• 検索結果がありません。

エルサルバドル

ドキュメント内 Microsoft Word - kanseiban.doc (ページ 104-110)

第Ⅳ章  紛争管理のためのガバナンス論

2.  平和構築と民主主義:理論と経験[水田慎一]

2.3  具体的事例の検証−カンボジアとエルサルバドル

2.3.2  エルサルバドル

    第Ⅳ章  紛争管理のためのガバナンス論(平和構築と民主主義・水田)  103     

った34。このようにいずれの党も過半数が得られない中、当事者間の駆け引きを経て結果的 には、第 1 党であるフンシンペック党の党首ラナリッドを第 1 首相、CPP 党首のフン・セ ンを第2首相とする連立政権を樹立した。このような流れを受けて、UNTAC は 1993 年 9 月に任務を終了し撤退した。 

以上のように、カンボジアにおいては、UNTAC の下で、自由かつ公平であったとはいえ ないまでも、一応予定していたとおりに選挙が実施され、選挙結果を尊重した形で新たな 政権が発足した。すなわち、UNTAC 撤退の時点まではパリ和平合意の目標であった“民主 化”が一定程度前進していたとみなすことができるが、その後のカンボジアの民主化状況は 芳しいものではない。その最たる例は、1997 年のフン・セン第二首相による政変である。

1997 年 7 月、フン・セン第二首相とラナリッド第一首相との間で武力衝突が発生し、結果 としてラナリッド第一首相派は敗北、フン・センが唯一の首相となった。すなわち、民主 主義国家としての証である自由かつ公平な選挙を経ずに政権交代が行われたのである。こ の政変に対しては、国際社会から厳しい批判がなされたが、そのような国際社会の批判と 圧力の下で、フン・セン首相が 1998 年に選挙の実施を約束したために事態は収拾した。 

その後、カンボジアにおいては 1998 年、2003 年と 2 回の選挙が行われたが、いずれも“自 由かつ公平な選挙”であったとは評価されていない。例えば、Freedom House は、2003 年 の選挙をめぐっては、政府によって、選挙関連の殺人、脅迫、破壊行為、その他の威嚇行 為が野党勢力に対して実施され、その結果としてフン・セン率いる CPP の地滑り的勝利に つながったと述べている35。このような中で、カンボジアにおいては、民主主義の条件とさ れる政治的・市民的権利に対する自由も大幅に制限されていると評価され、Freedom House はカンボジアを“自由のない(Not Free)”国に分類している36。 

    104        第Ⅳ章  紛争管理のためのガバナンス論(平和構築と民主主義・水田) 

     

合意に署名した。その後、両者は断続的に和平交渉を進め、1990 年 7 月に人権に関するサ ン・ノゼ合意(San Jose Agreement on Human Rights)、1991 年 4 月に軍改革、司法改 革、選挙制度改革を含む憲法改革に関する合意であるメキシコ・シティ合意に署名した。

さらに 1991 年 9 月、両者は、軍幹部の追放、軍の縮小を含む軍改革、新たな国家警察の創 設、土地制度改革等について具体的な取り組み指針を示す合意であるニューヨーク合意に 署名した。最後に、1991 年 12 月、これまで署名された合意とともに交渉終了に合意する ニューヨーク議定書(New York Act)が合意され、1992 年 1 月にはこれら全ての文書を まとめたエルサルバドル和平合意(The El Salvador Peace Agreements)に両当事者が署 名し、ここに和平交渉が正式に終了した。 

エルサルバドルにおいては、20 世紀初頭より選挙が行われ、形式的には大統領が選挙に よって交代するなど、少なくとも“形式的な民主制度”はかねてより存在していた。しかし実 際には、政府が選挙妨害をしたり、政治的自由が制限されたりするなど“真の民主主義”が実 現した状況からは程遠い状況にあった。このような中で、エルサルバドル和平合意では、

同国に“真の民主主義”を実現するために必要な諸改革に取り組むことが合意された。エルサ ルバドル和平合意では、人権、軍、司法、文民警察といった分野について合意がなされた。 

まず、人権の保障は、エルサルバドル和平合意の中核をなすものであった。人権尊重につ いてはサン・ノゼ合意で枠組み方針が合意された。同合意では、政治権を行使する個人の 逮捕禁止、拷問や隔離拘禁の禁止、罪刑法定主義、表現・行動・結社の自由の保障などが 具体的な内容として定められた。 

次に、軍改革は、FMLN より、「軍の抜本的改革なくして新たな民主主義秩序を実現する ことはできない」と最も強く主張された分野であった37。実際、軍改革については、軍を維 持しつつ、それを中立的かつ責任ある組織にするための方策が検討されることとなった。

軍改革の第一点目として、軍を文民統制の下に置くことが合意された。具体的には軍は大 統領の指揮下に置かれるものとされ、軍の機能は大統領と立法府の指示にしたがうものと された38。また、軍法裁判所の管轄は、純粋な軍法違反や軽犯罪に限られるとされた39。軍 改革の第二点目として、内政における軍の影響力を削ぐことが目的とされた。軍の規模縮 小に加え、軍の機能を「主権と国土の防衛」に限る旨定めることとした40。すなわち、軍の

37  Timothy A Wilkins, 1997, “The El Salvador Peace Accords: using international and  domestic law norms to build peace” In Michael W. Doyle, Ian Johnstone and Robert C. Orr  eds, 1997, Keeping the Peace: Multidimensional UN Operations in Cambodia and El  Salvador. Cambridge: Cambridge University Press, pp.262-263 

