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問題なのである。

さらに訴状によると、原告は1958年商標および商品マーク法78節と79節、および1957年イ ンド著作権法63節と64節を根拠として、未知の者を相手取って刑事訴訟を提起し、被告の 敷地内で「HARIYALI LABEL」とラベルの貼ってある大量の偽造米を押収した。

これらの事実申し立ての概要により、当事者の一方だけのための臨時差止め令発令が1999 年8月3日に原告に与えられた。

被告の主張:

被告の申し立てによると、特に原告は宣誓供述書で虚偽を述べたばかりでなく、提出文書 の42ページから53ページに掲載されているインボイスに「HARIYALI」という言葉を付け加 え、虚偽文書の提出も行った。またこれらのインボイスは、1993年4月1日より前の期間に 関するものであり、したがって原告が1993年4月1日以降「HARIYALI LABEL」を使用し てきたという、訴状に記載の主張と矛盾するものであることも指摘した。第2被告は米に関 する商標HARIYALI LABELの独占権所有者であり、これは1994年1月1日以降被告によっ て採用され、その後継続して使用されてきたと述べられている。原告は第2被告がその仲買 人であったと申し立てているが、これとは反対に原告は、ボンベイの商標登録局が第2被告 に対して「承認証書」の取消しに関する理由開示通告を発行した1999年7月8日に初めて知 る に 至 っ た と も 申 し 立 て て い る 。 さ ら に 当 文 書 に は 、 第2被 告 が1994年1月1日 以 降 、 HARIYALI商標の発案者ならびに所有者であったことを、原告が熟知していたという主張 も含まれていた。本訴状を提出した動機は、業務上の対抗意識であり、さらに、1999年3月 19日以降係属処分となっている、1958年商標および商品マーク法第81節に基づく原告に対 する申し立ての追訴を停止させるよう、第2被告に対して圧力をかけることであった。1999 年3月8日付のサンダヤ・タイムズにおいて、第2被告が商標名HARIYALIの悪用に関して公 表したことについても申し立てられた。被告らは、原告が被告らと同一業種および同一市 場内で事業を行っていたことから、第2被告の商業活動について十分認知していたにもかか わらず、未知の者を相手取った訴えがデリー市治安判事に提出され、一般捜索令状を取得 したという事実に重きを置いている。請願書の被告らの強い主張により、裁判所は訴訟を 中断し、デリー市治安判事に書類提出を命じた。

被告らは、1994年1月以降の証拠書類も提出した。これによれば、商標名HARIYALIは、

1994年2月28日にデバ・ナンド・ウメシュ・クマールによって出願され、実際の使用者は 1994年1月1日以降であることが示されている。当文書によれば、彼の母親はカイラティラ ル・バーニラムの共同経営者であり、彼女の死後、彼が共同経営者となった。商標登録局 事務所から提出された1994年2月22日付調査報告書では、同様の出願を行った人物は他にい ないことが開示されている。被告により修正/訂正に関する申請が行われ(1999年3月17日 付申請参照)、商標登録局はこの申請を許可した(1999年4月26日付書状参照)。被告らによ れば、原告の登録商標申請は1996年8月9日付になっており、被告らの申請からかなりの時 間が経過していることが強調された。被告らは、HARIYALIの美術的特徴の独占権所有者 であってその著作権を保有しており、商標登録局が承認証書を発行したと主張している。

この最終登録証書が簡単に認められたと思われることも主張した。

裁判所の観察:

原告および被告の両当事者が、両者間のみの商業取引で互いに周知であったことは議論さ れなかった。原告は、商標HARIYALIの登録に関する申請を1996年8月9日に行い、1993年 4月1日以降の使用者としての権利を主張した。これに対して、被告は1994年2月28日に登 録を出願し、1994年1月1日以降の使用者としての権利を主張した。被告代理人として出廷 した主席弁護士は、原告が提出した書類が1993年4月1日より前の期間に関するものである と述べた。これらの書類の信憑性はかなり疑わしく、本訴訟を念頭に置いて準備されたも のであると述べた。競争相手の論争における正当性および真実性は別にしても、両当事者 が商標HARIYALIを数年に渡って使用しており、さらに両当事者が登録を申請したことは 明白である。したがって、同一権限を持つ使用者が成立したことが明らかである。商標 HARIYALIの使用者として5年間経過した後に、両当事者により一時差し止め命令が嘆願さ れた。このように長期間が経過した後に、原告が裁判所に申請した理由は理解しがたく、

