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裁判による応報的正義の模索

ドキュメント内 Microsoft Word - kanseiban.doc (ページ 84-87)

第Ⅳ章  紛争管理のためのガバナンス論

1.  移行期正義と包括紛争処理李[佐藤安信]

1.5  裁判による応報的正義の模索

1.5.1  旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)とルワンダ国際刑事裁判所(ICTR) 

  暴力による支配から法の支配への移行期には、正義という名の復讐への欲求と、和解へ の希望が錯綜する。戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイドなどのような深刻な犯罪に 限らず罪を犯したものを処罰することで治安を回復する必要は、紛争の当事者同士が鏡の ように相手方を責任者として追及しあうことで紛争を再燃させるかもしれないし、責任者 を処罰する中立で公正な第三者を見出すことは実際上困難な場合が多い。そのため、旧ユ ーゴ紛争では 1993 年に国連安全保障理事会決議 827 により旧ユーゴ国際刑事裁判所

(ICTY)が、ルワンダ紛争においては 1994 年に同決議 955 でルワンダ国際刑事裁判所

(ICTR)がそれぞれの紛争と人道危機を終わらせる切り札として開設された。これらは国 連安保理によって緊急事態に対応するものとして臨時に設立された安保理の補助機関であ った。しかし、人的資金的な資源が限られていることから、象徴的な効果しか期待できな いというのが現実であろう。 

  ICTY は、2006 年 8 月 11 日現在までに合計 161 人を起訴し、46 名の有罪が確定し、審 理中が 38 名、無罪 8 名、旧ユーゴの国際裁判所への移送者 9 名という7。ミロショビッチ を起訴するなどの一定の成果を挙げたものの、セルビアの協力も得られないことからまだ 他の大物戦犯を逮捕できていない。セルビアにおける法の支配自体も課題となっている。

ICTY 自体が旧ユーゴ紛争に決着をつけるという意味で政治的な意図があるのはやむをえ ないが、NATO の空爆による被害についての捜査もできなかったということは公正な法の 支配を期する観点からやはり限界があったものと思われる8。ICTR は、05 年 4 月までに 19 事件、25 名に判決を下し、元首相カンバンダをジェノサイドの罪と人道に反する罪で有罪 にし、ジェノサイドの中心人物とされるパゴスラ元大佐の裁判を開始するなど画期的な成 果もあるが、ICTY と比べてもはるかにその進行は遅いと批判されている9。 

7  多谷(2006)、20 頁。 

8  多谷(2005)、164−174 頁。 

9  多谷(2006)、33 頁。 

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1.5.2  国際刑事裁判所(ICC) 

このように ICTY および ICTR は一定の成果を挙げたわけであるが、臨時に設立された安 保理の補助機関ということからその常任理事国の拒否権を背景とした政治性が問題視され、

常設の国際刑事裁判所(ICC)の設置を早めたともいわれる10。とはいえ ICC の構想自体は 新しいものではない。第一次大戦後、1928 年の不戦条約採択が示すように、戦争の違法化 が進展する。国際連盟は侵略戦争を国際犯罪とする決議や条約草案を何度か採択し、国際 刑法学会、国際法協会という民間団体は ICC の設置を提言した。1937 年にはテロを起こし た者の処罰を目的とする「国際刑事裁判所設置のための条約」が採択されたが、発効には 至らなかった11。第二次大戦後のニュールンベルグ裁判、東京裁判は「人道に反する罪」や

「平和に対する罪」など国際(刑事)法の発展には寄与した反面、事後法による処罰で罪 刑法定主義に反する勝者の裁判に過ぎない面もある。そのため 1948 年のジェノサイド禁止 条約の成立など国際人道法の発展と平行して、国際的な刑事裁判所を設置して「法の支配」

によって非人道的行為を処罰することが国際法委員会(ICL)から提案されたのである。し かし、冷戦下、このような国際的司法機関は国家主権の侵害であるとの反発が強く実現し なかった12。 

  ICC  は 1998 年 7 月 17 日にローマで設立されたが、そのイニシアティブをとったのは、

保護の責任の概念を唱導するカナダ政府であるといわれる13。対人地雷禁止条約への運動と 同様に、NGO と連携の力が大きい。カナダ政府はもともと NGO と密接な関係を有してい る14。1995 年に人権 NGO15を中心に「国際刑事裁判所のための NGO 連合(CICC)」が結 成され、ICC 規程にも大きな影響を与えたという。たとえば、ICC の管轄を広く認める規 定、独立した検察官に関する規定、ICC の適切な司法機能を保障する規定、女性と子供の 保護に関する規定、被疑者の権利保障や被害者の保護に関する規定などである16。このこと から、ICC は市民社会によって、人権規範に則った非暴力的紛争管理システムを国際的な 独立の司法制度として提供することで、人間の安全保障のための平和構築を側面から保障 することが期待されたものといえよう。 

10  前傾松井 135−6 頁。 

11  松井芳郎 2001『国際法から世界を見る:市民のための国際法入門(第二版)121 頁。 

12  多谷千香子 2006『戦争犯罪と法』岩波書店、6、43 頁参照。 

13  大芝亮「第 10 章  国際機構と人間の安全保障」高柳彰夫他編 2004『グローバル時代の平和 学  4  私たちの平和をつくる』286 頁。 

14  勝俣誠編著 2001『グローバル化と人間の安全保障』337 頁。 

15  アムネスティ・インターナショナル、ヒューマンライツ・ウォッチ、国際法律家協会(ICJ)

