第 2 章 水産講習所が水産業に及ぼした影響
第 5 節 人材供給と企業家輩出
4. 小括
水産伝習所が設立された5年後の1894年に日清戦争が開戦となった。続いて遠洋漁 業奨励法が1897 年に公布される。その翌年、水産伝習所は水産講習所に引き継がれ、
農商務省所管となった。遠洋漁業奨励法によって遠洋漁業が活発化し外国船籍の締め出 しに成功すると、1905 年に改正を行い、奨励金交付対象漁船を小型化することで遠洋 漁業の拡充を促進した。同時に船舶の動力化が進み、ディーゼル・エンジン搭載による 航続距離の伸長が実現した。
さらに法改正前年の1904 年に日露戦争が勃発すると、軍用缶詰製造の拡大に貢献す べく水産講習所は製造科の生徒を総動員し製造に従事した。同時に缶詰製造会社も大幅 に増加した。法改正のその年に日露講和条約が調印されると、日本は露領沿岸における 漁業権を獲得し、露領へ水産会社が進出し始めた(注81)。
漁労技術の向上と漁場開拓も進められ、明治末期から大正初期にかけてトロール漁業 に参入する船舶が急増した。同じく明治末期に次々と事業者が参入したのが捕鯨業であ る。大正期には母船式さけ・ます漁業、母船式かに漁業など、外洋における漁業も進展 した。新たに確立された新技術の下に利益創出の見通しが立つと事業者がどんどん参入 して瞬く間に漁場を荒らし、その果てに事業者の淘汰、再編が行われるという状況が散 見された。遠洋漁業にはそれなりの規模の船舶が必要となる上に人材も確保しなければ ならず、漁労技術の向上に合わせ漁船の性能・能力の改良にも対応しなければならなか った。ひいては事業者の統廃合による資本集中が進み、必然的に大資本会社の勃興につ ながった。
こうした水産業の動きを図 4 に示した漁獲高の推移に照らしてみると、1908 年を底 に漁獲高が大幅に伸び、併せて遠洋・外洋の漁獲高も伸長傾向を示している。これは遠 洋漁業奨励法改正、露領における漁業権獲得などを経て遠洋漁業が活性化したこと、ひ いては資本の集中が進み始めたことと連動している。
(注81)本研究における露領漁業は三島(1972、P.2)の定義に沿い、ロシア極東地方の 沿岸一帯で行われた漁業の総称で、朝鮮とロシア国境である豆満江以北の日本海、オホー ツク海、ベーリング海にわたる沿岸で営まれたものとする
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図 4 漁業部門別漁獲高推移
水産講習所の就職状況は、新規参入事業者が急増した明治期後半には会社就職者が増 え、大正期の大資本の出現に伴って実業従事者、会社就職者共に増加している。水産業 の動向に連動し、水産講習所は適宜業界の人材需要に応えていたものと考えられる。
おわりに~水産界を先導する人材の供給
本章では、第1節において明治期の水産業、水産行政、水産教育の実態を明らかにし、
水産伝習所設立に至る時代背景を示した。そこから判明したことは、明治政府は勧業政 策を展開したが水産業については当初関心が払われず、他産業に比して大きく出遅れた ことである。国際的に見ても日本の水産業は遅れを取っているという事実は万国博覧会 などを通してようやく知られるところとなり、海外においてその危機的実態を肌で感じ た官吏たちは、輸出品としての水産品製造の重要性、海軍軍備増強の必要性、食糧問題 への対処の緊急性などを主張し、水産業振興を声高に叫び始めた。
それが引き金となり、大日本水産会の創設を経て水産伝習所が設立となる。第2節で は水産伝習所の創設に中心となって関与した官吏たちが率先して農商務省に働き掛け、
水産行政の推進を図るとともに自ら農商務省で腕を振るい、ひいては水産伝習所が水産 行政と深く関わることとなったことを論述した。
水産伝習所は地方の実業従事者の育成に大きく貢献した。農商務省は漁業者育成に力 を注ぐこととし、水産伝習所を発展的に解消して官立の水産講習所を設立する。時期を 同じくして日露戦争の勃発と勝利により保存食としての水産加工品の重要性が認識さ
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れ、さらに露領海域における日本漁船の操業が可能になったことから、日本の水産業は 発展の糸口を掴む。政府は遠洋漁業奨励法および旧漁業法を制定して水産業振興に力を 入れた。水産講習所は一連の水産政策に歩調を合わせ、遠洋漁業従事者および先導者の 育成を推進すべく歴代所長は改革に努め、事業化支援に力を入れて水産業振興に大きく 貢献した。
第3節においては、水産講習所の教育内容、指導教員の状況について時代を追って確 認した。水産講習所の設立趣旨の柱の一つは実業従事者の育成にあり、学理よりも実理 中心の教育を展開した。教育科目を細分化すると同時に実験・実習時間を増やしたが、
歴代所長が学理を疎かにしていたわけではない。学理の重要性を認識し学理科目の充実 に着手しながらも、水産講習所は実理中心の教育を展開するという方針を貫き、その結 果水産企業家輩出と事業化に大きく貢献した。
第4節においては、水産講習所が水産実業従事者育成のための伝習機関としての役割 と並行し、水産試験・調査機関としての役割も果たしたことに着目した。水産試験・調 査は水産業の発達に寄与すべきものとして位置付けられ、地方水産講習所や水産試験場、
民間からの問い合わせにも応え、水産事業化支援に貢献した。
第5節では卒業生の就職動向に焦点を当てた。卒業生の就職先をみると、時代を追う につれて会社勤務者が増加したことが分かった。日清・日露戦争に伴う水産製造品増産 奨励、遠洋漁業奨励策などに伴う人材需要に合わせて、水産講習所の人材育成が行われ た結果と考えられる。同時に遠洋漁業の勃興とともに設立された多数の大資本会社が、
広く人材を必要とした結果でもあった。また、日本で唯一の水産専門学校生としての誇 り、国策としての水産業振興に貢献しようとの気概が企業家精神を醸成し、越中島精神 によって同窓生の強力な結び付きを生んだことにも言及した。
水産伝習所は設立時から、遅れがちであった農商務省の水産行政を鼓舞してきたこと を考えれば、水産伝習所および水産講習所の存在が明治~大正期の水産業振興の流れを 作り出す一助となったということができる。そうした流れに合わせ、伝習部において実 理路線を中心に実業に直結する人材の輩出を促し、さらに試験・調査部において事業化 支援を推進し、その両方に傾注してきたことが水産講習所の大きな価値であったと考え る。
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≪第1部 第2章 参考文献≫
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・岡本信男(1984)『日本漁業通史』水産社
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・影山昇(1988)「寺田寅彦と水産講習所」『東京水産大学論集』東京水産大学、第 24 号
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・桑田透一(1940)『海の先覺者 藤川三渓傳』水産社
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・佐々木貴文・宮澤晴彦(2009)「日本経済史における農商務省の位置と役割に関する 一考察―府県水産試験場および講習所の設立に着目して―」『北日本漁業』第37号