限が、わずかに1ヵ月後の2月15日であることからも推察される。加え て、現地訓練所の設営に、多くの労力を要するという事情も重なってい ることから見ても、短期間のうちに、大量の訓練生確保が必要であった ことによる措置と推察される。
「募集要綱」では、募集人数が明記されていないのは、その確定を見 ていないからであろうが、「実施要領」と同様に、5万人を前提とした ものであることは間違いない。「募集要綱」は、1938(昭和13)年1月 11〜15日にかけて、全国8ヵ所で開催された満蒙開拓青少年義勇軍募集 のための協議会で公表され、表2−1の割当が道府県に示されているか
らである(3)。
表2−1 5万人案府県別割当
府県名 割当i数 府県名 割当数 府県名 割当数 府県名 割当数 北海道 1,000 東京 1,000 滋賀 500 香川 1,700 青森 1,000 神奈川 900 京都 700 愛媛 800 岩手 1,200 新潟 2,000 大阪 600 高知 600 宮城 2,500 富山 650 兵庫 1,000 福岡 1,000 秋田山形 1,2502,500 石川福井 1,000550 奈良和歌山 1,200500
櫃
長崎 600900 福島 1,200 山梨 650 鳥取 800 熊本 1,500 茨城 1,000 長野 2,500 島根 400 大分 1,000 栃木 900 岐阜 1,000 岡山 1,250 宮崎 650 群馬 1,000 静岡 1,000 広島 1,550 鹿児島 1,500 埼玉 1,300 愛知 1,200 山口 1,000 沖縄 500 千葉 800 三重 1,000 徳島 650 計 50,000ただ、「募集要綱」は作成主体が明記されていない点で、極めて奇妙 なものと言わざるを得ない。その意味では暫定的なものとの解釈も成り 立ち得る。しかし、時系列を整理し、要綱の文脈を読むと、前述の理由 書の決定から後に、上記「協議会」での説明までの間に拓務省が作成し たものと推測されるから、作成主体を明記していないことに、あえてそ れを曖昧にしょうとする意図があったと考えなければならない。
一50 一一
(2)満州青年移民実施要綱
『満州開拓史』に掲載されている、「昭和13年度満州青年移民募集要 綱」のあとに、気になる記述がある。それは、
こうして政府は昭和13年度内に3万人の青少年を満州に送ることに なったが、議会の協賛を経ない間は公表し得ない建前上、公には昭和 13年4月から実行に着手することにした。しかし、現地の事情は早急 を要するので、1月中旬から全国的に募集を開始し、1月下旬から続 続内原訓練所に入所し始め、3月上旬までに約6500名の入所を完了し
た(4)。
と言うものである。先に触れた、「募集要綱」で、作成主体をあえて明 確に記載しなかったことの理由を、ここでは議会の承認がなかったこと への配慮としている。全国8ヵ所で開催した協議会で「募集要綱」の説 明を行ない、各道府県に対して割当案まで呈示したにもかかわらず、そ れを公表と表現しないことは理解に苦しむが、 「募集要綱」において募 集主体を明記し得なかったのは、この事情によるところが大きいという
ことは理解できる。
前年7月に「青年農民訓練所(仮称)創設要綱」が関東軍決定を見た 直後に、満州移住協会などの判断で「轍江開拓訓練生」を送出したこと は既に述べた。そして、この「議会の協賛を得ていない建前」に配慮す る姿勢を取りながらも、公然と募集活動を強行した事実も含めて、先行 する勢力が創りあげた既成事実を、行政や議会が常に追認する形となっ ていることは、この時期にしばしば見受けられたことではあるが、満州 移民政策も例外ではない。
一一@5 1
拓務省にとっての懸案は、第73帝国議会における移民予算の行方であ った。詳細に触れることは避けるが、義勇軍関連の予算については、初 年度3万人の送出で決着を見ている(5)。
