分か る。3人が企業したのはナショナリズムに突き動かされてのことであった。その他の要 因もあったが、明治中期に生まれ明治後期に水産講習所に学んだ3人にとって、ナショ ナリズムの影響は相当大きかったと考えられる。3人に共通したナショナリズムの発現 は水産業の振興を通した富国であった。事業経営においては幼少期の教育や経験、ある いは水産講習所での教えや伊谷からの影響によって身に付いた道義的理念と自律心に 沿い、率先垂範で清廉経営を実践した。事業遂行に当たっては合理主義に基づいて継続 的向上を指向し、理念共有を重要視して経営家族主義を展開した。つまり3人は第1部 第1章にみた戦前期の多くの企業家と同じような特質を備え、一般的な企業家としての 側面を有していたということになる。

にもかかわらず3人が成功者となるべく主な要因はどこにあったのであろうか。その 一つは水産講習所に学び、水産業で起業したことにあると考える。水産業は他産業に比 して遅れをとっていたが故に、政府は遠洋漁業推進策を主軸とする勧業政策を急ピッチ で進めた。水産企業家のナショナリズムと企業への意欲はより強烈なものとなり、水産 講習所で学ぶ生徒たちのナショナリズムと企業家精神は高揚した。将来の国益を双肩に 担うとの自意識、それに伴う道義心と矜持に基づく高い人格を備えるべしとの自覚が促 され、そうした環境の中で3人は海外留学を経て自らの進むべき道を定めた。

その道は水産講習所に学ぶ他の生徒にも選択する可能性が開けていたという意味に おいては、3 人に偶発的にもたらされた一面もあったということができるが、3 人がそ の道を極めたことを踏まえると、堅固な意志で選択したとみることができる。高碕は缶 詰業者の利を考えて製缶業の近代化に注力し、缶型の規格化・標準化を遂行し、垂直統 合をもって原料生産や機械生産にまで着手する。缶詰業者と共に缶詰需要創出に意を注 ぎ、製缶業界のリーディングカンパニーとして缶詰業界に欠くべからず存在となった。

國司がトロール漁業に参入したのは後発であったが、水産業進展を見通した事業展開は トロール事業を確立させたのみならず、世界をリードするレベルにまで進化させた。そ れを皮切りに遠洋漁業を促進させ、「世界の漁場から食卓へ」の具現化による福祉の提 供を期し、日本を代表する総合水産業態を確立させた。中島は食に携わる者として品質 をベースにした信頼の構築に徹し、安心・安全でおいしい「食」の提供を日々追求し、

マヨネーズを日本の食文化として定着させた。製缶専業企業の構築、総合水産業態の確 立、新たな食文化の定着は、それぞれの道における革新であった。3人は水産講習所を 通じて進むべき方向性を腹を据えて定め、ぞれぞれの道において起業した後も揺らぐこ となく突き進み、革新を生み出したのである。

3人が目指した水産業の近代化は一面遠大なものであったが、具体的に目指したのは

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詰まるところ「高品質低価格品の適正供給」であった。それを目標に合理主義や経営家 族主義をもって事業経営を遂行した。そのバックボーンには利他の精神があった。需要 家や消費者の利、つまり他者の利を徹底して考えた結果、「高品質低価格品の適正供給」

を追求し続けることになったのである。顧客となる需要家や消費者に利をもたらす事業 展開をするに当たり、3人は共に「利益は結果であって目的ではない」との考えの下に、

経営理念を見失うことなく設立趣意に沿って企業家活動を行った。そこには献身的な側 面もあったが、決して慈善事業を指向していたわけではなく、産業や経済の発展を通し ての社会貢献と富国を意識していた。他者の利を考え、他者の利のために働くことが産 業発展につながり、結果としてその利が自社に返ってくることを期していた。自社に返 ってきた利を再び他者の利のために活用し、他者の利のための事業展開をし、それを繰 り返すことでプラスのスパイラルをつくり上げたものと考える。その姿勢をいついかな るときも崩すことのないよう自身を支える柱としていたのは、道義的理念に基づく強い 自律心の発揮であった。それは清廉経営の実践となった。

道義的理念に基づく強い自律心の発揮も3人の成功要因の一つと考える。産業の近代 化が進むに従って合理主義が台頭してくると、それまで多くの企業家の理念を支えたナ ショナリズムや道義的理念が薄れ、極端な例では利益至上主義に走る事業者も出現する ようになった。一方でナショナリズムや道義的理念を確固として保ちつつ合理化に注力 した企業家もおり、3 人はまさしくそうした企業家に属していたといえる。3 人は道義 的理念から逸脱することがないよう、思考においても行動においても自律の姿勢を崩さ なかった。

