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王たちの父祖アブラハム

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 87-90)

5. 海辺と荒野の民主主義

5.2. 王の軍事指揮権

5.2.1. 王たちの父祖アブラハム

『政治学』は、原初において諸ポリスは王によって統治されていた(τὸ πρῶτον ἐβασιλεύοντο

αἱ πόλεις)と述べる(Pol. 1. 1252b10)。『アテナイ人の国制』のアテナイ国の歴史もそのパ

ターンを共有しており、同国の統治形態の初段階は王政である。

太古以来の状態を(ἐξ ἀρχῆς)最初に(πρώτη)変革したのは(ἐγενέτο ἡ κατάστασις)

イオンと彼の率いる民が共住したとき(συνοικισάντων)であった。このときはじめて アテナイ人は四部族に分かれ(εἰς τὰς τέτταρας συνενεμήθησαν φυλάς)、また部族長を 置いた(τοὺς φυλοβασιλέας)。第二の、そしてその後国制の形式を備えたものとして第 一の変革は、テセウスのときに起こったもので、これにより国制は王政から(τῆς

βασιλικῆς)やや(μικρὸν)離れた(παρεγκλίνουσα)。

(AP 41. 2、橋場訳)

アテナイの歴史は、まず、王制が貴族制に道を譲ることで始まる184。王制後のアテナイ国 最古の役職名は、王を意味するバシレウスであり、それは王の権限を継承している。ポレ マルコス職とアルコン職も、バシレウスと並んで重要な役職であり、それらの成立時期も 古いが、バシレウスに比べれば新しいとされる。

ドラコン以前の太古の国制の組織(ἡ τάξις ἀρχαίας πολιτεία)は、次の通りであった。

まず役人(τὰς ἀρχὰς)は名門かつ(ἀριστίνδην)富裕(πλουτίνδην)である者から任命 された(καθίστασαν)。最初任期は終身だったが(διὰ βίου)、その後一〇年となった。

役人の筆頭でもっとも重い職(μέγισται δὲ καὶ πρῶται τῶν ἀρχῶν)はバシレウス

(βασιλεὺς)とポレマルコス(πολέμαρχος)とアルコン(ἄρχων)であった。これらの うち最古の役職(πρώτη)はバシレウス〔「王」〕(ἡ τοῦ βασιλέως)であり、これは父 祖伝来(πάτριος)の役であった。これに加えて第二に創設されたのはポレマルコス職 で、王の中に柔弱で軍務に堪えぬ者(τινὰς τῶν βασιλέων τὰ πολέμια μαλακοὺς)が現れ たからである。やむをえずイオンを呼びよせたのもこのゆえであった。最後にできた のがアルコン職(ἡ τοῦ ἄρχοντος)である。多くの人はメドンのときにできたと言うが、

アカストスのときだと言う者もある。彼らはその証拠として、九人のアルコンがアカ ストスのとき〈と同じく〉宣誓を守る旨誓うことをあげ、コドロス王の子孫が王位を

183 Ibid., pp. 75.

184 Rhodes, A Commentary on the Aristotelian ATHENAION POLITEIA, p. 107.

87 退き、それとひきかえにアルコンに与えられるさまざまな特権を手にしたのは、この 人のときだと主張する。どちらにせよ年代にさしたる違いはなかろう。これらの役職 のうちでアルコンが最後にできたことは、バシレウスやポレマルコスのように父祖伝 来の祭事を何ら司ることがなく、たんに後から付け加わった祭事を執り行うことから も明らかである。こうした事情でこの役職は、業務が付加されて権限が増大した結果、

時代が下ってから重要な職務となったのである。

(AP 3.1、橋場訳)

ここでは、バシレウスとポレマルコスとアルコンの三役が、王政期の王権を継承したもの として描かれている。つまり、王という単独の支配権が三つの役職に分配されるのである。

なかでもバシレウスは「父祖伝来の役」と呼ばれ、古さの点で他の二役を凌ぐ。他方、ポ レマルコスは、王の諸権限のうち、軍事指揮権と父祖伝来の祭事の指揮権を引き受ける。

バシレウスとポレマルコスの古さは、「父祖伝来の祭事」を保持しているかどうかを基準に 計られている。その点でアルコンは最も新しい役職だとここでは言われている185

以上のように、王権の分与がアテナイ国制史の第一歩である。

では、ユダヤ国制史の初期段階についてはどんなことが言えるだろうか。『ユダヤ古代誌』

第 1 巻において、すなわちモーセがヘブル人のために国制を制定するより遥か昔、ヘブル 人の最古の支配者は王のような....