ここにおいて、拓務省は「実施要領」以来の5万人送出を前提とした 義勇軍送出計画を、3万人規模に改める作業が必要となった。その結果 公表されたのが、 「満州青年移民実施要綱」 (以下「実施要綱」と略 す)である。 「実施要綱」では、昭和13年度の送出数を「差当り」との 含みを残しつつも3万人と規定したほか、募集機関も道府県と明記し、
満州移住協会等は協力機関という位置づけに納まった。1月段階の「募 集要綱」においても、その手続きについては、
希望者は市町村長、學校長、又は青年團長、其他関係團髄長に申 出、その推薦を経て左記書類を市町村経由、縣に提出すること(以下
略)(6)
となっており、実質的には送出関連事務は道府県がまとめることとなっ ていたが、 「実施要綱」において、義勇軍の募集機関が道府県と明記さ れたことは、後に「割当」が課せられるという形態が生み出されるもと
となった。
この「実施要綱」に基づいて作成されたのが、 「昭和13年度満州青年 移民募集要綱」であるとされる(7)。同要綱は、同年4月5〜11日にか
けて全国5ヵ所で開催された、満州移民地方事務協議会に召集された道 府県学務部長に示されたものであろう。注目すべき点は、応募資格が極
めて具体的になったことである。その部分を抜き出すと、
52
二.応募資格
(一)年令
数え年十六才(早生まれは十五才)ないし十九才(但し十二月生 まれの者に限り二十才にても差支えなし)とす
(二)経歴
尋常小学校の課程を終えたる者、但し職歴はその如何を問わず
(三)健康状態
身体強壮にして、呼吸器病、神経系疾患、脚気、悪性歯平ならび に耳鼻疾、痔痩、脱腸、およびトラホーム、済癬その他の伝染性 疾患等、現地における農耕または共同生活に支障を生ずべき疾患 なき者に限る
(四)その他
意志翠固にして満州に永住の決心を有し、かつ父兄の承諾ある者 に限る。(8)
となっており、なかでも、経歴についての記述が、これまでに検討を加 えた募集関連文書の中では、初めて加えられたことに、注目しておく必 要があろう。 「尋常小学校の課程を終えたる者」ということは、対象年 令に該当する、ほぼ全員の男子に資格があるということに等しい。さら に「職歴」との文言は、対象年齢層にあっても、比較的高い年令の者の 参加を当局が想定していたことを感じさせる。
経歴については制限がないと言っても良い程度のものであったのに比 して、健康状態については、厳しい制限があったことは対照的である。
結果的に見て、これらの疾患や渡満した者の「意志」といった条件は、
試験移民以来の経験から出てきたものであり、それまでの成人移民は、
一一
@53一
まさに上記の諸点で困難に直面していたことが読み取れる。
それに伴って示された「詮衡方法」も、人物検査と身体検査の2検査 が行われることとなっているが、応募資格において健康状態に厳しい条 件がついていたことから考えて、検査の力点は身体検査におかれていた
ものと推測される。
ここまで述べた「昭和13年度満州青年移民募集要綱」と区別する必要 があるものとして、 「昭和13年度満蒙開拓青少年義勇軍募集」なる文書
も存在している(g)。先に考察した、作成主体が明記されない「募集要 綱」では、費用に関して、
郷里出発の際は別項の携帯品を要するも其後独立の農家となる迄数 年間に要する経費は父兄等の仕送りを要せざるものとす(、。)
とあったものが、 「義勇軍募集」では、
郷里出発の時より現地訓練終了の時迄に必要な費用は一切本人の負 担としないが、現地に到着する迄の雑用として五円以内の小遣銭を持
参する方がよいと思います。(、、)
に変わっている。すなわち、内地訓練は約2ヵ月、現地訓練は約3年と の規定からして、1月段階に示された、数年間無料の方針は、わずかの 間に後退している。既に先遣隊の募集は始まっているから、1月段階の
「募集要綱」を見て応募に踏み切った者については、費用についての待 遇が変更されたはずである。これは、金銭面の条件によって義勇隊員を 多く募集しようとしたものの、予算削減によって、その意図が挫かれた