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ゲルーシアと遺産相続(後)

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 61-64)

4. ゲルーシアの物語

4.2. ゲルーシアへの従順

4.2.1. 裁判制度におけるゲルーシア

4.2.1.3. ゲルーシアと遺産相続(後)

ヘブル人の国制において、アルコンのように市民164の財産の守護する職責を負うのはゲルーシ アである。モーセが定める国制において、ゲルーシアには、相続人となる子を残さずして死んでい った男の妻の再婚(レビレート婚)の手続きの執行が定められている(AJ 4. 254-256)。

夫が死亡して妻に子供がない場合は、夫の兄弟が彼女と結婚しなければならない。そ して、生まれた子供に故人の名をなのらせ、遺産の相続人として育てなければならな い。このことは社会全体にとっても有利な措置と言える。なぜなら、そのために家は 断絶をまぬかれ、財産は近親者たちに残り、前夫に最も近い縁者とともに生活するこ とによって妻の不幸も緩和されるからである。しかし、兄弟が彼女との結婚を望まな いときは、女はゲルーシアに出頭し、次のことを表明しなければならない。すなわち、

自分は家に留まって兄弟の子を生もうと望んだが、彼は自分を受けつけず、そのため に亡くなった兄弟の思い出を侮辱した、と。ゲルーシアは、彼がいかなる理由でその 結婚に反対するかを問い――その理由が些細なものであれ本気なものであれ――、次 のようにして解決しなければならない。すなわち女にサンダルを脱がせ、男の顔につ

161 Hignett, A History of the Athenian Constitution, p. 75.

162 Rhodes, A Commentary on the Aristotelian ATHENAION POLITEIA, p. 634.

163 Ibid., p. 633.

164 稀ではあるが、モーセは荒野のヘブル人を「市民(πολίταις < πολίτας)」と呼んでいる(AJ 4. 314)。ま たコラは「群衆に(δήμοις)巧みに語りかける才もあった」と描写されている(AJ 4. 14)。

61 ばを吐かせた後、「おまえが故人の思い出を侮辱したからには、わたしからこのよう な扱いを受けるのは当然です」と宣言させる。こうしてゲルーシアは、生涯拭うこと のできない恥辱を男に与えた後、彼を立ち去らせる。いっぽう女には、彼女の望む求 婚者と結婚する自由が与えられる。

(AJ 4. 254-256、秦訳)

この規定では、未亡人は亡父の兄弟と結婚し、子供をもうけなければならない。「なぜなら、その ために家は断絶をまぬかれ、財産は近親者たちに残り、前夫に最も近い縁者とともに生活すること によって妻の不幸も緩和されるからである」(AJ 4. 255)。

この規定が現実の問題に適用される物語が『ユダヤ古代誌』第5巻に収められている。時代は、

最後の士師サムソンの死後、大祭司エリがヘブル人の指導者となっているときである(AJ 5. 318)、

舞台はベツレヘムである165。マロンという名の夫に先立たれたルツには相続人となる子供がないた め、モーセの法律に照らせば、彼女には最近親者との再婚が要求される。しかし、ルツの義母ナオ ミとしては、ルツをボアズという近親者と結婚させたく、ルツもボアズの庇護を願う(AJ 5. 327, 332)。

彼女らは、「その敬虔な心から自分たちのことを配慮してくれる」人物が必要なのである(AJ 5.

327)。

ところがボアズはその願いをすぐには叶えようとせず、「肝心なことであるが、実は親類縁者の中 にわたしよりもっとおまえに近い男がいる」と、ルツに告げる。ボアズは私情よりも法律の遵守を優先 させるのである。モーセ法に違反せずに、ルツとナオミの願いを聞き入れることはできないか。こうし て、ボアズによって、ルツの遺産相続の裁判が開かれる。

さて、ボアズは昼近く町に出かけ、ゲルーシアの長老たちの集会を求めるとともに、ルツと縁 者の男を迎えにやった。ボアズは彼がやって来ると、長老たちを前にして「あなたはエリメレ クとその息子たちの遺産の所有者ですか」と尋ねた。

(AJ 5. 332-333、秦訳)

その問いに縁者は「そうです」と答える。物語の結末として、この縁者はルツとの再婚により、彼女 の亡父の遺産を相続する権利を獲得することになるが、彼にはすでに妻子がいるため、再婚を辞 退せざるを得ない(AJ 5. 334)。こうして、モーセが定める離縁の儀式が再現される。

165 モーセの国制では、ゲルーシアは町ごとに設置されている。殺人事件が発生した後、犯人が最後まで見 つからなかったときには、「殺人現場の行われた土地に一番近い町の役人(αἱ ἀρχαὶ)とゲルーシア、そし て祭司たちとレビ人が、ある儀式を執り行うことが定められている(AJ 4. 220-222)。この規定には、「そ の町のゲルーシアの長老たち(ἡ γερουσία τῆς πόλεως)」という表現が見られるので(AJ 4. 222)、ゲルー シアが各町にいることがわかる。