者であった。『ユダヤ古代誌』は、アブラハムを王として理 解するダマスコ人ニコラオスの記述を抜粋する。

アブラハムはダマスコで王として支配した(ἐβασίλευσεν)。彼はバビロンの向こうの カルデヤ人の土地と呼ばれている所から軍隊を率いてやって来た侵入者である。しか し、しばらくすると彼は、この地方を発って、配下の民とともに(σὺν τῷ σφετέρῳ λαῷ)、 当時カナンと呼ばれている土地に移り住んだ。わたしは彼と彼の多くの子孫たちの歴 史については他の巻で語りたいと思うが、アブラハムの名は、ダマスコでは今なお有 名であり、彼の名にちなんで「アブラハムの住まい」と呼ばれる村があるほどである。

(AJ 1. 159、秦訳)

ニコラオスのこの記述の中で、アブラハムは、自分自身の臣民(λαός)と軍隊を持つ王とし て描かれている。『ユダヤ古代誌』は、ニコラオスがアブラハムを「王」と呼ぶことを否定 しない。むしろアブラハムのさまざまな描写は、アブラハムを王と見なすことを容認して いるようにも見える。

『政治学』によれば、「法律にもとづいて王と呼ばれているもの」よりも、「いわゆる絶

185 アテナイの新しい国制下のバシレウスは「まず秘儀を監督」し、「父祖伝来の供儀もすべて管掌」した

(AP 57. 1)「ポレマルコスは、まず狩猟の女神アルテミスとエニュアリオス神への供儀を行い、また戦死 者を供養する葬列競技を運営し、ハルモディオスとアリストゲイトンに供物を捧げる」(AP 58. 1)「また アルコンは祭礼行列を監督する」(AP 56. 4)

88 対王制、すなわち王があらゆることを自分の望むとおりに支配する王制」こそ王と呼ばれ るにふさわしい、という(Pol. 3. 1287a1)。アブラハムは国制が定められるよりも前に王の ように統治することにより、より純化された王政を執行していると言える。

『ユダヤ戦記』に登場するヨセフスは、アブラハムの妻サラを「われわれの民族の母で ある王女(Σάρραν βασιλίδα, τὴν μητέρα τοῦ γένους ἡμῶν)」と呼んでいる(BJ 5. 379)。アブラ ハムの孫エサウは「王国や(τῆς ... βασιλείας)その他の幸福を」継承する権利のある者とさ れる(AJ 1. 295)。アブラハムの後裔は王となることが約束される。神はアブラハムに彼の 息子イサクから(ἀπ’αὐτοῦ)「偉大な民族と王たち(βασιλεῖς)が生まれ、彼らは戦争に勝っ て(πολεμήσαντες)シドンからエジプトにいたる全カナンを獲得することを明らかにされた」

(AJ 1. 191)。また神はアブラハムに次のようにも約束する。「おまえの息子は(中略)有徳 の正嫡の子たちにその大きな統治権(μεγάλην ἡγεμονίαν)を残すだろう」(AJ 1. 234)。神は、

アブラハムの孫ヤコブに次のように語りかける。「そしておまえには善良な子が生まれ、そ の子らは無数の子孫を後に残し、その子孫の子らはさらに増し加わる。わたしはこの地の 支配権を(τὸ ταύτης κράτος)彼らと、陽の輝く地と海のいたる所を埋め尽くす彼らの子孫に 与える」(AJ 1. 282)。

『政治学』によれば、王は、「国家や民族に恩恵をもたらしたか、あるいは恩恵をもたら す力」を持つ者である(Pol. 5. 1310b34-40)186。同書はその例として、「コドロスのように、

