第Ⅲ章 希望開発としての平和構築学[児玉克哉]
2. 希望を妨げる暴力
平和学の第一人者といえるヨハン・ガルトゥングによれば、暴力には、直接的暴力、構 造的暴力、文化的暴力があるという。1
1 『ガルトゥングの平和理論』ガルトゥング、法律文化社、2006 年を参照。
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2.1 直接的暴力
直接的暴力は暴力の行使者が明確で、正当性と合法性を欠いて用いられる物理的強制力 である。狭義の暴力といえ、物理的・肉体的に行使され、対象となる個人や集団に身体的 な苦痛を与えたり、自由や生命を奪うこともある。この直接的暴力も時代とともにさらに 凶暴化し、多くの人の希望を喪失させている。
人間の歴史は戦争の歴史といわれるほど、人類史は戦争に満ち満ちている。しかし、戦 争に使用される兵器に注目してみるとその殺傷力において、劇的ともいえるほどの大きな 変化があることがわかる。特に核兵器の開発はそれまでの「直接的暴力」の概念を大きく 変えるものであった。その後の戦争は、瞬時の大量虐殺(genocide)による人類滅亡
(annihilation)の可能性を持ったものとなった。
核兵器の開発の後、米ソ冷戦体制下での軍拡競争により兵器は飛躍的進化を遂げ、数分 で相手国領域に到達する核弾頭の開発に至った。パワーアップしたのは核兵器だけではな い。通常兵器も格段に殺傷力を増し、「通常兵器」というコンセプトで表現するのに抵抗の あるほどの兵器が誕生している。兵器の運搬手段であるミサイルシステムの発展にも目を 見張るものがあり、確実に人を殺すことができる技術が出来上がっている。また、化学兵 器や生物兵器の開発や使用も特筆すべき事項である。化学兵器とは、毒ガスなどの毒性化 学物質を使い人や動物に対して被害を与えるために使われる兵器のことであり、生物兵器 とは、細菌やウイルス、あるいはそれらが作り出す毒素などを使用し、人や動物に対して 使われる兵器のことである。いずれも核兵器に比べ入手や製造が比較的簡単で甚大な被害 をあたえられることから「貧者の核兵器」と呼ばれている。人を傷つけ、苦しめ、殺して いく兵器はこの半世紀の間に驚くほどの「進化」を遂げたのである。
また戦争・紛争における直接的暴力は、質的な変化も伴ってきた。アメリカをはじめ、
大国といわれる国が兵器の量で他を圧倒するようになり、それに対抗する手段として、ゲ リラやテロという暴力行為が展開されるようになった。ベトナム戦争においては、ベトナ ム人民は超大国アメリカに対してゲリラ戦法で望み、結局はベトナム独立へとつながる戦 いとなった。
テロにおいては 2001 年 9 月 11 日に発生したアメリカ同時多発テロ事件は今でも記憶に 新しい。戦争とはいうまでもなく、国家が主体となるものであるが、非国家主体が国家に 対して爆弾などによって一般市民を巻き込みながら抵抗するスタイルが出来上がりつつあ る。
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こうした凄まじいばかりの残忍な兵器や戦法は、実際に戦後の戦争・紛争で使用されて きたし、現在もなお使用されている。こうした戦争は多くの人を殺し、生き残った人の希 望をずたずたに崩壊させてきた。広島・長崎での核による被爆者は現在なお、放射能によ る障害に苦しみ、将来に不安を抱えている。ベトナム戦争ではアメリカは 7500 万リットル の枯葉剤(ダイオキシンを含む)を南ベトナムの森林、農村、田畑にばら蒔いた。多くの 人がその後遺症で苦しんでいる。2001 年のアフガニスタン紛争や 2003 年のイラク紛争で は、劣化ウラン弾が使用され、放射能による被害が広がっている。
戦争や紛争で、あたかも当然かのように使用される直接的暴力は、よりよく生きようと する人々の意欲を殺ぎ、絶望の淵へと追いやってきた。
2.2 構造的暴力
直接的暴力だけが暴力ではない。構造的暴力とは、暴力の主体が明確出ない場合が多く、
