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ユダヤ人の国制の発展段階

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 34-44)

3. 国制の発展

3.2. ユダヤ人の国制の発展段階

前節において私たちは『アテナイ人の国制』における国制の発展段階を大まかに把握す ることができた。次に私たちは『ユダヤ古代誌』における国制の諸発展段階に目を向ける。

私たちは『ユダヤ古代誌』からも国家の制度や原理の変転の段階を読み取ることができる。同書 におけるヘブル人国家も、さまざまな統治の原理や制度を採用し、自らの姿を変えていく。それは ときに貴族制の形をとることもあれば、単独支配者制の形をとることもある。さらに王制や民主制が 統治原理となることもある。そのような国制の変転が、『ユダヤ古代誌』のヘブル国家の歴史を生成 しているのである。政治的意味での「変化(μεταβολή)」という語は『ユダヤ古代誌』の冒頭にも現れ

る(πολιτευμάτων μεταβολαί, AJ 1. 13)。また、王制への変革を熱望する民を目にして、神は、「彼ら

は変革に急いでいる(σπεύδουσι μεταβολήν)」と述べている(AJ 6. 39)。

では、ヘブル国家はどのような順序で国制の変転を経験するのか。「ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』

の数箇所で一般的なギリシア政治用語(貴族制、王制など)を用い、民族史の諸段階におけるユダ ヤ人の国制(the Jewish constitution, politeia)を記述している」111。それではここで、『ユダヤ古代誌』

から、国制の変転が要約されている箇所を選び出すことにする。要約箇所は同書中に少なくとも四 つあり、以下にそれを挙げ、簡単な解説を加えることにする。その際には、便宜上、それぞれに第 一式、第二式...という呼び名を与える。解説にあたってはD. R. Schwartzの“Josephus on the Jewish

110 Rhodes, A Commentary on the Aristotelian ATHENAION POLITEIA, p. 483.

111 D. R. Schwartz,“Josephus on the Jewish Constitutions and Community,” Scripta classica Israelica, vol. 7 (1983/84), p. 30.

34 Constitution and Community”という論文を参考にする。

第一式(AJ 20. 229, 234, 241, 251)

第二式(AJ 14. 91)

第三式(AJ 6. 84-85)

第四式(AJ 6. 268)

第五式(AJ 11. 111)

それらの要約記事を読めば、『アテナイ人の国制』第41章がそうであったように、ヘブル国家の 統治形態の推移を把握することができる。

ただし、四つの要約記事を突き合わせてみると、互いに矛盾しているように見える部分がある。

すなわち、同じ時代に言及しているにもかかわらず、それに異なる国制名が充てられているケース があるのだ。たとえば、第一式では士師時代の国制は単独支配制に分類されているが、第3式で は同じものが貴族制と呼ばれている。また、それぞれの国制名の定義がはっきりしていないように 見える。「貴族制」といっても、それが具体的にどのような政治態勢のことを指しているのか定かで はないのである。Schwartz の前掲論文はそれらの問題の解決に取り組み、『ユダヤ古代誌』の言う 貴族制とはゲルーシアのことだと結論付ける。私はここではその議論に深く立ち入らない。

Schwartzによる幾つかのコメントの中で私が注目するのは、ゲルーシアと呼ばれる統治機構がヘブ ル国家制度の根幹を形成している、ということである。では、国制変転の要約記事を一つずつ見て いこう。最初は『ユダヤ古代誌』第20巻の要約記事である。

第一式(AJ 20. 229, 234, 241, 251)

1. モーセ~ヨシュア 貴族制 2. 士師 単独支配者制 3. サウル王、ダビデ王 王制

4. 帰還後 民主制

5. アサモナイオス家 王制 6. ヘロデ王以後 貴族制

『ユダヤ古代誌』の最終巻には、ヘブル国家の歴代の大祭司のリスト、ないしは説明文(διήγησις) が載せられている(AJ 20. 224-251)。そのリストの合間に国制の要約文が挿しこまれているのであ る。