3人は自律心を、いかなる状況にあっても意志貫徹するための推進力、行動力につな げた。高碕の率直な言動には賛否両論あったようであるが、それは自己と他者にとって 最高の結果をもたらすには何が必要かという物事の本質を見極めた結果であった。例え ば戦後政治家として日中国交に奔走していたころ、時の中国の首相、周恩来に対して「私 はアメリカと仲好くしながら中国とも仲好くさせてもらいたい。それをあなたが受けて くれるなら、私は責任をもって中国と取引をする」と言った。冷戦時代にあった当時こ のような言動は言語道断であったが、周恩来は「中国に来てあなたのように率直にもの を言った人はいない」と言って高碕を高く評価したという(注301)。こうした行動は寸分 の私心もなかったからこその言動であろう。中島は高碕について「高碕さんが自分の損 得、自分の利益ということを考えずに、その問題をどうすることが本当か、どうするの が適当だというような立場でそのことをお考えになり、判断なさり、それについての自 分の都合とか、自分の利害とかいうような点を、さらさら念頭におもちにならない」(注302)

と述懐している。國司も総合水産業態を構築する過程で積極的にM&Aを行ったり、理 想の漁港のあり方を求めて戸畑に移転したりなど、周辺との軋轢を生じる行動が少なか らずあった。あるいは水産流通に対する批評、行政に対する批評、業界に対する批評な どを積極的に行い、その内容は極めて率直であった。國司をそうした行動に駆り立てた のは、純粋に日本の水産業の進展を期した故のことであったが、共同漁業への資本集中

(注301)高清会(1985、P.P.59-60)

(注302)日本缶詰協会(1964、P.13)

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のみを企ててのことと捉えられる向きもあったと考えられる。しかし井野硯哉(注303

「民間に育つた人間で、凡ゆる問題に直面した時、國司君ほど先づ以て國家的見地から 判斷する人は珍らしい存在であつた」(注304との國司評が示すように、國司も私欲とは 縁のない性格であった。中島は戦後復興過程で、同志との決別を招きながらも闇商売と は一切関わらないという道義的理念に基づく判断を行った。人格と信用を重視して名刺 に肩書を入れず、1970年の上場に際して総会屋との関係を一切断ち切って実行し、1973 年の原料油毒性物混入疑惑発覚時には監督官庁の指導よりも消費者の安全と安心を優 先した。このようなキユーピーにおけるエポックメーキングとなった中島の経営判断を みると、柔軟性に欠ける独善的行動と受け止められる局面もあった。しかし他者、それ も常に自分からより遠い立場にある者を利する姿勢が清廉の証になったものと考える。

3 人いずれも自己の経営理念に忠実であるがための強い意志と実行力を持っていたこと を示すものである。逆境の中にあっても意志貫徹できたのは、自律心に沿った思考と行 動が私心なきことを周囲に認めさせたからである。

また、自律心は3人の共通項である継続的向上、あるいは理念共有を支えるものでも ある。経営者が率先して向上の姿勢を見せなければ従業員も向上の姿勢を持つことは難 しく、その先にある革新を創出するには至らないであろう。従業員はじめ周囲に範を見 せるには自己を律する厳しさが必要となる。理念共有にも同じことがいえる。理念を提 唱する企業家自身が理念に忠実であり、しかも高い人格を備えていなければ従業員を理 念に沿って動かすことはできない。桑田(1942、P.321)は國司のことを「大事業をな さんとする者は、須らく凡俗の人間慾に打ち克つ位の氣槪を持つてゐなければならぬと 云ふのが、氏の信絛だつた」と記しているが、國司のこの信条はまさしく企業家にとっ ての自律心の重要性を示している。中島が口にした「会社は、社長の人格以上の会社に はならない」(注305、あるいは高碕が心していた「人に憎まれようが生命を捨てようがか まわずに情熱を傾け」ての無償の精神も然りである。

3人は自己を厳しく律すると同時に他者の利を優先することを貫き、目先の利益に捕 らわれることのない長期的展望を可能にした。殊に自社利益に反する判断を迫られた場 合、経営者として信念を貫徹することが困難な局面に立つことになる。社内外から賛否 両論が湧き上がる中で自らの信念を通すことは誰にもできることではない。3人をして それを可能としたのは、3 人の理念および目標に対する固執ともいうべき執着心と徹底 ぶりである。それは道義的理念から発するところの自律心の強さに起因しており、他者 を利することを信念としていたことが彼らの正しさの証となったものと考える。それが 経営判断の誤りを最小限に抑えることにつながったのではないだろうか。3人のこうし た思考と行動を今一度見返すと、伊谷が事あるごとに師弟に語ったとされる、「凡そ仕 事をなさむとする者は、苟も私心のあつてはならぬ。また事業の效果を多少なりとも自 分におさめむとしてはならぬ。ただ正義より出發せる美しき犠牲心の發露よりの計畫で、

事の始より終までをよくよく見極め、彊き信念と熱と努力とが事業成功の秘訣である。

(注303)井野硯哉は國司の死後日本水産の専務取締役を務め、1940年に退任して翌年農 林大臣に就任

(注304)桑田(1938、P.P.89-90)

(注305)藤田(1997、P.45)

ドキュメント内 著者別名 SHIMAZU Atsuko (ページ 188-196)