流血など肉体的な損傷を伴わない。しかし、直接的暴力がなくても、人々は苦しみ、希望 を失わされるのである。発展途上国では、極度の貧困、飢餓、無秩序、政治的抑圧、環境 破壊などのために無数の人が死んで行き、あるいは自己実現の機会を奪われたまま人生を 終わらざるを得ない。この構造的暴力の主体は明確でなく、また日常的であるために、飢 餓によって多くの人が死に至ろうとも、戦争や紛争のような直接的暴力ほど注目されない ことが多い。マスメディアで注目されることもなく、世界では今この瞬間にも多く子ども が飢えにより死んでいる。暴力の主体がわからないままに、誰からも相手にされず、忘れ 去られ、苦しむということは、希望の喪失という意味では、直接的暴力よりもさらに深刻 であるかもしれない。この構造的暴力も残虐化の一途をたどっている。
グローバリゼーションの波が押し寄せている。グローバリゼーションとはもともと地球 規模化を指すもので、ものごとの規模が国家の枠組みを越え,地球全体に拡大することを 意味する。しかし、現実的にはグローバル資本主義が強力に推し進められてきた。主にア メリカ合衆国主導の市場原理主義に基づく新自由主義経済政策が世界各国へと導入された のである。世界の市場経済が単一化され、ますます競争が激化し、世界を舞台にした弱肉 強食の社会が出来上がったのである。利潤の獲得のために巨大多国籍企業は、国境を超え てカネとモノを支配する。弱肉強食の市場原理の経済によって、人々の福祉や基本的人権 を保障する民主主義的諸機関ならびに主権国家をも従属させられ、力なき民衆は貧困と抑 圧の中に押し込まれるのである。
こうした貧富の差の拡大などによる構造的暴力は、直接的暴力を引き起こす要因にもな
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り、また直接的暴力の発露である紛争によりさらに構造的暴力は凶暴化する。戦争や紛争 の後の平和構築においては、いかにこの構造的暴力を少なくさせるかが大きな課題である。
また構造的暴力をできるだけなくすことが、紛争予防の極めて有効な手段であることも明 らかである。
2.3 文化的暴力
ノルウェーの平和学者 J・ガルトゥングは、暴力を、「直接的暴力」、「構造的暴力」、「文 化的暴力」の三つに分け、90 年代半ば以降、宗教やイデオロギー、言語などの「文化的暴 力」に着目するようになった。ガルトゥングは、グローバリゼーションの文化的展開をア メリカゼーション、あるいは「アメリカ民主主義化」と位置づけ、宗教・イデオロギーを通 じて正当化されるナショナリズムが、国家イデオロギーや国家統制に関わってきたことを 指摘する。軍事大国アメリカの暴力的文化が、地球的規模で広まり、持続可能な発展を行 ってきた平和的地域文化が崩壊しているというのである。力による支配を正当化する文化 こそが、直接的暴力を成り立たせる基礎にあり、そうした暴力的文化を平和の文化(culture of peace)に転換させることが必要である。
確かに、生活の中に暴力を容認する文化が溶け込み、勝者と敗者を決定する競争社会の 文化の中では、お互いが協力し合い、理解しあい、許しあう平和の社会の実現はほとんど 不可能に近い。希望開発を実現するには、お互いを蹴落とす文化ではなく、お互いが助け あう文化の中で、新たな社会作りを行う必要がある。文化的暴力は、人々の繋がりを分断 し、人々を孤独の中に封じ込め、絶望へと向かわせるものである。地域社会の崩壊や個人 主義の台頭はますますこうした流れを加速させており、人間の連帯の文化が育ちにくくな っている。
特に戦争や紛争を体験した地域においては、支配と被支配の文化があり、また憎しみの 連鎖が存在する。密接に絡み合う構造的文化は問題解決をさらに複雑にしている。直接的 暴力も構造的暴力も許すことなく、人々がお互いに許しあい、助けあう平和の文化の創造 は、平和構築の基礎ともいえるものである。グローバリゼーションの波は文化においても 暴力的・破壊的に世界を覆いつくそうとしている。その波にどのように対抗できるかが、
平和構築のための重要なポイントである。
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