35 ユ ダ ヤ 人 の 統 治 形 態 に 関 し て 言 え ば 、 当 初 (ἡ πρώτη πολιτεία) そ れ は 貴 族 制

(ἀριστοκρατική)であり、ついで独裁制(μοναρχία)にうつり、そして三番目に王制(βασιλέων)

となった。

(AJ 20. 229、秦訳)

この一文では国制の最初期の三段階が紹介されている。(1)貴族制(ἀριστοκρατικός)、(2)単独 支配制(μοναρχία)、(3)王(βασιλέως)の国制である。

「最初の国制(ἡ πρώτη πολιτεία)」としての「貴族制」は、モーセからヨシュアの時代までの統治体 制のことを指していると見られる。「単独支配制」とは士師時代の、そして「王制」はサウル王とダビ デ王の時代の統治体制を指すと見られる。だが、その王制はバビロニア王国によって廃止させられ る。その後、バビロニアでの捕囚生活を終えた者たちが、キュロスによる帰国と神殿再建の認可に よって、再び独自の国制を設ける。その出来事からアンティオコス・エウパトル王の登場までの時代 の国制について、続く挿入文は次のように解説する112

人 び と は こ の 四 一 四 年 間 を 民 主 的 な (δημοκρατικῶς) 統 治 形 態 の 下 に 生 活 し た

(ἐπολιτεύοντο)。

(AJ 20. 234、秦訳)

ここでは「民主的に」と訳せる副詞デーモクラティコース(δημοκρατικῶς)が用いられており、その 時代の国制が民主制であったことをうかがわせる113。ここで用いられている動詞ポリテウオー

(πολιτεύω)は「政治を行う」という意味でもある。たとえば『アテナイ人の国制』はその動詞を用いて、

「アテナイ人たちは(Ἀθηναῖοι)同評議会の権威に服し、この時代にも善き(καλῶς)政治を行ったの であった(ἐπολιτεύθησαν)」という一文を作っている(AP 23. 2)。それに倣って、先の一文を政治的 な意味合いを強調して訳すなら、「ユダヤ人たちは民主的な政治を行うこととなった」となろう。その 後、ヘブル人は国制を再度王制に改める。アサモナイオス家が王朝を立てるからである。

ユダスは大祭司職(τὴν ἱερωσύνην)と王位(βασιλείας)――彼は王冠(διάδημα)を戴いた最 初の人物である――にあることわずか一年で病死したが、その後継者は兄弟アレクサンドロ

112 アンティオコス・エウパトル王とは、マカバイ家が戦ったアンティオコス・エピファネスの息子である

(AJ 12.361)

113 では具体的にどのようなユダヤ人の政治体制が民主的と呼ばれるのか。Schwartzはその問いには取り組 んでいない。考察する価値は大いにあるが、紙幅の関係上ここではその問題に立ち入らないことにする。

36 スであった。

(AJ 20. 241、秦訳)

アサモナイオス王朝がローマ政府によって廃されると、ヘロデがヘブル人の王になるが、その王位 は彼の息子アルケラオスには継承されず、ヘブル国家の国制は貴族制へと転じる。

さて、こうしてヘロデの時代から、ティトスによって神殿と都が占拠され火を放たれたその日ま でに在位した大祭司の総数は二八名、その期間は一〇七年である。この中にはヘロデとそ の息子アルケラオスの治世中(βασιλεύοντος)に在職した者たちもいるが、これら二人の王の 没後の統治形態(ἡ πολιτεία)は、貴族制(ἀριστοκρατία)に代わり、ユダヤ民族の指導権

(τὴν ... προστασίαν τοῦ ἔθνους)は大祭司たちに(οἱ ἀρχιερεῖς)与えられた(ἐπεπίστευντο)。

(AJ 20. 251、秦訳)

ここで言われている「貴族制」は何を念頭に置いた用語なのだろうか。その点については第二式 がヒントを与えている。一見すると大祭司が支配する統治体制が貴族制と呼ばれているようである。

しかし Schwartz は、ここでの貴族制を大祭司による指導として理解してはならないと主張する。国

制が貴族制になることと、ユダヤ民族の指導権が大祭司に与えられることは114、異なる出来事とし て区別されねばならない、というのである。

第二式(AJ 14. 91)