1999年7月の承認証書発行が訴訟への足掛かりであったと思われる。裁判所の検分によれば、

いささか疑問の残るような方法では、原告が商標HARIYALIの最初の使用者であったとは 認められない。本商標の同一権限を持つ使用者を巡る論議は、裁判所に行為差し止め許可 を差し控えさせ得るものでなければならない。したがって、本申し立ての状況においては、

暫定的差し止め発行に関するprima facie caseは存在しなかった。

原告は、1958年商標および商品マーク法第78節および第79節ならびに1957年インド著作権

法第63節および第64節に基づき、デリー市治安判事に提訴した。ただしこの提訴は未知者

を相手取ったものであり、被告の敷地内で押収が実行された。原告が被告らを直接提訴し なかった理由は理解しがたい。裁判所は、かかる訴訟手続きにおける行動が不誠実である という結論に達した。さらに、デリー氏治安判事に対する訴訟手続きで実行された押収に 関する副検査官の報告書は、原告によって差し止められてきた。これはおそらく、1993年4 月1日以降効力を発するHARIYALI LABELを採用したという原告の主張が、いずれの独 立した証拠書類によっても裏付けされないという裁定を、前記副検査官が記録したことに よるものであろう。さらにこの副検査官は、被告らが商標登録に関する申請を行ったとい う裁定も記録している。これらの主張に対抗するため、原告は、ウッタル・プラディシュ 州 Vs.Ram Nath, 1972年 (1) SCC 130における最高裁判所の決定を信頼した。この決定で は、商標および商品マーク法第10章の目的によれば、商標には登録商標ならびに未登録商 標が含まれ、第78節および第79節に基づく違反は、登録商標および未登録商標のどちらに も関連するものであることが記載されている。本紛争はこれらの訴訟手続きを考慮するも のではないが、差し止め命令を認める際に裁判所が念頭に置いて評価するものは当該商標 の最初の使用者であり、したがってこの前例は原告を助けるものではない。原告側の弁護 士も、M/s Karam Chand Ganga Prasad & Anr, Etc.vs. Union of India & Ors., 1970年 (3) SCC 694における最高裁判所の決定を信頼したが、裁判所は本申し立ての事実に対する関 連性を理解するには至らなかった。原告が副検査官の報告を正式に発表していれば、本論 争には無関係な第3者によるこの観察は、差し止め命令拒否も考慮したであろう。原告は裁 判所に対して公正に申し入れを行わなかった。原告側の弁護士は、出願が被告らによって 行われなかったため、商標HARIYALIには被告らの有利になる厳密な譲渡がないと申し立 てた。これは申し立て文書で厳粛に議論されており、本商標が被告によって所有されるこ とになった方法については、申し立て文書で詳細に検討された。いずれの場合にも、約5年 の間、同一権限を持つ使用者が存在したというのが裁判所の結論であり、商標の登録が差 し止め命令の存在に関して一応成立する事件であることを規定するのみであるという事実 にかんがみて、本論議は意義を失う。

裁判所の決定:

原告の申請は退けられ、5000ルピーの費用支払いが請求された。事前に宣告された暫定命 令は無効となった。

意見/アドバイス

本件において、当事者らは互いに周知の仲であった。彼らは非常に長期間同じ商標を使用 してきた。彼らが同じ状態を継続させることは容易であったと思われる。しかし、一方の 当事者が訴訟を開始することで、うまく他方に勝てると考えた。本訴訟の過程で真実が明 らかにされ、原料の押収によって生じた一方の当事者のみの停止は破棄された。

再度本件の教訓を示す:決して裁判所を欺く行為を行ってはならない。申し立ては公正に 行い、裁判所に対しては常に清廉潔白であること。

本件のような評決が下された当事者の場合、その当事者に対する評価はいつまでも残る。

将来いずれかの司法裁判所または行政裁判所に対して訴訟行為が行われた場合、その当事 者に対する他の申し立てにおいて、その当事者の信用および信頼性を揺るがすものとして 引き合いに出されることになろう。

裁判での勝ち負けは重要なことであるが、不公正な方法で裁判に勝とうとすると、敗訴す るばかりでなく、裁判所の信頼と自らの評判を失い、それは取り返しがつかない。

よって、常に清廉潔白であること。