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第3節 満蒙開拓青少年義勇軍の変質

1.都市出身者の増加

 満蒙開拓青少年義勇軍は、青少年による満州移民という国策への貢献 を目指すものだったはずであった。しかし、その中には国内農村対策と 思われる部分が、当初から存在していたが、関東軍にとっては、簡単に 軍事目的に転用が可能な安価で利便な制度であったことも疑いなく、発 足の段階から、名目と実態の乖離が起きていた。ここでは義勇軍に見ら れる内容の変質について検討する。

       左表は、1938(昭和 表3−14 都市・農村出身地域別

農村 農村一都市 都市 都市青葱

1期11810 275 470 86 12641

割合 93.4% 2.2% 3.7% 0.7% 100%

2期3703 250 244 33 4230

昭和13年度

割合 87.5% 5.9% 5.8% 0.8% 100%

3期3828 284 289 50 4451

割合 86% 6.4% 6.5% 1.1% 100%

合計19341 809 1003 169 21322

割合 90.7% 3.8% 4.7% 0.8% 100%

1期3727 172 247 27 4173

割合 89.3% 4.1% 5.9% 0.7% 100%

昭和14年度

2期997 100 94 9 1200

割合 83.1% 8.3% 7.8% 0.8% 100%

合計4720 272 341 36 5373

割合 88% 5% 6.3% 0.7% 100%

累計24065 1081 1344 205 26695

割合 go.1% 4.1% 5% 0.8% 10⑪%

備考

 農村とは本籍・現住所共に農村にある者。農村一都市とは本籍が農村現住所が都市の者。

 都市とは本籍、現住所共に都市の者。  都市一農村とは本籍が都市現住所が農村の者。

び「農村一都市」といった都市居住者が漸増していることに、既にこの 段階で言及している。満州移住協会では、農村出身者の減少傾向に伴っ て、相対的に都市居住者が増加する結果となったと分析しており、この 13)年度及び1939(昭 和14)年度の内原訓練 所入所者についての、

出身地に関する集計で ある(、)。義勇軍の性 質から考えて、農村出 身者が圧倒的であるこ とは予想通りの結果と なっているが、調査を 行った満州移住協会で は、初年度に比べて2 年目には、「都市」及

現象は随伴的なものと見ている。しかし、調査の結語において、義勇軍 募集に見られる傾向として、「高等小学校卒業者の増加傾向」、「二・

三男の増加傾向」、「農家子弟の漸次減少傾向」の3点を指摘している から、極めて早い段階において、都市からの義勇軍応募が増え始めてい ることに当局では感づいていた。

 その傾向は翌年以降も継続し、上記の調査から約2年を経過した1942

(昭和17)年4月23日に、拓務省拓北局青年課が実施した同種調査にお

いては、

 家庭の職業別では農業が例年の通り最多数であるが、今年度は8042 名で65%を示し、一昨年の73%、昨年の69%と比較すると漸減の傾向

にあり、 (中略)農業者以外の子弟の応募が漸増する傾向は現下の情 勢に於ける一つの傾向を示すものとして注目に値する(2〕。

との判断が示されているから、都市からの義勇軍志願者の増加傾向は、

当局も注目するまでになった。

 先に、兵庫県の義勇軍送出数が終末期の1944(昭和19)年度におい て、都道府県別の第4位にまで上昇したことを「特異的現象」として注

目した。そして、その現象がいかなる要因によってもたらされたものか を考える上で、都市居住者の増加傾向は、重要な意味を持つものである と言える。この年は、兵庫県においては義勇軍2中隊が編成されている が、1中隊が神戸市単独で、そしてもう1中隊が神戸市以外の郡市で編 成されており、結果として2中隊を編成し得たことが送出順位の急上昇 につながった。ということは、神戸中隊の編成が、兵庫県の送出順位上 昇に大きく貢献したことになり、その事実は、都市部からの志願者漸増

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傾向の延長にあったことになる。

 では、都市部からの義勇軍志願者漸増傾向は、いかなる原因によるも のであろうか。これについての確定的な結論は得られなかったが、軍需 産業等へ労働力が集積された結果、年少労働者が都市部に集中したこと

と何らかの関係があるとの推定が最も有力と考えられる。

 戦争の末期及び戦後期の少年犯罪増加の原因について、雑誌r兵庫教 育』第592号は、

(一)父兄の出征のため母姉が屋外労働に従事した結果、保護監督に   欠陥が生じた。

(二)学校が軍需工場、倉庫に、男教員が兵士にと、教育機関が動員   され、児童への教育がおろそかになった事。

(三)労働力の需要が変則となり、少年工が要求され、従って少年工   の賃銀は不自然に多く、学校をやめて工場に働くものが続出し   た。

(四)警察官の応召者が多く、犯罪捜査に手不足をきたした。

(五)戦争映画、出版物などで、少年の冒険心が挑発された。(,)

と分析しているが、これは、第1次世界大戦後のドイツを例として検討 されたものである。日本でも、戦争が長期化する過程において、一般成 人労働力は極度に不足したため、年少者や婦人の労働力が大きな期待を 集めることになったが、尋常小学校(或は国民学校初等科)卒業時に は、「青田買い」まがいの行為も頻発するほどに労働力不足は逼迫して いた。都市部に限らず、農村部の学校にもその手は伸びたはずであり、

貧農にとっては、「ロベらし」のみならず、農村労働に従事する以上の

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高額の賃金を子弟が手にするとあれば、親はむしろ喜んでその道を進ま せたであろう。しかし、その結果は必ずしも好ましいものではなく、当 時の新聞報道では、「享楽少年の激増」や、「少年の不良化防止」がし ばしば話題に上っており、そこでは、少年の保護手段の一環として、彼 らに対する職業指導の必要性も訴えられている(4)。

 先に1945(昭和20)年の兵庫県内の義勇軍募集割当が、國民勤労署単 位で行われていた事実に言及したが、そうした方式がとられた背景に は、年少労働者保護の目的があったものと思われる。國民勤労署は管轄 地域内の学校との連携に立って、義勇軍志願者募集の調整を行うという 役割を担うと同時に、労務需給をにらみながら、管内の学卒者の割り振

りを指導するという役割を担っていたものと理解できる。

 当局にとっても、少年犯罪増加傾向は憂うべきものであった。そのこ とは、先に掲載した国民勤労署単位の割当を含む「昭和二十年國民町勢 修了者ノ職業指導及ビ職業紹介二關スル件」なる文書が、兵庫県の警察 部長と内政部長の連名で国民勤労署長及び国民学校長宛に発信されてい ることからも推察される(5)。これまで義勇軍関連公文書は、概ね兵庫 県学務部長名で発信されてきたにもかかわらず、この文書が全く異なる 部署たる警察部長と内政部長から出されたことは、その中に治安対策の 意図が濃厚であることを示すものである。また、兵庫県関係の義勇軍が 神戸を出発する際には、兵庫県保護課長が何度も出席していることは、

義勇軍と少年保護との間に何らかの関係があったことを示す傍証でもあ る(6)。先に学校で進路指導・職業指導の一環として、教師が義勇軍の 勧誘を進めたという構造について指摘したが、学校にそのような動きが 持ち込まれた一因は、こうした少年犯罪増加の予防的措置への期待も含

まれていたからであろう。

ドキュメント内 兵庫県における満蒙開拓青少年義勇軍と教育 (ページ 157-160)