第 3 章 カルトによるマイナスの影響と本人の心理的課題
第 3 節 入信中の心理的課題
勧誘を受けて入信することにより,本人たちはより大きな精神的問題を抱え込むとされ ている。Sadock & Sadock(2003)は,カルト問題はDSM-Ⅳ-TR診断カテゴリーの№17 にあげられている「臨床的関与の対象となることのある他の状態」の「宗教および霊的問 題(religious or spiritual problem)」に含まれるとし,精神症状を引き起こしたり明らか な精神疾患を生み出す影響があることを指摘している。この精神疾患に関して,Ross &
Langone(1988)は,「劇的な人格の変化」とともに「心理的な統合や融和を損なう」こ ととなり,さらに,個人によっては神経衰弱,赤ちゃん返り,自殺志向,人格分裂などの 精神的障害が起こったりする点をあげている。以下では,入信中における本人の心理的課 題について,特に精神分析的視点から検討を行った。
第1にあげられる点は依存である。志村(1999)は,カルト信者はカルトと一種の共依 存関係にあると述べ,Sirkin(1990)は,臨床現場から,カルト教団では依存が増長され ている点と,分離や個体化プロセスを援助するという幻想を提供して,個々人の健全な発 達を阻害している点を指摘した。さらに,Lindholm(1990)は,信者は精神病的である とは言わないものの,「幼児的な,依存的な心理状態へ逆戻り」しており,「前エディプス 的融合の経験」であることを取り上げた。Lindholm は,自己の退行状態であり自我の発 展ではないために,集団のための自己犠牲は本来の自己犠牲ではないという指摘もしてい る。岡田(2012)は,カルト入信の「根底にある問題」として依存を取り上げている。岡 田は,現実の家族から離反して「グルや教団に対して理想的な親や家族を求める」実態の 背景として,「父親や母親の身代わり」を教団で見つけることで「転移」にとらわれること で自らを支えていると分析し,幼い頃に愛した存在を求めようとするエネルギーは,極め て根源的で,強力なものであると述べている。また,岡田は,マインド・コントロールす る側の特性の本質は自己愛性人格構造であるとし,一方マインド・コントロールされる側 の特性として依存的なパーソナリティであると指摘した。
第2 は同一化である。平山(1980)は,「自己の願望を集団の中に同一化させることに よって,安定感を得ることと引き換えに上層部の命令に絶対服従することを要請される」
点を指摘し,集団への同一化を取り上げている。Freud(1959)も,集団内においては個 人が指導者を同一対象とし,個々人が互いに同一視し合う情況であるとして同一化を指摘 した。同一化とは,「ある主体が他の主体の外観,特性,属性をわがものにし,その手本に 従って,全体的にあるいは部分的に変容する心理的過程」であると定義されている(満岡,
37
2002)。一方 Erikson(1980)によれば,アイデンティティは「すべての重要な同一化を
含む」ものの,青年期に確立するアイデンティティは「過去のいかなる人との同一化であ れ,それを越えたものになる」のであり,「独自で適切なまとまりのある全体」となるよう に,過去の同一化を作りかえるとされている。カルト信仰中における同一化は,青年期の アイデンティティ確立に対して援助的となることはなく,むしろ本人の自我状態をより退 行させるものと考えられる。
また,井上(1997)は,青年期の事例としてオウム真理教信者について分析を行った。
その分析では,親密で価値観の共有を絶対的に求められる集団に属することによって,ア イデンティティが見つかったと思い込むことができ,このニーズによって打ち込める対象 をカルト指導者との関係に求め,カルト指導者に同一化するとされている。そのため,青 年は,自身の不安を取り除けると考えるようになり,カルト指導者に「すべておまかせす る」という,自分で決断しないですむ状態に至ると述べている。この心理的状態について,
井上は,個人としての自由を束縛されているにもかかわらず,その自覚は全くなく,完全 な自由を体験しているという誤った実感を持つと指摘した。これによって,「一人でいられ る能力」という,青年が成熟していくための重要な発達課題が先送りされることを井上は 示唆している。「一人でいられる能力」とは,Winnicott が提唱した概念であり,「幼児は 母親に自我を支えてもらうことによって自然な平衡を得,実際に母親がいなくなってもひ とりでいることができるようになる」状態であり,「ひとりでいて孤独に耐える能力という より,誰か他人と一緒にいて呑み込まれる脅威を感じないですむ能力」である(牛島, 2002)。 井上は,このような青年には幼児期の体験が影響を及ぼしていると考えられる点も指摘し た。また,井上は,権威を持ったカルト指導者に対して献身的となり,無意識的にそのリ ーダーの“秘蔵っ子”となりたい願望を抱くこととなり,カルト指導者にも完璧な親にな りたいといった無意識の願望があれば,お互いの無意識的願望が補い合い,両者の関係は 悪循環に陥ると分析した。井上は,リーダーが権威主義で未成熟な性格の持ち主であるこ と,および集団が親密で閉鎖的であることによって,権力者に対する同一化,つまりFreud, A.(アンナ・フロイト)が指摘した「攻撃者への同一化」がみられると指摘した。
さらに,Lindholm(1990)は,カルト信者は「自我境界がぼやけて対象と自我が融合」
するような同一化の過程をたどると述べている。他者を理想とするだけではなく,他者に なりきることであり,自己と他者は分化されていない状態である(満岡, 2002; Lindholm,
1990)。このため,信者は「虚弱化された卑屈な人間であるどころか,実際には,その自
38
我が,まさに同一化にもとづく融合によってカリスマ的指導者と合一化しているために,
活気づけられ,みずからを誇大な存在」と感じることとなる(Lindholm, 1990)。これは,
Lindholmによれば,「カルト指導者への崇拝のもと自己を失うと同時に,信者は高揚感を
覚えることとなる一方,信者は自分をコントロールする必要がなくなり,分離という実存 の苦悩を回避することをもたらす」としている。このような「高揚感」によって,カルト に入信すると,「強烈なグループ体験から生じる,仲間意識という明らかな利益」(Hassan,
1988)が与えられ,通常の集団における心理学的結合レベルに留まらない,「高水準の団
結意識」(Sadock & Sadock, 2003)が生じることとなる。平山(1980)が取り上げた「人 と人との連帯を希求しようとする志向」のもとでの「パトスを内に秘めた」状態であると 考えられる。
これらより,カルト入信によって,信者は,依存した幼児期あるいは原始的な前エディ プス期に退行し,カルト指導者への同一化のもと,自己を放棄し未分化状態へと回帰する こととなる。それにより,人間の成長として必要な分離と分化,「一人でいられる能力」と いう,実存的苦悩からの解放感を味わうこととなると理解することができる。
39