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貴族制と理想の民主制

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 137-141)

7. まとめ

7.2. モーセと理想の国制

7.2.1. 貴族制と理想の民主制

では、モーセにとってその貴族制とはどのようなものなのか。その問いに答えるために、

私たちはモーセが民のすべてが徳を修練するよう期待していたことを思い出したい。それ は『政治学』において「容易ではない」民主制の仲間としての貴族制である。その理想的 な民主制は、よく知られた民主制ではなく、王制との比較において引き合いに出される仮 定的な民主制である。

その特殊な民主制は『政治学』において、「法律によって決定することがまったくできな いか、あるいはうまく決定することができない事柄に対しては、一人の最善な人が支配す べきだろうか、それとも市民全体が支配すべだろうか」という問題を扱う議論の中に出て

137 くる230。結論から言えば、「大衆はただ一人のいかなる者より、多くの事柄に関していっそ う優れた決定を下すのである」というものである(Pol 3. 1286a 30-39)。ただしこの答えに は次のような条件が付く。

しかし、当の大衆はみな自由人であり、法律ではどうしても規定することのできない 事柄を別とすれば、その人々は法律に反する行為はけっしてしないものと想定しなけ ればならない。多数者の場合にはそのことは容易ではないかもしれないが、(以下略)。

(Pol. 3. 1286a30-40、神崎他訳)

自由人であり法律に反さない大衆を想定した場合、大衆による支配は単一者による支配 に優るのである。しかし「そのことは容易ではないかもしれないが」と『政治学』は、現 実に立ち返る。そのような大衆は現実には見出せないのである。そうであってもその統治 形態がやはり優れていることを論証するために、『政治学』は具体的に王制と貴族制を比較 して見せる。

多数者の場合にはそのことは容易ではないかもしれないが、それならば、善き人でも 善き市民でもある一群の人々がいると想定してみよう。この場合、ただ一人の人と、

数は多いが誰もが善き人である一群の人々とでは、どちらが支配者として堕落しにく いだろうか。一群の人々の方であることは明らかではないだろうか。この見解に対し て、「一方の人々は内紛を起こしかねないが、かの一人の人の場合には内紛は起こり えない」と答える人がいるかもしれない。だが、おそらくこの意見に対しては、「そ の人々は魂がすぐれているのであって、その点ではかの一人の人と変わらない」と反 論すべきであろう。

(Pol. 3. 1286a30-1286b1-9、神崎他訳)

魂のすぐれた善き人々から成る多数者の一群がここでは想定されている。彼らはその数の 多さのゆえに、善なる単独支配者である王と比べたとき、国内に分裂をもたらす因子とな るという弱点を持っているように見える。しかしここでは彼ら一人一人が王のような優れ た人物であることが前提条件とされている。そこで引き合いに出されるのが、貴族制であ る。王制に対してなぜ貴族制が優位に立てるのか考えてみれば、自ずとそれぞれが善なる 人である市民の支配の方が、一人の善人の支配より優れていることが分かるはずだ、と『政 治学』は主張する。

230 J. Ober, Political Dissent in Democratic Athens (Princeton, Princeton Univ. Press, 1998), pp. 324-327は、『政治 学』で王制に対する民主制の優位性が論じられる際に、大衆が自由人であり法に違反していないという条 件が付されていることに注意を促す。

138 したがって、数は多いが誰もが善き人である一群の人々による支配を貴族制とみなし、

一人の人による支配を王制とみなすべきであるとすれば、王の支配が兵力をともなう ものであるにせよそうでないにせよ、王制よりも貴族制の方が国家にとって望ましい ことになるだろう。もっと、それは互いに似かよった一群の〔善き〕人々を見つける ことができればの話である。

(Pol. 3. 1286b1-10、神崎他訳)

「数は多いが誰もが善き人である一群の人々による支配」がここでの貴族制の定義である。

それは王制よりも望ましい国制である。

Oberによれば、『政治学』において貴族制は民主制にとって代わるものとして適切である。

なぜなら貴族制は、非現実的ではあるが理想的な民主制の構成員である自由人と有徳の人 から成り立っており、民主制の利点である腐敗しにくいという特徴を共有しているからで ある。

