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日本語の呼びかけ語のポライトネスに関する先行研究概観とその批判

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 122-125)

4.2 日本語とロシア語の呼びかけ語のポライトネスの先行研究

4.2.1 日本語の呼びかけ語のポライトネスに関する先行研究概観とその批判

本節では,日本語の呼びかけ語をポライトネス理論で分析した先行研究を概観する.

滝浦(2007,2011)は,「基点からの遠隔化/近接化」とポライトネスを融合して観察す る.確かに,「ポジティブ・ポライトネスは接近を基に(approach-based),ネガティブ・ポ ライトネスは本質的に忌避を基に(avoidance-based)」(B&L2011:91)している.距離とポ ライトネスについて,滝浦(2007)は次のように説明する.

(3) ポライトネスは語や表現の「意味」そのものではなく,文脈や人間関係との相関に よって生じる含みとしての「発話効果」である.(中略)意味と発話効果の関係 は,いうなればf(意味)=発話効果のようなものであり,一段次元を異にする.

このfは,文脈や人間関係にかかわり,表現対象の現実のありようと言葉の意味と の偏差を"距離"として出力するような関数と考えればよい.(中略)ポライトネスと はこのように,徹底して相対的な性質のものである.(38)

ポライトネスと呼びかけ語については,「おねえさん」と「おねえちゃん」という語を例 にひき,その選択について次のように説明する.

(4) 「おねえさん」も「おねえちゃん」も役割呼称である点で,間接呼称であることに 変わりはなく,たとえば,妹が姉を「花子」と呼んでいる場合と「おねえちゃん」

と呼んでいる場合とでは,名前を直接呼ぶことの距離のなさと役割を呼ぶことの一 定の距離が,はっきりした対比を示す.つまり,「花子」に比べれば「おねえちゃ ん」は遠隔的な呼称なのである.では「おねえちゃん」の"親密さ"はどこから来る のだろうか?それは,「おねえさん」の「さん」と「ちゃん」との距離の差,すな わち「さん」から見た偏差によって生じる含みである.つまり,「おねえちゃん」

のポライトネスは,「花子」から見れば遠隔化によるネガティブ・ポライトネスで あり,「おねえさん」から見れば近接化によるポジティブ・ポライトネスである.

(37,下線引用者)

以上の滝浦の説明に対して,二点の反論がある.第一は,「語や表現の『意味』そのもの ではなく,文脈や人間関係との相関によって生じる含み」(38)に関する指摘である.ま ず,ネイティブの直観として妹が姉を「花子」と名前で呼ぶような家庭は極めて少ないだろ う.しかし議論を進めるため,ここに仮にそのような関係の姉妹があったとする.その場 合,妹Aにとって姉Bは「花子」なのであり,「おねえちゃん」と呼ぶ対象ではない.この

二人の間では,妹が姉を「花子」と呼ぶことが普通なのである.では隣に住んでいる姉妹 の,妹Cが姉Dを「おねえちゃん」と呼んでいるとする.A→Bは「花子」,C→Dは「おね えちゃん」である.「名前を直接呼ぶことの距離のなさと役割を呼ぶことの一定の距離が,

はっきりした対比をしめす.つまり,『花子』に比べれば『おねえちゃん』はより遠隔的な 呼称なのであ」(37)るという滝浦の議論は,AB間のほうが,CD間より姉妹間の距離が近 い,という結論を導く.しかしそれは当然正しくない.そのシステム(その人間関係)の中 では,「花子」も「おねえちゃん」も同じ役割を果たしている.名前による呼び名と役割に よる呼び名の距離の違いを単純に比べることはできない.滝浦は「語や表現の意味そのもの ではなく,文脈や人間関係との相関によって生じる含み」(38)と言うが,実際のところ,

語の絶対的な意味を比べていると考える.ここに第一の不備を見る.

繰り返すが,妹にとって「花子」は「花子」であり,それが基点,デフォルトなのであ る.妹が姉を「おねえちゃん」と呼ぼうが「お姉さま」と呼ぼうが(極端に言えばなんと呼 ぼうが),それがデフォルトであるなら,その二人の間の距離は他の二人の間の距離と異な るとは言えないはずである.呼びかけ語の語彙選択におけるポライトネスと関連して考える べき点は,普段「花子」と呼んでいるのに突然「おねえちゃん」と呼んだ場合,つまり明ら かな基点からの逸脱の場合についてである.このような場合,逸脱が聞き手に何等かの解釈 を要請する.場面や状況,話題に依存して,語用論的に解釈する必要がある呼びかけ語が発 生するのである.

第二に,ポライトネス理論の枠組みで議論を進める中で,誰が誰をなんと呼ぶか,という 語の選択に関して終始議論しており,いつ,どのような発話において呼びかけ語を用いるか という,発話場面や発話行為との関連を考慮していない点である.「花子」「おねえさん」

「おねえちゃん」の例,及び客に対する「社長」という例は,いずれも語の選択である.し かし,見知らぬ人を勧誘するという極めてFTAの大きい行為だからこそ,呼びかけ語

「(よ!)社長!」が基点X(「すみません」等の,この場でのより適切な発話)より近接化

(プラス)を表している.「おねえちゃん」が基点である人間関係でも,消しゴムを借りる 場合と一万円を借りる場合では「おねえちゃん」と呼ぶ確率が変わるであろうことは容易に 想像がつく.発話場面や発話行為を無視して,ポライトネス(滝浦のいう発話効果)はない と考える.

福田(2013)も呼称(address term)とポライトネスの関係を論じているが,「~先生」や

「~さん」「~様」という形式とその使用場面に関する記述に終始している.その形式をど のような場面で,どんな行為に伴って使用するのか,という観察はない.

「呼びかけ語」も含めた「対称詞」の使用について考察した高橋(2005)は,次のような 仮説を提案している.

(5) Ⅰ.対称詞の形式の選択は,社会文化的に規定される部分が多い.すなわち,<わ きまえ方式>としての機能を果たす.

Ⅱ.対称詞の使用は,日本語においては文法的に必須ではない.これは,(母語話 者が)コミュニケーションを円滑に進めるために採用する様々なストラテジーの一 つである.すなわち,<働きかけ方式>としての機能を果たす.

実際のデータに基づくこの仮説の検証が,今後の研究課題である. (136-137)

滝浦の意見は語彙選択のレベルにおけるポライトネスを議論しているが,この仮説は「語彙 選択はわきまえ,実際の使用はストラテジー」として選択と運用を分けて捉えており一考に 値する.

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