62 そこでボアズはゲルーシアの長老たちを証人とし、律法の教えにしたがって、彼女を男に近 づかせてサンダルを脱がせ、さらにその顔に唾を吐かせた。ボアズはこの儀式が終るとルツ と結婚した。一年後には二人の間に男の子が生まれた。

(AJ 5. 335、秦訳)

裁判所に現れたルツの縁者の目当ては、ルツの亡父の遺産である。そのためその人物は最初、

気後れすることなく、「わたしは近親者ですので、律法によってそれは合法的にわたしに譲渡され たと思います」、と主張する(AJ 5. 333)。この近親者はルツの亡父の遺産にしか目がなく、ルツの 庇護の義務には関心がない。だからこそその縁者は「すでに妻子がいる」にもかかわらず、「律法 の半分だけを頭に入れて」、自分に遺産が譲渡された、と主張する。それとは対照的に、ボアズの 関心はルツの庇護である(AJ 5. 331)。そこでボアズは縁者に言う。

あなたは律法の半分だけを頭に入れておくのではなく、律法のすべてにしたがい行動しな ければなりません。ここにマロンの妻が来ています。あなたがその土地を手に入れたいと思 えば、律法の定めにしたがって彼女と結婚しなければなりません。

(AJ 5. 333、秦訳)

ここでボアズは、「ここにマロンの妻が来ています」と宣言して、裁判の問題の中心は亡夫の遺産 ではなく、ルツという寡婦の福祉であることを訴える。こうしてルツとナオミの願いは叶えられる。その 証人となるのはゲルーシアである。ルツ物語におけるゲルーシアは、『アテナイ人の国制』第56章 のアルコンのように、寡婦を他者の貪欲と不法行為から守っているのである。

ところで、モーセの国制では、女にサンダルを脱がせ、女と結婚することを望まない男 の顔に唾を吐きかけさせるのは、ゲルーシアの職務であると定められている。ルツ物語に おいてその手続きを行っているのはボアズである。するとボアズはゲルーシアの一員なの であろうか。ボアズは「ゲルーシアの長老たちの集会を求めるとともに、ルツの縁者の男 を迎えにや(り)」、その縁者に自ら尋問している。ボアズはいかなる権限でゲルーシアの 職務を遂行しているのだろうか。ボアズはゲルーシアにふさわしく、法に精通しており、「判 決の宣告にあたっては、金銭や被告の地位・身分に左右され」ない(AJ 4. 216)。だが、『ユ ダヤ古代誌』はボアズがゲルーシアであるとは言明しない。この問題については先に進ん で考えることにする(本稿7.2.4参照)。

さて、ボアズの判決の基礎となるのは、モーセ自身による遺産の判断である。ある男が、

娘たちを残して死んだとき、男の遺産を娘たちに与えるべきか、という問題が生じる(AJ 4.

63 174)。

モーセはこう答えた。娘たちが同じ部族の者と結ばれれば、遺産を持って夫のもとへ 行く。しかし娘たちが他の部族の者と一緒になれば、遺産は父の部族に残される、と。

こうしてモーセはそのとき、各人の遺産は自分の部族に残すべきであると規定した。

(AJ 4. 175、秦訳)

モーセの国制には、「各人の遺産は自分の部族に残すべきである」という大原則が存在す る。その原則を揺るがすことなく、家父長を失った女子の権利とその家の財産を守るには どうしたらいいのか。この問題にモーセ自身が取り組んでいる。ルツの縁者のような遺産 目当ての人間の強欲によって彼女らの権利と財産が侵害されることがあってはならない。

こうして、「娘たちが同じ部族の者と結ばれれば、遺産を持って夫のもとへ行く」という規 定が作られる。

アルコンが、寡婦の権利を守ることをその職責とするように、ルツ物語のゲルーシアは 寡婦の権利を守ることを目指している。

『アテナイ人の国制』第 3 章によれば、アルコン、ポレマルコス、バシレウスが分け持 つ諸権限はかつては王にまとめられていた。したがって、それぞれの役職の司法権は、王 の司法権が継承(devolution)された結果なのである166。それゆえ、同書第42章以降で描か れる、民衆政を確立したアテナイ国においてアルコンが女子相続人や孤児に関する訴訟を 扱うとき、それは太古の王の役割の側面を再演していることになる。

それと似て、ゲルーシアの司法権もモーセに遡り、ゲルーシアはモーセがかつて裁定し た遺産訴訟の原則を踏襲する。それだけではなく、ゲルーシアは女子相続人に対するモー セの関心も継承しているのである。先に進んで見るように(本稿 5.1.1 参照)、荒野のモー セは王としての役割を負っている。ボアズがベツレヘムでゲルーシアの代理として、ある いはゲルーシアとしてルツの訴訟を扱うとき、彼は、荒野の裁判官としてのモーセの役割 を再演しているのである。ゲルーシアは荒野の王モーセの遺産なのである。

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 61-64)