• 検索結果がありません。

成大中の世好を中心とする交遊

ドキュメント内 著者別名 JEONG Kyungjin (ページ 192-195)

第四章 「文人」を体現する-結社から隠逸まで

第三節 文人交遊から隠逸へ

3.2 成大中の世好を中心とする交遊

ここからは再び成大中家に焦点を当て、第三章で取り上げた成海応の「詩社記」にみるよ うな交遊が家門に限定されていたわけではなく、より広い範囲の文人たちとの間でも行わ れていたことについて検討する。その前に、成大中の「行状」から抱川の成大中家で行われ

188 た交遊の様子をまず、確認しておこう。

遂返抱川之鄕廬。日与所好朋友優游觴詠。教導後生。不知倦也。

(成海応、「先府君行状」『研経斎全集』巻十)

成海応の記録によると、成大中は抱川の粗末な家で毎日のように朋友たちと交わること を好んだという。注目すべきは、その交遊が酒を飲み、詩歌を吟ずる觴詠を通して行われた ことであり、これは京坂文人の例にも通じている。前章で論じたように、記録に成大中が後 輩を教え導くことをも好み、それらに飽きることがなかったと綴られている。注目したいの はこのような交遊が世好、すなわち、何代に渡る交際を中心に行われていた点である。とり わけ、子・成海応は実際に従遊・交遊した人物の記録をまとめて「世好録181」を記している が、その一部を紹介しよう。

余素不喜交遊。所交遊者。惟世好也。先君子(成大中)与玄川元公(元重挙)最好。故 海応之交。屛樵(元有鎭)元子。在世好中尤密。玄川公家居砥平勿川之上。時騎驢入都。

先君子輒詣之。都下耆旧満座。澹然無忤色。有時談笑觴咏。風流篤厚。

(成海応「元若虗哀辭」『研経斎全集続集』巻二十一)

まず、内容から成海応はもともと交遊を喜ばず、世好の交遊のみに参加していたと述べて いる。その世好の交遊を牽引した中心人物に成大中と元重挙がいるが、元重挙は第一章と二 章で紹介したように、1764年の通信使行に書記として成大中とともに参加した人物である。

二人の世好の交遊は成大中、元重挙の子・成海応と元有鎭にまで続き、上述の内容からもわ

181 「世好録」は『研経斎全集続集』巻四十九に収録されており、のべ 41 人の人物につい て述べられている。

189

かるように成海応と元有鎭は最も親密な間柄であった。二人は同じく王室の図書館である 奎章閣で検書官として活動し、ともに1814年、歴代王の詩文集である『列聖御製』の国王・

正祖の詩文編纂にも携わった。

続く内容をみると、入都、都下の言葉から世好の交遊は、主に成大中らが漢陽入りをした 際に行われたと思われる。先輩や昔馴染みでいっぱいであったということから、より多くの 人々が世好の交遊に参加していたと推測できる。興味深いのは次に続く交遊のあり方であ る。京坂文人の場合と共通するものとして、澹然や談笑、觴咏などの言葉か登場する。記録 にあるように、成大中の世好の交遊においても澹然が重んじられていた。また、互いの意見 の食い違いがなかったということからは、集う人々が礼と和をもって接していたことが窺 える。さらに、談笑と觴咏が盛んに繰り広げられる手厚い風流ぶりは、先述した混沌社での 様子や、さらにいえば、「詩社記」で述べられていた中国故事の文人世界をも連想させる。

今度は成大中自身の記録を取り上げることにしよう。

余直秘省五年。都下名流。不鄙棄余。載酒相就。如子雲之在天縁。燕巖朴美仲(朴趾源・

1737~1805、実学者)京山李仲雲(李漢鎭・1732~、書道家)、稷下徐養汝(金相福・

1714~1782、文臣)、太湖洪太和(洪元燮、文臣)、隠几李景深。玉流李汝亮、雅堂南元 平(南公轍・1760~1840、文臣・文書家)、玉壺李景混(李肇源・1758∼1832、文臣)、 茶山李斯挙、青荘李懋官(李徳懋)其選也。芝溪宋徳文(宋載道)、海陽羅子晦(羅烈・

1731∼1803、文臣)、白石李士宗。亦自鄕而至。書画篆籕。棊酒文史。各尽其娯。会輒 移日。(成大中、「秘書賛屛記」『青城集』巻七)

内容は成大中が通信使帰国後、王室の経籍と祝疏を担当する秘書省で仕えていた時のも のである。記録には交遊した都下、すなわち、漢陽の名士たちの名前が綴られている。彼ら は身分や官職の高下に関係なく集い、その交遊では書画や篆籕、棊、酒、文史などが楽しま

190

れ、時には日が暮れることもあった。前章の文人趣味のところで紹介したが、その集いには 李漢鎭や洪元燮、南公轍、羅烈のように書画や音楽に長じた人物も加わっており、詩作だけ でなく、書画や音楽も享受していたことが確認できる。なかでも、成大中は李漢鎭と親交が 深く、李漢鎭とともに朝鮮後期に有名画家のひとりである檀園・金弘道とも交遊をした。李 漢鎭と金弘道の交遊には成海応も参加しているが、「聴庭下松籟觴詠書画。竟日淋漓」(成海 応、「送金時明序」『研経斎全集』巻十三)にあるように、ここでも觴詠と書画を楽しむこと で、一日中興に満ちている様子が浮かび上がる。

成大中の世好を中心とする交遊の様相には京坂文人の交遊と通じ合っているいくつかの 要素が存在する。そのような交遊のありようには、彼らが体得した中国文人の生き方が投影 されていると考えられる。とすれば、このような結社は朝鮮と近世日本という異なる社会を 生きた庶孼と町人が自分たちを中国文人になぞらえ、その世界を享受し、「文人」という生 き方を体現する場、現実にいながら現実を離れた文人空間を提供する場であったと言える のだろう。それは山林に隠れるのではなく、市井にいながら文人を体現する隠逸とも言い換 えることができよう。

ドキュメント内 著者別名 JEONG Kyungjin (ページ 192-195)