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日本語とロシア語の呼びかけ語の対照

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 177-181)

4.5.1 日本語とロシア語の呼びかけ語の相違

ひとはコミュニケーションにおいて様々な配慮を行う.「どのような文化社会において も,行動上の配慮や,言語上の配慮は存在する.ただし,何に対してどのような形でその配 慮を表現するか,その重点の置き方やその表現形に当該の文化社会の個性が示される」(三 牧2013:1).

前節までで,日本語とロシア語の呼びかけ語をポライトネスの観点から分析した.まず共 通点として,日露ともに,呼びかけ語はポジティブ・ポライトネス・ストラテジーとして使 用されており,呼びかけ語は聞き手と聞き手に対するプラスの態度を表明しているという点 が挙げられる.プラスの態度とは,話し手の感情の問題ではなく,聞き手とコミュニケーシ ョンを行うことを望んでいるという,話し手が持つ,聞き手に向かったプラスのベクトルを 意味する.つまり,呼びかけ語によって「聞き手に接近」し「その発話が受け入れられやす くする」のを助けている点は同じである.

相違点として二点挙げる.一点目は,ポライトネスのレベルについてである.高橋

(2005:136-137)が指摘し,また本章で観察した通り,日本語の呼びかけ語は行為レベル でボリションであるものの,語彙選択レベルではあくまでディサーンメントの要素が強い.

それに対してロシア語は,行為レベル,語彙選択レベルともにボリションの要素が強い.ロ シア語は呼びかけ語を使って人間関係の調整を積極的に行っている.ロシア語の呼びかけ語 は,ポライトネスの点で日本語の呼びかけ語より多くを反映していると言える.日本語の呼 びかけ語は,ロシア語のそれが果たしている機能を同じく果たしているわけではない.おそ らく日本語は,ロシア語が呼びかけ語を用いて行っていることを,文末表現(動詞の形式や 終助詞)を用いて行っているのではないかと推測されるが,それは今後の研究課題とする.

二点目として,聞き手への接近にあたって,配慮の価値が異なることが指摘できよう.

FTAが高い発話行為の場面において,日本語では,字義通りの解釈ではなく,当該発話全体 に冗談やジョークのような気楽さを付加し,緊張を緩和するという効果を出す.つまり,日 本語では呼びかけ語は緊張感の緩和に役立っている.一方ロシア語の会話では,話し手が相 手に自分を理解してもらうため,呼びかけ語を用いて聞き手に対する説明の熱心さを伝える

様子が観察された.熱心さと強引さは表裏一体であるが,強引さへの懸念より,相手に対す る熱心さを示すことがより重要と考えられていると言える.ロシア語の呼びかけ語は,聞き 手に対する誠意,熱意の伝達の役目を果たしている.

この相違点の背景として,同じ配慮(同じ「聞き手接近」)でも言語によってどんな価値 観を配慮するかが異なることが考えられる.つまり,「何に対してどのような形で配慮を表 現するか」(同上)に文化差がある.表面上の違いは文化・慣習の違いであるかもしれな い.日本語とロシア語では,呼びかけ語によって聞き手に対する配慮を行っているのである が,目指すところが異なる.日本語では緊張感の緩和を,ロシア語では聞き手への誠意・熱 意の伝達を目指している.

対立関係はどのような人間関係でも言語でも発生する.しかしその対立関係について,日 本語の日常の会話では基本的には対立関係を取り除こうという方向に働く.坂本&坂本

(2004)は,日英語話者が有する考え方を"polite fiction"―「相手に対して礼儀正しく丁寧に

(polite)振舞おうとする際にその言動の根拠となる考え方」(i)―と名付け,日本とアメリ カの価値観の相違について比較文化的分析を行った.違いの一つとして,異なる意見に対す る考え方が挙げられる.日本語の"polite fiction"として"you and I think and feel alike"があるの に対し,英語の"polite fiction"には"you and I are original"という考え方が強いという.例え ば,相手の発言に異をとなえて会話を発展させることを英語では"challenging"と言い,それ は日本では失礼な態度とされるが,アメリカではむしろ当然のこととされ,肯定的に評価さ れることであるという.つまり日本語の価値観には,意見の対立関係を否定的に捉える価値 観があると言える.聞き手のポジティブ・フェイスに対する配慮として,話し手は呼びかけ 語によって(ほかの手段も駆使しつつ)その場の緊張を取り除こうとする(ことが期待され る).

それに対し今回観察したロシア語の会話では,対立関係の存在は認めた上で,聞き手のポ ジティブ・フェイスに対する配慮として話し手は呼びかけ語によって自分の意見を熱心に伝 える姿勢を表明しようとする(ことが期待される)様子が観察される.例えば,Rathmayr

(2003)はポライトネス理論及び語用論的視点からロシア語とドイツ語における謝罪行為を 分析し,ロシア語のコミュニケーション価値観からみて,距離の維持=ネガティブ・ポライ トネスより連帯感維持=ポジティブ・ポライトネスの比重が高いと結論づけた.社交性,開 放性,心の温まる感情が重視されるロシア語文化では,ドイツ語会話に比べて,「プライベ ートゾーンへの踏み込み」とでも呼ぶべき幾つかの行為が,「周囲に対する払うべき注意」

