第三章 近世日本と朝鮮における「文人」形成と「知」の体得
第三節 「知」の体得から「文人」形成へ
3.2 近世大坂の儒学塾の「知」の体得の実例
145
次の「書贈孫兒駿命」の記録を概観すると、成大中家の学は詩と文章によって著しく、
とりわけ、成大中は易経から論語に至るまでを深く探求していた。注目すべきは、成大中 家の後代が先代の志を奉り、失墜しないように常に心掛けているという文章である。先代 の志とは、②にあるように、「読書は聖賢に帰るため、発言は王のために徳をもって人々を 教え導くため」というものである。まさに、成大中家の人々が「知」の体得を通して目指 すべき行動と心構えについて強調しているとも言えよう。故郷・抱川における教授を業と していたことについてつづった内容からも「学者欲為己乎。抑為人也。」(成海応「師說」
『研経斎全集』巻十)が確認でき、成大中家における「知」の位相が想定できる。
さらに、③では成大中家で子供にどのような順番で「知」を体得させていたかについて述 べられている。その内容をみると、いずれの経書は漢の儒者と宋の儒者による注や記録を比 べ合わせることを通して、すぐれている点とよくない点を考えさせていたことがわかる。こ のような「知」の体得法からなる成大中家における家学の継承は、単に科挙への合格者を輩 出し一家の安寧を図ろうとしたものではなかった。むしろ、故郷のために果たすべき責任を 家学の継承を通して実践しようとした。その継承とは、庶孼という身分的限界のため先代の ように政事に参加することはできないにしても、学問と教授を通して、先代からの教えを受 け継ごうとする試みであった。その精神は、依然として世家・名門家であることへの自覚に ほかならないのであろう。
146
辻本は儒学とは経書を読むことに徹した学問であり、その基礎は素読にあると指摘した。
さらに、素読とは声を出して暗唱して、まるごと覚える、からだ全体を動員してなされる読 書学習法であるが、辻本はその過程をテキストの「身体化」と表現した。日常の言葉と性質 を異にするテキストの身体化により、「ある種の思考形式を生み出す源泉となる」と指摘し た(辻本雅史:1999、p70-72)。このように素読による身体化は、「知」の体得をする上で、
もっとも最適かつ基礎的な課程であったとされるが、素読が終わると経書の一字一句の意 味を解く講義155を受けるようになる。さらに、その講義の段階が終わってから行うのが会業 である。会業は 10 人前後の人々が集い、共同で学習をすることをいう。会業にも会読156と 輪講の二つがあるとされるが、その相違については表 7 にまとめた。
(表 7)「会読」と「輪講」
会読 輪講
扱うテキスト 史書、詩文集など経書以外のもの 経書(四書五経)
やり方 担当が順次にテキストを読み進む 担当が順次にテキストを講義
質疑討論の有無 有 有
目的 相互に誤りを正し合いながら読書 経書を異端と弁別しながら解釈
進行役の有無 有(会頭) 有(会頭)
表 7 の内容を踏まえると、会業の目的、あるいは特徴とは、儒学のテキストを媒介として 共同・集団的に「知」の体得を営むことであった。これは「知」をより浸透させるための作 業であったと思われるが、具体的な方法としては質疑討論が用いられた。このような特徴は、
155講義も「講釈」と「講談」と分かれているとされるが、「講釈」は経書類のテキストの解 釈をすることに対し、「講談」は経書を用いず、話題を取り出して道徳教化を目指すもので あったという(辻本雅史:1999、p78)。
156 『江戸後期の思想空間』の中で、前田勉は「会読」は荻生徂徠によって創案されたとい う。会読には討論が付いているが前田は「会読での討論の体験が基礎となって「他者」との 討論・対話を通じて「公論」が形成される」と分析した(前田勉:2009、pp14~16)。
147
本研究で取り上げる例で言うと、片山北海の塾の会業からも確認することができる。
北海の書堂の会業は、書課数葉。北海初め巻を開いて復た翻閲せず。諸子の議論蜂起す れば、北海これを断ず。明晰にその註釈を暗記し、一も失せざるなり。(『在津紀事』)
記録からもわかるように、会業では書籍を読む前に、集った人々の議論が繰り広げられて おり、北海はそれを断とうとしなかった。また、書籍の注釈を暗記させ、忘れないようにも した。そのようなやり方は辻本のいう身体化に通じる、まさに「知」の体得のあり方と言え よう。さらに、辻本は素読や講義、会業など書を読むための学習段階のほかに、重要な学習 法として詩文の実作をあげた。その詩作の際には古典をその模範とし、完成した詩は師匠か ら添削を繰り返し受ける方式をとったとされる。では、ここでは菅甘谷塾に焦点を当て、そ の会業の営みがどのようなものであったかについて検討を加えてみよう。結論から言うと、
菅甘谷塾の会業は会読にその進め方が近く、会業の席でも詩作が行われていたと言える。こ こで具体的に菅甘谷塾の「会業約157」を取り上げる。