1. アサモナイオス朝 専制君主制(δυναστεία)

2. 五区制スュネドリオン 貴族制(ἀριστοκρατίᾳ)

Schwartz によれば、バビロン捕囚からの帰還後の貴族制は、ハスモン朝の権力を弱体化させる

ことを目的として導入される115。それを企むのは知事ガビニオスである(AJ 14. 82)。ガビニオスは、

「五つの地区評議会(five regional councils)の間に統治権威を割り振ることにより」116、それを達成

114 民族の指導権(προστασία)が大祭司に与えられたということは、すなわち大祭司が民族の指導者(プ ロスタテース、προστάτης)となったと解すことができる。『アテナイ人の国制』では、国制の変転を導く 政治家たちがプロスタテースと呼ばれている。橋場訳はその語を「擁護者」と訳す(橋場訳、15頁)。ア テナイ国にはソロンやクレイステネスといった大衆の「擁護者」がいるが(AP 21. 1; 28. 1-2)、同時に「富 裕者の(τῶν εὐπόρων)擁護者」もいる(AP 28. 2)。M. Chambers, Aristoteles, Staat der Athener (Berlin:

Akademiev-Verlag, 1990, p. 13 は『アテナイ人の国制』第22節のτοῦ δήμου προστάτηςを「最初の民衆 の代弁者(erster Fürsprecher des Volkes)」と訳す。

115 Schwartz, “Josephus on Jewish Constitutions,” p. 34.

116 Ibid., p. 34.

37 しようとしているという。

彼はまた、五つのスュネドリオンを(συνέδρια)設置し(καταστήσας)、そして国民を(τὸ ἔθνος)

同数の地区に(εἰς ἴσας μοίρας)分けた(διένειμε)。その行政の中心は(ἐπολιτεύοντο)、第一 がエルサレム、次がガダラ、三番目がアマトゥス、四番目がエリコ、そして五番目がガリラヤ のセップォリスであった。こうして人びとは、今までの専制君主制から(δυναστείας)自由にさ れて(οἱ ... ἀπηλλαγμένοι) 、貴族制の下で(ἐν ἀριστοκρατίᾳ) 生活するようになった

(διῆγον)。

(AJ 14. 91、秦訳)

S. B. Hoenigによれば、歴史上にスュネドリオンが登場するのはこの場面が初めてであるという117

『ユダヤ古代誌』はここでスュネドリオン制度を「貴族制」に分類している(AJ 14. 91)。大祭司による 統治を貴族制と呼ぶべきだと考えるHoenigは、その理由を、大祭司たちが独自のスュネドリオンを 持つようになったからだと説明する118。ただしその構成員には、祭司たちに加えて、俗人の上層階 級(principal men)が含まれており、その点で第二式の貴族制は、後述の第五式の「少数貴族制」と は異なる性格を持っているという。

第三式(AJ 6. 84-85)

1. モーセ~ヨシュア時代 貴族制 2. 十八年間 無法状態

3. 士師時代 本来の統治原理(=貴族制)

4. サウル王時代 王制

『ユダヤ古代誌』第6巻84-85節は、士師119の時代の国制を、「本来の統治原理」に戻ったものと して提示する。

117 S. B. Hoenig, The Great Sanhedrin (New York: Bloch Publishing, 1953), p. 13.

118 Ibid., p. 15.

119『ユダヤ古代誌』がその名を挙げる士師とは、ユダ族のケナズ(AJ 5. 182)、ベニヤミン族のエホデ(AJ

5. 188)、シャムガル(AJ 5. 197)、ナフタリ族のバラク(AJ 5. 201)、マナセ族のギデオン(AJ 5. 213)

ギデオンの子アビメレク(AJ 5. 233)、マナセ族のヤイル(AJ 5. 254)、エフタ(AJ 5. 257)、ユダ族のイ ブザン(AJ 5. 271)、ゼブルン族のエロン(AJ 5. 272)、エフライム族のアブドン(AJ 5. 273)、ダン族の サムソン(AJ 5. 285)である。

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 34-44)