など。 

16  ローマ会議開会時には 800 以上の組織が CICC に参加し、準備段階から分野別作業部会や国 別・地域別のネットワークを結成して、交渉過程への市民社会の積極的な参加を促進するための 活動を繰り広げたという(前掲松井 283−284 頁参照)。 

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  しかしながら、ICC には大きな課題があるといわざるを得ない。それは、その実効性と 中立性が相矛盾するという国際社会の現実である。実際関係する大国である米国、イスラ エル、中国を含む 7 カ国が ICC 規程の採択に反対した。米国は ICC 規程が国連安保理から 独立した捜査・起訴権限をもつことは国連憲章上の国際平和を維持する安保理の権限を損 なうことや、米国人を ICC に引き渡すことは憲法上できないことなどを理由に ICC の設立 に反対してきた。2002 年には ICC の発効に備えて ICC への協力を禁じ、ICC に拘束され た米国軍人などを奪還するための権限を大統領に付与する米国軍人保護法など立法をし、

ICC に米国人を引き渡さないように合意しない ICC 締約国には軍事援助をしないなどの対 抗措置を取っている17。 

  2006 年の下院選挙で共和党が大敗を喫したことが契機になってか、ブッシュ政権はいわ ゆる単独行動主義を緩和しつつあるようで、ICC に対してもこれまでの頑な態度を変化さ せている。昨年 10 月、米国軍人保護法を改正し援助停止などの制裁を緩和することになっ た。ただ、米国の政策転換は ICC を野放しにするよりは、米国の監視下、影響下に置くの が得策と判断したものとも推定できる。今後、資金面、人事面などで ICC の中立性が損な われないように国際的な監視を強化する必要があろう。国連システムのおかれた状況と同 じく、実効性と中立性のバランスを図ることが重要である。 

  実際に ICC が活動を始めたのは、コンゴ、ウガンダ、スーダンといずれもアフリカの紛 争経験国である。アフリカに武力紛争や人道危機が多いことを考えればやむをえないこと でもあろうが、ICC が結局、欧米の価値観の押し付けで新植民地主義の片棒を担ぐような ものにならないよう留意すべきであろう。 

1.5.3  国際化された国内刑事裁判所 

  ICC の管轄は国際裁判所の管轄を補完するものとして普遍的な管轄をもつという画期的 なシステムであるが、国内裁判所が一国のみで紛争後にその責任者の追及をすることは事 実上非常に難しい。そこで ICC による各国の刑事司法に対する国際協力の促進が期待され ている。しかしそれ以前からも、国連が後押しするという意味でも国際化された国内刑事 裁判所の試みが実際にいくつか現れてきている。たとえば、シエラレオネ特別法廷、カン ボジア特別法廷、東チモール特別法廷などがある。シエラレオネ特別法廷は、1991 年に始 まった内戦終結後の 2000 年 8 月にシエラレオネの大統領の戦犯裁判に対する国連事務総長 への協力要請を受けて設置され、2003 年から活動を開始した。裁判官の多くは外国人判事 である。内戦の責任者であるリベリアのチャールズ・テイラーが 2003 年 6 月に起訴された

17  前掲多谷 51−57 頁参照。 

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が、治安のため裁判自体はハーグの ICC で行われることになっている。カンボジアではク メールルージュによるジェノサイドを裁く裁判が国連の支援を受けて行われることになり、

2006 年 5 月には国際裁判官など 13 名、カンボジア人検察官ら 17 名を選任し、07 年春か ら裁判が開始されることになっている。資金の大半は日本政府が支援する。1975−79 年に 行われたジェノサイドであり、最高責任者であったポルポトはじめ多くの最高幹部は既に 死亡し、また証人も高齢でもあるため公平性、独立性に疑問も提示されている。92−93 年 の UNTAC 時に同様の裁判を求める声も民衆にはあったが、当時ポルポト派は武装解除を 拒んでいたため、むしろポルポト派の兵士の投降を呼びかけるために恩赦などの政策が優 先された事情がある。安定した今日その裁判を行う条件が満たされたということであろう が、なお現政権による独裁体制の維持につながるような政治的な意図があるのではないか との疑問も拭えない。東チモールでは、1999 年の国民投票の結果独立することになったこ とをきっかけにインドネシア国軍とその民兵によって虐殺事件が起こり、国連東チモール 暫定統治機構(UNTAET)が派遣された。2000 年に UNTAET によって東チモール特別法 廷が設置され、戦争犯罪など重大犯罪はここで裁かれることになった。しかし、UNTAET の力不足とインドネシアの非協力的な対応でほとんど機能しないばかりか、2006 年 4 月に は軍兵士らへの処分をきっかけにして大規模な暴動が起こるなど紛争の再発が懸念される 事態になっている18。インドネシアは独自にインドネシア人を裁く臨時の人権裁判所を設置 したものの、軍幹部の責任はほとんど追及されず、一審で有罪となった兵士も全員上訴審 で無罪になるなど、その独立性と信頼性ははなはだ疑問視されている。 

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