として受け取られている.またロシアでは真実さや直情性が肯定的なコミュニケーション価

値観として働いているため,過度の丁寧さは逆に真実性が足りないとして受け止められ,否 定的に評価されるという.ウェインベルグ(2015)はロシア語の「ウェジリボシチ」

(Вежливость;丁寧さ)について,丁寧なコミュニケーションの特徴を日露対照した.そし て,日本語から見たロシア語の丁寧さについて「現在のロシア語では率直さが重要であり,

社会的な差を強調する特別な単語は使われていない.礼儀正しさより評価されるのは真心,

率直さ,真摯な言動である.」(67)と結論づけた.ロシア語のコミュニケーションが肯定評 価する「率直さ」(Rathmayr2003,ウェインベルグ2015)は,対立関係における呼びかけ語 の使用を説明しうるのではないだろうか.自分の意見を率直に伝え,自分を理解してもらう ために,呼びかけ語によってその態度を示すことができる.

4.5.2 呼びかけ語のポライトネスでの位置づけ

井出(2006:78-97)は「ポライトネス」の普遍性について考察した中で,英語の"polite"

と日本語の「丁寧さ」という語が持つ価値観についてアンケート調査を行い,結果を多変量 解析によって対照分析した.日英の最も大きな違いとして現れたのは"friendly"と「親しげ な」に対する解釈である.英語の"friendly"は"polite"にあまり遠くない概念であるのに対し,

日本語では「丁寧な」と「親しげな」が全く反対ではなくしかも矛盾しない概念であると捉 えられていることが分かった.アメリカ人にとってポライトであることとフレンドリーであ ることは同一次元の概念であるため,フレンドリーを示すファースト・ネームでの呼びかけ がそのままポライトになる.それに対し,日本語の「丁寧な」と「親しげな」は異なる概念 であるが同時に共存することが可能であり,例えば距離を大きくする敬語と小さくする終助 詞が同じ発話で共存する.つまり日本語では「話し手の心の中で相手への敬意はあるが親し さもあるという微妙な心情を日常的に表している」(96)のである.「丁寧な」と「親しげ な」の共存(井出2006)は,日本語のポライトネスの特徴でもある.

松村(2013)は,日本語のポライトネスの特徴を次のように述べる.

(36) Hill et al.(1986)は,日本語と英語のポライトネスの相違を,この2つ(引用者 注:「わきまえ」と「働きかけ」)のポライトネスの量の違いのようにあらわしてい るが,この2つのポライトネスの違いは量的な違いではなく,むしろ質的違いであ る.(中略)Discernment(わきまえ)が日本語のポライトネスにおいて重要な役割 を果たしていることは,量的に多いからというよりむしろ,基盤にあってVolition

(働きかけ)の使用までも制限しているという点にあると考える.(64-68)

日本語のポライトネスは,わきまえの要素が基盤となって働きかけを制限している.

これら,日本語のポライトネスの特徴は,4.4.1節で見た日本語の呼びかけ語のポライトネ ス的ふるまいも説明する.語彙的な選択はできないという点ではわきまえを遵守しなければ ならないと言えるが,一方で「いつ」「どのようなときに」付加するかという点では働きか けとして選択の余地があり,距離を縮めて親しみを表明している.褒めや謝罪に付加され て,その行為のより円滑な遂行に寄与している.また重ね用法の呼びかけ語は,語彙選択に おいてわきまえから逸脱しているが,それは場面や話し手自身の感情を査定した上で選択し た結果であり,付加は働きかけのレベルであると言える.

このように,日本語の呼びかけ語のポライトネスは,「わきまえが基盤で働きかけを制限 している」という日本語のポライトネスの特徴と合致している.

Ларина(2009)はイギリス英語とロシア語のポライトネスをめぐって,様々な発話行為を

分析・対照した結果,ロシア語のポライトネスの特徴を次のように述べている.

(37) Меньшее использование стратегий дистанцирования привело к тому, что доминантным чертами русского стиля являются к о н т а к т н о с т ь - допустимость

«прикосновений» (на вербальном, невербальном, эмоциональном уровнях) и вытекающая отсюда и м п о з и т и в н о с т ь - допустимость оказания прямого коммуникативного воздействия на адресата, не нарушающего гармонии общения.

Меньшее, по сравнению с английской традицией, использование стратегий сближения позволяет говорить о такой черте, как к о м м у н а к а т и в н а я е с т е с т в е н н о с т ь.

Ориентированность на содержание, а не на форму, и меньшая регламентированность коммуникативного поведения. (429,強調ママ)

(遠距離化ストラテジーの使用の少なさが導くのは,ロシア語会話の主要な特徴が

「接近性」,つまり(言語的,非言語的,感情的なレベルでの)「接触」の許容とい う点であり,ここからさらに「影響性」,つまり,やりとりのハーモニーを壊さな い聞き手に対する直接的なコミュニケーション上の働きかけの許容である.英語の 伝統に比べると少ない近距離化ストラテジーの使用は,「コミュニケーションの本 物らしさ」という特徴を物語っている.形式ではなく内容の重視,コミュニケーシ ョン行動の慣習化は弱い.)

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 177-181)