一、①夫れ社を結び修業するは、要は切思に因って道に進むに在り、固より才学を競ひ、
敏捷を争ふこと、科場の如く然るに非ざるなり。また風に吟じ月に嘯き、遊観するの 類に非ざるなり。須く尋繹粉砕し、苦思して焦腸すべし。軽易なること勿れ、忽卒な ること勿れ。
一、②懐き来る所の前題は、披吟に及ばず、当にみな案上に束ぬべし、後事に至り、全 声を試み、玉律に合し、以て絃管に代ふ、亦会上の一雅劇なり。
一、③客、後先、随つて至る。拠つて便坐し、席を譲るなかれ、語を闘はすことなかれ、
157 原文は『甘谷先生遺稿』に収録。本研究では、梅溪昇:1998、pp156~157 から翻刻文 を引用。番号は筆者による。以下、同様。
148
箕踞自在、須く探韻して思を構すべし。大抵、周旋従容として、当に家に在つて起居 する如くなるべし。小者、忌憚急迫の態ならば、則ち工夫、意の如くならず。
一、④賦して成つて艸に属すれば、須く主人に示すべし。其の瑕疵および調わざる者あ らば、之を指摘し、之を評論し、反復再参して後に、編全かるべし。是れ則ち百錬千 鍛、欧冶の手なり。
一、⑤一人、篇もし早く就り、已に浄写し了るも、先に出だす勿れ。衆作みな浄写し了 るを須つて、而る後に俱に出すべし。何となれば則ち、一犬吠ゆるときは則ち百犬こ れに随ひ、必ず挙坐、心忽忙たり。
➀は冒頭に「社を結び修業するは」とあるように、会業の目的が述べられている。その目 的とは、切に思うことによって道にすすむことであり、科挙の場のように才学を競い合うこ とではないとはっきり示されている。それは科挙制度を持たない近世日本特有の教授方針 といってもよいと思われる。何より、徹底的な探究の大切さを説くとともに、そのためには 軽率さや態度の変化、風流な遊びなどを警戒すべきと言っている。
②からは会業における詩作方法を確認することができる。まず、すでに知らされた題で作 った詩は吟ずる前に、まずは机の上に束ねて置かなければならなかったようである。興味深 いのはその詩を吟ずる際に、全声、すなわち、弦楽器の代わりに、低い音を出しては玉律の 笛の音に合わせていたことである。「会上の一雅劇なり」とあるように、これは菅甘谷塾の 会業における特色とも言えよう。
さらに③をみると、「会業約」には休息の時の掟までが定められていた。さらに、詩作 の際に探韻、すなわち、詩会で列席者が韻にする字を出し、くじ引きで 1 字ずつが割り当 てられ漢詩を作ることを通して、思いを詠ずることが強調されている。特記すべきは、「会 業約」が周旋、すなわち、日常の立ち居振る舞いについてまで言及している点で、「立ち 居振る舞いはもの静かにして、まさに家で日常の生活をするようにするべきである」とい
149
う。これらからは塾に集う人々、たとえば、儒者を目指すことを目的としない人に対して も、儒学や詩を学ぶ者として必要な心構えや立ち居振る舞いを身につけさせようとする 会業の目的が窺える。
続く④と⑤には、詩を賦し、修正および提出するまでの流れが述べられているが、総じて いえば、まだ、個々人の詩作における個性を生かそうとはしていない。その代わり、百錬千 鍛することによって一人前の漢詩人を育てようという目的に徹していた。すなわち、賦した 詩はその欠点等を指摘、評論し、何度も再考し完成に至るのであった。さらには、競争を避 けるという意味からも、一人が早く書き写したとしても先に出すことは許されず、その場の 皆が浄写し終わってから一斉に出すのが掟であった。最後の文章にあるように、その理由と しては「一犬吠ゆるときは則ち百犬これに随ひ」すなわち、一座のみんなの心が乱れること を警戒しているためであった。このように厳格な掟のもと会業が行われたのは、まだ、この 段階においては一人一人が詩人、あるいは、文人と呼ばれるにふさわしい能力が備わってい なかったためであろうが、先述のように儒学の塾が「文人」形成を後押しすることができた のは、まさにこのような厳格な過程を通してでのことであっただろう。
上記の辻本の分析に基づき、近世儒学塾における学習の段階を素読から詩作までとする のならば、菅甘谷塾の例でわかるように、18 世紀大坂の儒学塾の会業は経書や漢籍を探究 する場であると同時に、詩作の場であった。大事なのは、内容を管見する限り、同人たちは 菅甘谷塾など儒学の塾で単に儒学や詩作を習得しただけでなく、文人として相応しい姿勢 や立ち居振舞いまで身につけさせられていた。それは、近世大坂に開かれた儒学の塾が社を 結んだ目的や担った役割の一つを示唆している。このような試みこそ、近世大坂の儒学塾に おける「知」の体得の特徴と捉えることができよう。
もう一つ看過してはならないのは、上記のような会業の営みが、近世京坂文人の詩社に おける土台となっていた点である。なぜなら、次章で確認することとなるが、菅甘谷塾の
「会業約」からみられる特徴は、後の蒹葭堂会の会約にも継承され、さらに、混沌社にお