• 検索結果がありません。

ありがとうございます。皆様おはようございます。まずス ポンサーの方々に対し、今日この会議にご招待いただきまし たことへの感謝の意を表します。またNECの佐々木さんに は、NECにとっての情報技術(IT)部門の知的財産につ いて、非常に興味深く刺激的なお話をしていただいたことに お礼申し上げます。このお話から私も多くのことを学びまし た。私の講演から、産業革新と知的財産管理への示唆につい て、私たちの考えの中に多くの共通点を見つけていただけれ ば幸いです。

これは、今日の講演で皆様にお伝えする内容のあらましで す。私も佐々木氏がお話を始められたところから入り、私た ちが研究開発について考えるときに使う知的モデルの歴史を 取り上げます。というのも、それが今日お話しする知的財産 の源になるものだからです。このモデルの起源に触れたあと、

このモデルに関する批判を取り上げます。そして、多くの産 業では、私がオープン・イノベーションと呼ぶ新しいモデル を必要としているという提案を行ないます。この背景となる 一つの側面は、開かれたモデルに移行するにつれて、企業に とっては、知的財産開発を方向づけ、外部の知的財産利用を 勢いづけ、さらには知的財産を、自社と他社の事業における 知識と知恵の利用に結びつけるために、そのビジネスモデル がますます重要性を増すようになっていくことであると考え ています。

まず、20世紀中の多くの企業の研究開発プロセスを説明し ていると思われる、理想的な類型についてお話させてくださ い。私はこれをクローズド(閉じた)・イノベーションシス テムと呼んでいます。その理由をご説明しましょう。この図 の左側は、ある企業が自社の科学技術基盤を利用して研究を 開始します。そしてそれらの研究プロジェクトはここで漏斗 として示したところに入ります。この漏斗を他の言葉で表現 しているのをよく耳にされているでしょう。これはポートフ ォリオやパイプラインと呼ばれることがありますし、ステー ジゲート・プロセスと称されることもあります。しかしすべ ての事例において、これは一方通行になっています。この場 合、成果は新たな製品やサービスとしてその企業の市場に出 て行きます。

このモデルは長い間非常にうまく機能してきましたので、

このモデルを変える必要性について説明する前に、このモデ ルの多くの成功事例を押さえておきたいと思います。佐々木 氏は、情報技術におけるビッグバンについて言及されました。

これはこのモデルの成功事例のひとつですが、このモデルが 非常にうまく機能していたと私が思うのは次のような理由か

らです。企業が自社の研究開発によって達成した基盤技術の ブレークスルーは、新たな製品やサービスを生み出し、この 企業の売上や利益を増大させました。それがさらなる研究開 発への再投資につながり、技術の次のブレークスルーにつな がっていたのです。どのようにして有効な再強化サイクルと なっているのか、お分かりいただけるでしょう。

佐々木氏が示されたものに加えて、いくつかの例を挙げる ために、まず19世紀の化学産業について見ていただきたいと 思います。この分野では、ドイツの化学産業が社内研究所を 最初に設立して新たな染料を作り、化学物質の特性の研究と 商業化を進めて新しい製品につながったと、多くの経済史研 究者は考えています。そしてこのモデルはデュポンのような 企業によって、米国をはじめ他の国々に取り入れられ、米国 における研究組織体制のひな型となりました。

電気分野では、米国のトーマス・エジソンが、後のゼネラ ル・エレクトリック社とともに最初の社内研究開発工場を作 り、大きな成功を収めました。石油産業では、初代ジョン・

ロックフェラーが、石油において規模と多角化の巨大経済を 作り上げ、自然な独占につながり、スタンダード・オイル社 となりました。後に米国政府によって解体されましたが、彼 らが作った研究所の研究成果から独占が生まれたのです。

第二次世界大戦中は科学技術が大きく流動化しました。し かし非常に重要なのは、米国ではこの流動化が政府によって 国営化されなかったということです。正確に言えば、大学や 企業の研究所は、米国政府から研究資金を受ける独立した存 在として維持されましたが、研究者たちは米国政府の公務員 にはならなかったのです。そして戦争が終結した時には、多 くの大学や企業の研究所が、既に大きく発展した技術能力を 有するようになっていたのです。これが大変強力な知的資源 の基盤となり、第二次世界大戦後の米国経済の力強い成長に つながったと考えています。

ハーバードビジネススクールには、アルフレッド・チャン ドラーという大変有名な事業史家がいました。チャンドラー 教授は、20世紀における米国企業の隆盛は、これらの企業が 研究開発の管理を通じて実現した規模の経済と多角化の経済 によるものだとしています。ここではお見せできませんが、

日本の経済史においても、第二次世界大戦後から20世紀末に かけて日本企業が遅れを取り戻せたのは、それら企業の研究 所においてその規模と多角化の経済から多くの恩恵を受けた からだと言えるでしょう。

このように、このモデルは非常に長い間成功を収めてきた のです。しかし、この閉じたモデルの論理には隠れた前提が

「オープン インテレクチュアル プロパティ:知的財産管理を

あり、時間とともに、これらの前提がイノベーションのプロ セスに当てはまらなくなったということは注目に値します。

その第一の前提は「私がそれを発見したなら、私がこの発見 の市場を見つけよう」、第二は「私がこれを最初に発見した なら、この発見を所有する」というものです。これは私には 発見を使用する権利があるだけでなく、私の許可なく他人が それを使用することを排除するということです。今日の議論 では、「私がそれを最初に発見したなら、私は自分の知的財 産を保護することができる」ということになるでしょう。こ れはひとつの前提ですので、あなたの置かれた状況において この前提が妥当かどうかを考えていただきたいと思います。

