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送がそれ以前であることは間違いない。

 選衡結果の連絡を、当日中に電話などの方法で県が受けた後に、合格 通知が発送されたか、志願者があらかじめ県に連絡されており、選衡段 階で既に通知の発送準備がされていたか(この場合は不合格者を除外す る必要があるが)、さらには県の合格通知が、合格者名空欄のまま発送 され、受領した役場で氏名が記入された可能性さえも否定し得ない状況 にあり、そのいずれが真実かは定かではない。

 この時期の県内の動きを整理すると、1940(昭和15)年2月3日の学 務部長通達から動きが見られる。その全文は、

 昭和十五年二月三日

      学務部長  各市匿町村長殿

 各職業紹介所長殿

 昭和十五年度満蒙開拓青少年義勇軍割當拉二入所時期二關スル件 満蒙開拓青少年義勇軍ノ送出二關シテハ従来ヨリ種々御配慮相煩居候 庭今般左記ノ通明年度割回数拉二入所時期等拓務次官ヨリ本縣知事宛 通報有之候条左記事項御了知ノ上之が送出二關シ格別ノ御三三相煩度

一.第一次入所時期二於テハ青少年義勇軍市郡小隊編成部隊ヲ送出セ   ル豫定ナルヲ以テ拓植訓練講習會終了地響二塁テハ極力之が勧誘   送出二男メラレ度

二.第二次以降二於テハ子下一般ヨリ募集セラルルヲ以テ極力之が送   出二子力闘ラレ度(5)

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というものである。残念ながら、割当数の明示はなされていないが、拓 務次官の通知を県が受け取り、それによって兵庫県内の昭和15年度義勇 軍募集が本格化したものであることは間違いない。ところが、募集が軌 道に乗らなかったせいか、約1ヵ月後に再度通達が出されている。その

全文は、

 昭和十五年三月九日

      学務部長  各市医町村長殿

 各職業紹介所長殿  各青年學校長殿  各高等小歌校長殿

 満蒙開拓青少年義勇軍兵庫中隊編成送出二關スル件

 満蒙開拓青少年義勇軍募集送出二關シテハ種々御配意相煩居候虜今 般拓務省ノ計書目基キ其ノ大量送出ヲ爲ス爲来ル三月末標記兵庫中隊

(約三百六十名)ヲ編成送出スルコトト相成リ左記ノ豫定ヲ以テ計書 遂行二努メツツ有之候二付イテハ此ノ際格段ノ御配意ヲ以テ貴部内關 係方面ト協力御勧奨ノ上適格者多数御推薦相煩度

一.兵庫中隊ハ六箇小隊ヲ以テ編成シー箇小隊人員約六十名トス ニ.募集締切期日 三月十五日

三.兵庫中隊ハ三月二十七日神戸出獲三月二十八日内地訓練所へ入所   ス

四.応募所要書類願書二通、身上書四通、戸籍抄本二通(6)

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という内容である。募集人員は、前年12月の報告で、兵庫県が編成可能 とした数に一致しており、この数字には県当局の強い願望が込められて いたものと思われる。しかしながら、3月9日付の文書で提示された3 月15日という募集締切期限は、受け取った末端機関にとっては極めて厳 しいものではなかったかと想像される。先に見たように、兵庫県からの 合格通知が、発信日の5日後に坂越町役場で受領されたことを思えば、

(至急)の扱いでもないこの文書が県内全域に行き渡るためには、その 程度の日数を要したであろうから、多くの地域では、受取の直後が募集 締切期日となってしまうのではないかと考えられる。

 募集締切期日に指定された3月15日が、赤穂郡内の義勇軍志願者の選 衡日となっているのは、決して偶然ではなく、いわば駆け込みで期日に 間に合わせるために選衡が実施されたと見る方が自然であろう。赤穂郡 以外の地域の状況は、十分には把握しきれなかったが、神戸市では3月 8日から11日にかけて、 「神戸市興亜青少年義勇隊講習会(7)」なるも のが実施されており、また、川邊郡においても、3月4日から8日にか けて拓植訓練講習会開催の記録が残されている(8)。したがって、募集 締切期日の直近において、県内各地で義勇軍応募のための活動が展開さ れたことはほぼ間違いなく、その募集や選衡には、赤穂郡以外において

も各郡市教育会が深く関与していたと思われる。

 坂越町では、郡教育会長の通達に従って、3月24日置町内の縣社太避 神社で合格者3人の壮行式が挙行されている。県からの合格通知には

「一人二付饒別トシテ拾円贈呈ス」と担当者の書き込みがあり、少年た ちは出征兵士に準ずる扱いで、盛大に送り出された模様である。

2.兵庫県教育会の動き

ドキュメント内 兵庫県における満蒙開拓青少年義勇軍と教育 (ページ 136-139)