戦争において人々が奴隷となるのを防いだ者(οἱ μὲν κατὰ πόλεμον κωλύσαντες δουλεύειν)」、

「キュロスのように、人々を解放した者(οἱ δ’ ἐλευθερώσαντες)」、「ラケダイモンやマケド ニアやモロッシアの王たちのように、植民都市を建設し(κτίσαντες)領土を獲得した者

(κτησάμενοι χώραν)」を挙げる(Pol. 5. 1310b30-40)。戦争奴隷の防止と臣民解放と領土拡 張が王権の根拠となる、ということである。それらの功績は「徳の卓越性」の一つの表れ である(Pol. 5. 1310b10, 30)。

そういった王の資質を証明するかのように、『ユダヤ古代誌』のアブラハムは、「自分の 親族のロトを含む、アッシリア人に囚われていたソドム人の捕虜を救出し(て)(σώσας)」

いる(AJ 1. 175, 179)。さらに、息子たち全員に、「植民地を作るための旅(ἀποικιῶν ...

μηχανᾶται)」をすすめている(AJ 1. 239)。

「また、王は、財産をもつ者がいっさいの不正を受けないように、他方で民衆が(ὁ δῆμος)

いっさいの侮辱的扱いをされないように(μὴ ὑβρίζηται μηθέν)、守護者となるのを望む」(Pol.

5. 1311a)。アブラハムは、エジプト人の王がサラに「凌辱を加えよう(ἡθέλησεν ὑβρίσαι)」

としたため、妻を守るための方策として「彼は彼女の兄であると偽(る)」(AJ 1. 162-164)。 ゲラルの王からもサラは凌辱(ὑβρίζειν)の危機に直面し、アブラハムはそのためにやはり

「彼女を妹として振舞わせた」(AJ 1. 207-208)。

『政治学』によれば、王は公益に目を向け、金銭を多く得ようとせず、むしろ名誉を目 指す、とされている(Pol. 5. 1311a)。ソドム人を捕虜状態から救出したアブラハムは、ソド

186 L. Mitchell, The Heroic Rulers of Archaic and Classical Greece (London: Bloomsbury, 2013), p. 67.

89 ム人の王から戦利品を取っておくように勧められるが、「それにたいしてアブラハムは、そ ういうわけにはいかない、自分は家僕たちを養えるものがあれば十分で、それ以上のもの を戦利品から得ることはできない、と答えた」(AJ 1. 182)。彼は金銭目当てで行動すること はない。このような態度のゆえに、「神はアブラハムの徳を賞賛して言われた。「おまえは そのような立派な行為にふさわしい報酬を得るだろう」と」(AJ 1. 183)。

Feldmanは、『ユダヤ古代誌』のアブラハムは「典型的な民族英雄(a typical national hero)」

である、と言う187。他方私は、アブラハムの描写を『政治学』の王の定義に照らし、アブラ ハムを王として理解したい。

アブラハムが統治する対象は親族や家族ではあるが、その体制は『政治学』が言うとこ ろの家長的な王制に対応する。

一人の人が万事にわたって権限を持つ場合のものである。この王制は家長としての支 配に相当する。というのも、家長としての支配が一家に対するある種の王制であるの と同じように、この王制も一つかそれ以上の国家ないし民族を家長のごとくに支配す るものだからである。

(Pol. 3. 1285b20-30、神崎他訳)

さらに同書では、「子供たちと妻たちを支配する」家の長老たちは王制と呼ばれている(Pol.

1. 1252b20-30)。

こうして、アブラハムの臣下は彼の家族としても、また、ダマスコのニコラオスがする ように、民(λαός)としても記述され得るのである。ロトを救い、妻サラを守り、息子たち を植民活動に送り出す家長としてのアブラハムは、太古の王なのである。事実、『ユダヤ戦 記』の登場人物としてのヨセフスは、アブラハム配下の「三一八人の家僕と三人の友人」(AJ

1. 178)を、「三一八人の指揮官」と捉えている(BJ 5. 380)。

以上のように、ヘブル人の国制史は王たるアブラハムで始まり、そしてその王権は後の ヘブル人指導者モーセに受け継がれる。国家の歴史が王制で開始するという点は、アテナ イ人の国制の歴史と共通しているように見える。

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 87-90)