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値を取り上げることとした。しかし、応募動機としては、先の分類で見 た「経済的動機」や「国策への貢献」は、この表にはないため、単純に 比較することは避けなければならない。調査時点でそのような選択肢が 用意されていなかったのであろう。

 したがって、この資料において確認できるのは、教師の勧めによる応 募が極めて高い確率で全国的に認められることである。また、講演や映 画は学校を会場として実施されたであろうし、そこではポスターの掲示 も行われていたはずであるから、その解釈を「学校」という範囲にまで 拡大することは可能であり、その判断に立てば、学校の関与は数字以上

に重かったことになる。ただ、先の資料もそうであったように、この資 料の応募動機についても、主因と誘因との見分けが極めて困難であるか ら、参考資料という域を脱するものではなく、これを根拠とした断定は 避ける必要があろう。

 また、若干気がかりなのは、中隊史に見る藤原中隊員の渡満動機と、

拓務省調査による応募動機が、必ずしも一致しないように見えることで ある。戦後50年近くが経過した後に編纂された中隊史と、戦争の真つた だ中にあって、少年たちが当局者の調査に対して回答したものとは一致 しないことのほうががむしろ自然なのかもしれないが、中隊史では中隊 員の20%程度が動機について記述しているのみであって、それを全体像

にまで拡大して理解することは危険も伴う。しかし、中隊史に渡満動機 を掲載している49名の中では、教師(或は学校)を挙げているものは半 数に満たない数であるから、資料として掲げた数:値とは、傾向としては 一致しながらも、数値としては開きがあることに注意が必要ではないか

と考える。先に気がかりと表現したのはその点である。

 その開きはどこからくるものであろう。以下は推論である。最も単純

一126 一一

に考えられるのは、中隊史に渡満動機が記載された49名以外の隊員すべ てに回答を求めたと仮定した場合に、その回答が表3−10に極めて近い 数値となると考えるものである。別の考えは、50年の歳月を経て、義勇 軍参加者の考えが次第に変化したのではないかというものである。いず れもその可能性においては決定的なものではない。どちらかと言えば後 者に分があるように思われる。

 本研究を始める前の段階にあっては、教師に対する風当たりの強さは 決して小さくないと予想された。義勇軍が教育と深い関わりがあり、志 願動機の中で教師の勧誘が上位にある事実からすれば、そう考えること が自然であった。簡潔に言えば、「隊員たちは今でも教師を深く恨んで いるだろう。」ということである。しかし、意外にも取材の中では、そ のようなことばを耳にすることは皆無だった。彼らは長い歳月の流れの 中で、次第に「自分の決断であった。」と、自己の責任においてその事 実を完結させようとしているようにも思える。その背景には、「生きて 故国の地を踏めただけでも自分は幸運であった。」という意識が働いて いるのであろうか。或は、教師の勧誘であっても、経済的事情を考慮し た上での勧誘であれば、後者を動機と考えるような冷静な分析が今にな って可能となったと言えるかもしれない。

 藤原中隊員の中にも、「自分自身でもわかりません。」という回答も 1名だけ見られる。少数意見が分類・集計によって消えないように、全 員の渡満動機を全文を掲載したのは、このような記述に目が止まったか

らでもある。単純な要因ばかりでなく、複合した要因によって志願が決 定したとしたら、隊員自身もそのどれが決定的であったかを決めかねる

ということはむしろ自然であり、またその場合、隊員の意見は時間の経 過とともに揺れ動いたり、或は変化したとしても不思議ではない。その

一一

@127一

点について、河野胱毅氏(昭和18年兵庫県編成五十川中隊員)から、

 「志願動機と言われても、その時はそうすることが当然なのであっ て、その決断が何によるのか決定的なことは何とも言えません。経済 的動機とか、教師の勧めとかは、後になって考えればそういうことだ ったかもしれないという程度に過ぎないように思います。私の場合 も、先生から話があった時には、拒否するも何も、ごく自然に話が進 んだと思いますし、先生が執拗だったという事実も思い当たりませ ん。強いて言えば、教育全体がそうなのであって、義勇軍だけがそう だったわけではなかったのでしょう。」(g)

との話があったことが印象深い。少なくとも、取材の範囲内では、彼ら は志願を勧めた、個々の教師に対するある種の憎しみについては、時間 の経過とともに感情の整理がついた(或はつきつつある)というように は感じられる。しかし義勇軍という制度や、当時の教育体制といったも のまでも許容しているというわけではないというのが共通の感覚であろ

うか。

1)櫻本富雄 r満蒙開拓青少年義勇軍』 (青木書店1987)P.74 2)蘭信三 r満州移民の歴史社会学』 (行路社1994) P.95 3) r満州開拓年鑑康徳11年版』 (満州国通信社1944) P.71  ※満州歴康徳11年は昭和19年冬あたる。

4) r満蒙開拓殉i難者之碑建立記念の栞』(兵庫県拓友会1974)

ドキュメント内 兵庫県における満蒙開拓青少年義勇軍と教育 (ページ 128-131)