貴族制は、(中略)それだけでなく、少なくとも遠回りに、多くの人の知恵と徳を総 体へとまとめる能力を享受するであろう。また貴族制には、民主制の無能力な欠点

――奴隷根性、無法性、解決しがたい個々の徳の欠如(とりわけ公職に就く上での)

と い う 推 定 さ れ る 傾 向――が な い 。 貴 族 制 は 、 か つ て は 政 治 的 秩 序 の 数 上 の

(arithmetical)分類(中略)における(少数の善き者の支配として)逸脱した寡頭制

(少数者にして富者)の正しき対峙物(the correct counterpart)であったが、それは今 や、徳をまとめ上げるというきわめて重要な能力を持っているという意味で、民主制 の対峙物とみなされている。231

かいつまんで言えば、『政治学』においては、貴族制は民主制の欠点を補っているという意 味で、民主制の対応物ないしは進化形態としても定義されているということである。とり わけ徳の有無を基準とすることにより、貴族制と民主制は向かい合わせになるのである。

しかし『政治学』によればそのような貴族制を人はこれまでに経験したことがない。そ の点を強調するため、『政治学』は仮定的な国制史を叙述する。それは国制史であると同時 に徳の歴史でもある。そこにおいてはまず王制が誕生する。

おそらくそのことも理由で、かつて人々は王の支配に服していたのであろう。つまり、

徳の点で傑出した人々を見出すことは、とくに当時の人々が住む小さな国家において はめったにないことだったのである。さらに、人々が王を擁立したのは恩恵を与えら れたからでもあった。恩恵を与えることは善き人のすることにほかならないからであ

231 Ibid., p. 326.

139 る。

(Pol. 3. 1286b1-10、神崎他訳)

王制は、徳の点で傑出した人々が少ないためにやむなく打ち立てられた国制とされている。

しかし王制も廃れるようになる。

しかし、徳に関して同等の人々が数多く現れるようになったときには、人々はもはや

〔王の支配に〕耐えようとはしなかった。彼らは代わりに何か共通のものを探し求め て、〔新たに〕国制を打ち立てるに至ったのである。だが、彼らは次第に劣悪になり、

公金を利用して私腹を肥やすようになっていった。寡頭制が生まれた原因をこの点に 求めることは理にかなっている。なぜなら、彼らは富を尊重すべきものとしたからで ある。

(Pol. 3. 1286b10-19、神崎他訳)

王だけではなく他にも徳を持つ人々が現れるようになり、王制は廃止される。王制の代わ りに出現するのが共和制とも呼ばれる「国制」である。だが彼らは腐敗し寡頭制が生まれ る。寡頭制以後には僭主制と民主制が起こる。

その後、この国制は初めに僭主制に変わり、次に僭主制から民主制に変わった。とい うのも、彼らは利得への卑しい欲望のために、〔支配にあずかる者の〕数を次々と減 らしていったのだが、そのことは結果的に大衆の力を強めることになり、ついには大 衆が蜂起して民主制を樹立するに至ったからである。そして、今や国家の規模は以前 と比べて大きくなっているので、民主制以外の国制が生まれることはもはや容易では ないだろう。

(Pol. 3. 1286b10-29、神崎他訳)

この歴史には、王制、国制(共和制)、寡頭制、僭主制、民主制といったお馴染みの国制の タイプが勢ぞろいしている。ところがそこにはなぜか貴族制の名が欠けている。そこで J.

Oberは次のように問う。「ポリスの政治的な進化過程に貴族制をどのように位置付けたらい いのか」と232。それはまだ存在していない、と答えるべきだとOberは言う。すなわちこの 仮想的な国制史はあくまで過去のことを物語っているのであり、その続きは未来に取って おかれているという。

たしかに現実として、「民主制以外の国制が生まれることはもはや容易ではない」ように 見える。しかしそれは容易でないだけで、不可能ではない。つまり貴族制の到来が『政治 学』においては期待されているのである。

232 Ibid., p. 327.

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ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 137-141)