この論理の第三の点は、「私が必要とする重要な技術は、私 が事前に予想することができる。ゆえに私が欲しくなること が分かっている発見を何年後かに生み出すような長期投資計 画を、今日立てることができる」というものです。このモデ ルは力強い技術予測を重視しています。そして最後に、人的 資源の観点から見たこのモデルの前提は、「その分野で最高 の人材が私たちのために仕事をする」というものです。そし てそのように優れた人材がまだ自分たちのために働いていな い場合、彼らを雇い入れ、自分たちのために働いてもらうた めの努力をするべきだというのです。

これは、私が知的財産管理の「ベストプラクティス(最優 良事例)」と呼ぶものにつながります。これらの事例は、そ の特徴において防衛的な性質を持っているものとみなすこと ができます。ひとつの原理は、「知的財産を管理して、自社 の技術者や科学者の設計の自由を保護したい」というもので した。多くの事例において、他の大企業と共同事業を進めた り対抗したりする際の典型的な対応というのは、他社の技術 を利用する見返りとして、自社技術の特許権の相互使用を認 めるというものでした。実際、知的財産を管理する者の目標 の一つには、知的財産権の侵害で訴えられるリスクを最小限 にするということがあったのです。この考え方では、事業に おいて、知的財産をさらなる収入源として利用することにほ とんど関心が向けられていません。また、自社技術の新たな 市場を探究する手段として知的財産を活用することにもほと んど関心がないのです。要するに、知的財産管理の目的は、

事態の悪化を防ぐ、あるいは最小化することだったのです。

オープン・モデルにおける優良事例は後ほど取り上げます。

さきほど、多くの産業においてイノベーションのクローズ ド・モデルはすでに時代遅れであると述べました。では、イ ノベーションのモデルに取り入れるべき変化について、その 理由となる5つの要素について説明しましょう。佐々木氏が 説明されたように、日本でも労働市場の流動化は以前より進 んでいます。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、米 国では、平均的な技術者はその職歴を通じて、およそ9つの 企業に勤務するのが普通です。そしてその社員がある企業か ら次の企業に移れば、たとえ雇用契約やその他の法律の保護 が整備されていたとしても、その社員は多くの経験とノウハ ウを持って新しい雇い主のもとへ移ってしまいます。新しい 雇い主は前の雇い主に対して、この知識や経験への補償を行 なうことは決してなく、その結果、中央の大組織から知識が 拡散します。より小さな組織へと知識が広く拡散していくの

です。そして小さな企業や新興企業にとっては、その価値あ る知識の生成コストを払うこともないまま、何年にもわたっ て価値ある知識を利用できることになるのです。

私が考える第二の要素は、大学システムの質の向上です。

これは、国立大学の独立行政法人化を進めている現在の日本 でも関心の高い問題でしょう。ご存知の通り米国では、この 変化は、長い、長い時間をかけて進んでいます。また、研究 資金源も変わってきていることは、理解しておくべき重要な 事実です。かつては多くの研究資金が政府から提供され、大 学が中心となって研究者同士で評価が行なわれていました。

そのため、大学の教官が取り組んでいる研究課題は、主とし て他大学の教官の関心事項でもありました。現在は多くの分 野で、企業が大学の研究資金の大半を提供しています。いま や、大学の教官が「産業界にとって重要で、私たちが取り組 まなければならない問題とは何か」を自らに問い始めている ということなのです。研究が学術界にとって興味深いもので あるということだけではもはや不十分なのです。現在は、産 業界にも意味があるという評価にも応えなければなりません。

というのも、産業界から提供される研究資金がますます増え ているからです。これは、産業界全体の基盤の資源として、

産業界のニーズに見合ったより多くのよりよい成果が大学で 生み出されているということです。これはあらゆる規模のす べての企業が利用でき、それがまたイノベーションを活かす 場を広げる効果をもたらしているのです。

私が主に米国の聴衆に向けて強調する第三の要素は、米国 企業の多くが自社の技術基盤の現状に満足してしまっている ということです。米国企業の多くは、その産業における最高 の技術は、米国から広まっていくという前提に立っています。

第二次世界大戦後、長年にわたってそれは真実だったかもし れません。しかしもはやそうとはいえません。現在多くの産 業では、最高の製品、および最も素晴らしい新技術や新標準 が、米国外でも生まれているのです。国内企業にのみ学ぶこ とに慣れた米国の企業は、もはや大いに不利な立場にあるの です。米国企業が産業界で最前線に立ち続けようとするなら ば、新たな技術や業務提携先、そして新しい研究を探索する 際に、よりグローバルにならざるを得なくなっていくでしょ う。

佐々木氏の講演では、日本政府にとって最も重要な政策対 応として規制緩和が挙げられたという調査のお話がありまし た。これは私が第四のポイントとして考えていたものです。

反トラスト政策や、新しい産業分野において多くの新興企業 が生まれたことによって、何年も前の長期的な研究投資を支 えた強力な売手寡占の地位は、―コンピュータ産業における IBM、通信産業におけるAT&T、製薬産業におけるメル クを思い浮かべていただければわかると思いますが―これら の企業の市場での地位は、現在大きな攻撃を受けており、も はや投資を維持するだけの市場における強みを持たないため、

長期的な支出の削減を余儀なくされています。

現在も進行している最後の要素とは、米国における巨大な 成長です。そして、日本でも成長はまだ終わっていません―

しかし、ベンチャーキャピタル業界は、おそらく30年前に比 べれば力をつけて重要さを増しています。そしてこのことが、

Outline

関連したドキュメント