38  Wilkins 1997, p.263 

39  Ibid. 

40  Ibid. 

    第Ⅳ章  紛争管理のためのガバナンス論(平和構築と民主主義・水田)  105     

警察的な役割を制限することが目的とされた。軍改革の第三点目として、過去に人権侵害 等の罪を犯した軍幹部の追放が行われることとなった。FMLN が軍幹部の交代なくして軍 改革はありえないと強い姿勢を示す一方で、政府側は自立的な追放メカニズムを主張し、

国連 によ る仲 介の 結 果、 軍人 及び 文 民の 代表 か ら構 成さ れる 暫定 委 員会 (Ad  Hoc  Committee)が設立され、同委員会が追放対象者の選定を行うこととなった41。 

また、司法分野も抜本的な改革が必要とされた。当時の報告においては、エルサルバドル の司法分野について、「あまりにも弱体化しており、脅迫の虜となり、汚職に対して脆弱と なっている。(エルサルバドルの)司法制度はかつて一度も行政府及び立法府から独立であ ったことはなく、・・・・、同国が直面してきた悲劇への貢献要因となってきた」と述べら れていた42。このような問題に対処するため、和平合意では、憲法の改正による司法の独立 の促進、司法分野予算の義務化、職業裁判官制度の創設などが司法改革の内容として盛り 込まれた43。 

文民警察については、和平合意において、国家文民警察(National Civil Police: PNC)

の創設が合意された。その計画は、内政における軍の影響力を低下されること、FMLN 元 兵士の社会統合を進めることなどに留意して策定された44。PNC は、国家警備隊(National  Guard)、国庫警察(Treasury Police)、国家情報局(National Intelligence Directorate)

という旧来の 3 つの公安組織を代替するものとして創設されることとなった45。 

エルサルバドル和平合意の履行を支援するため、国連安全保障理事会は、国連エルサルバ ドル監視団(United Nations Observer Mission in El Salvador: ONUSAL)の設立を決定 した。ONUSAL の権限について、安保理決議は、全てのエルサルバドル和平合意の実施を 監視・検証すること(the verification and monitoring of the implementation of all the  agreements)であると定めた46。 

(2)エルサルバドル和平合意と民主化プロセス 

エルサルバドルは、ONUSAL をはじめとする国際社会の支援を受けて和平合意で定めら

41  Wilkins 1997, pp.264-266 

42  Truth Commission report, UN document S/25500, annex, p.62 cited in Wilkins 1997,  p.269 

43  Wilkins 1997, p.270 

44  Wilkins 1997, p.273 

45  Ibid. 

46  S/RES/729 

    106        第Ⅳ章  紛争管理のためのガバナンス論(平和構築と民主主義・水田) 

     

れた諸改革に取り組んだ。また、1994 年には ONUSAL による監視の下で選挙が実施され、

1995 年には ONUSAL はそのマンデートを完了した47。また、その間、和平合意に沿って FMLN の武装解除が進められ、これに伴い軍の規模も半減された。軍幹部追放のために設 立された暫定委員会(Ad  Hoc  Committee)の下での追放対象者の特定と、それに続く実 際に追放も行われた。文民警察の創設も行われた。 

もちろん、これらの成果を含め、エルサルバドルの諸改革が全て望ましいとおり順調に進 んでいるわけではなく、政府当局者の抵抗などにより改革が十分に進んでいない部分もあ るが、全体的には民主化プロセスは進展していると評価されている。例えば、Freedom  House は 2005 年時点で、エルサルバドルを“自由”、“部分的に自由”、“自由でない”という三 段階のうちで“自由”な国であると評価している48。 

ただし、かといって、エルサルバドルの民主主義には未だ問題もある。2004 年 3 月に実 施された議会選挙は、平穏には行われたものの、事前には暴力による選挙妨害の予告など が国内外から行われていたという49。また、司法分野における汚職が深刻であることも指摘 されている50。さらに、軍については、軍の治安活動が法律上規制されている一方で、暴力 集団の取り締まりのための警察のパトロール活動に軍が頻繁に参加していることが指摘さ れている51。 

(3)両ケースの比較 

カンボジアとエルサルバドルのケースはいずれも、国連ミッションの展開を含めて、国際 社会が平和構築のために大規模な介入をしたことでは共通している。しかし、紛争をめぐ る対立構造や、和平合意に向かうまでのその構造の変化のあり方は両ケースで異なり、そ のような違いがその後の民主化の進展度合いに大きな影響を与えているものと考えられる。

ここで、対立構造という場合、単に国内紛争を戦っていた政府や武装勢力だけを指すので はなく、これら国内当事者と大衆との関係や外部から支援・介入したり圧力をかけたりす る外国勢力との関係を含む構造を意味する。 

47  ONUSAL 撤退後、95 年 5 月から 96 年 4 月までより小規模な国連エルサルバドル・ミッショ ン(MINUSAL)が展開し、さらに 96 年 4 月から 96 年 12 月まで国連ミッション(ONUV)が 展開した。エルサルバドルにおける国連ミッションの展開は右をもって完全に終了した。 

48  Freedom House 2005 

49  Ibid. 

50  Ibid. 

51  Ibid. 

ドキュメント内 Microsoft Word - kanseiban.doc (ページ 104-110)