5. 海辺と荒野の民主主義
5.3. 祭司の始祖
5.3.2. 寡頭制改革者コラ
コラはおのれの理想とする国制を提示した後、現国制の諸問題点を告発する。それらは いずれもモーセの統治の方針に関わるものである。すなわち、(a)人々の総意の無視、(b)
一存による選出、(c)名誉職の恣意的な授与、である。
奴は自分のつくった律法さえ無視し、人びとの総意にもはからず(μὴ τῷ κοινῷ δόγματι
τοῦ πλήθους)、大祭司の地位を(τὴν ἱερωσύνην)一存で(αὐτοῦ ψηφισαμένου)兄のア
ロンに与えた(δόντα)。これはまさに、自分の意中の人間に恣意的に(καταχαριζομένου)
名誉を(τὰς τιμὰς)与える独裁者のやり方(τυράννων δὲ τρόπῳ)にほかならない。197
(AJ 4. 15-16、秦訳)
このコラの言葉のなかには、(a)「人びとの総意にもはからず(μὴ τῷ κοινῷ δόγματι τοῦ
πλήθους)」、(b)「一存で(中略)与えた(αὐτοῦ ψηφισαμένου)」、そして(c)「恣意的に(中
略)与える(καταχαριζομένου)」という三つの表現が見えるが、いずれも政治的判断に関連 する語である。
(a)人々の総意なしに
コラによれば、名誉職は元来、大衆の総意によって(τῷ κοινῷ δόγματι τοῦ πλήθους)人に 与えられるべきであり、誰かの一存で与えられることがあってはならない。名誉職の選出
196 橋場弦『丘のうえの民主政』(東京大学出版会、1997年)、26頁。
197 Thackeray trans., Jewish Antiquities, Book I-IV, p. 483は “In defiance of the laws he had (he said) given the priesthood to his brother Aaron, not by the common decree of the people but by his own vote, and in despotic fashion was bestowing the honours upon he would”と訳す。
100 において一存は総意と対立する。モーセは一存でアロンを大祭司に選ぶことにより、公正 な国制から逸脱しているというのである。
『アテナイ人の国制』第23章には、ドグマ(δόγμα)が「決議」という意味で現れる。そ の箇所は、アレオパゴス評議会がアテナイ国の統治を主導する権限(ἡ ἡγεμονία)を獲得す る過程を解説している。
同評議会が国政の指導権を(τὴν ἡγεμονίαν)握ったのは(λαβοῦσα)、何ら正式な決議 によるものではなく(οὐδενὶ δόγματι)、サラミスの海戦での功績のゆえ(διὰ τὸ γενέσθαι τῆς τερὶ Σαλαμῖανα ναυμαχίας αἰτία)であった。
(AP 23. 1、橋場訳)
ここでのドグマ(δόγμα)を、橋場訳は「正式な決議」と、Chambers訳はförmlichen Beschluß198 と訳している。δόγμαはLiddell and Scott’s Greek—English Lexiconによれば、「見解」を意味 すると同時に、「公の布告(a public decree)」や「法令(ordinance)」をも意味する。Thackeray
訳のthe decreeはその概念を反映しているのであろう。
コラの国制のビジョンによれば、大祭司もまた、正式な手続きとしてのδόγμα、すなわち
「正式な決議」、しかも「大衆による公共の決議(τό κοινὸν δόγμα τοῦ πλήθους)」によって選 出されねばならない。コラは、要職に就く者を、財産を基準として選ぼうとする点では寡 頭的であるが、選出者の資格を財産によって規定しないという点では民主的である。コラ は、民衆が富の点で秀でた者を公職に就かせるだろうと期待しているのである。
大祭司の任命権は民衆が正式に握るべきだとコラは考える。ところが、コラによれば、
モーセは民衆の決議を無視しており、自分自身の掌中にその決定権を収めている。それは 誤った統治の仕方である、ということが『ユダヤ古代誌』のコラの演説の大意であろう。
( b )一存で決める
コラの発言のなかで、役職の選出方法として、大衆による決議の対極に位置づけられて いるのが、一存で決めることである。コラによれば、モーセは大祭司を「一存で(αὐτοῦ
ψήφισαμένου、Thackeray訳ではby his own vote)」アロンに与えている。彼は独自に投票し
たのである。この単語は『アテナイ人の国制』では、制度化された投票行為を指し示す(AP
33. 1)。たとえば陪審制の解説箇所には次のような一文が見える。
他方民衆は(ὁ δῆμος.)(中略)裁判員が(οἱ δικασταὶ)投票した(ψηφίσωνται)結果が 最終判決(κύριον)たるべき旨の法を制定した(νόμον ἔθετο)のである。
198 “[E]r erlangte die führende Rolle durch keinen förmlichen Beschluß....” (Chambers, Aristoteles, Staat der Athener, p. 31).
101
(AP 33. 1、橋場訳)
ψηφίζωはLiddell and Scott’s Greek—English Lexiconでは、「厳密には小石を使って数えるこ
と」、と解説されている。Thackerayがそれをby voteと訳しているのはそのためである。
この語は、さらに『アテナイ人の国制』第68章の、陪審廷(δικαστήριον)による裁定の 手続きの解説にも現れる(AP 68. 2-3)。そこでは、陪審員(οἱ δικασταί)がどのような「投 票具(ψῆφος)」を用いて、無罪の壺と有罪の壺とに「投票する(ψηφίζω)」かが解説されて いる。『アテナイ人の国制』を横に置いてコラ物語を読むとき、この単語は、物事を決定す るために投票所で票を投じる様子を映し出しているように見える。モーセの台詞にもその 単語が使用されている。
コラよ、おまえは神に(τῷ θεῷ)その判定を(τὴν κρίσιν)委ねよ(παραχώρησον)。そ して、その件について(ἐπὶ τούτοις)神が投票するのを(αὐτοῦ ... ψηφοφορίαν)待て(μένε)。
(中略)おまえはこの特権を手にしたがっているが、とにかく神の判断を受けねばな らない(παραγίνου κριθησόμενος)。
(AJ 4. 33、秦訳を一部改める)
ここでモーセは、コラに「神が自らの投票用球(ballot)を投じる(ψηφοφορίαν)のを待つ ことによって、神に判定を委ねるように」199と提案している。Feldmanはこれを「政治的選 挙の用語(the language of a political election)」200として受け止めるように勧めている。
決定権は大衆に属すると考えるコラにとって、モーセの行動には問題がある201。
アテナイ国では、「九人のアルコン」の選任にあたっては、単に一人が投票するの(ἐνέβαλλε
τὴν ψῆφον)ではなく、「全員の投票が必要とされている(ἀνάγκη πάντας ἐστὶ διαψηφίζεσθαι)。
これは誰か邪なる候補者が非難者たちを〔買収や威圧で〕遠ざけた場合にも、陪審者たち が彼を不合格と為し(ἀποδοκιμάσαι)得んがためである」(AP 55. 4)。不正を撲滅するため には、一人による投票(ἐμβάλλειν τὴν ψῆφον)は避けねばならないのである。アテナイ国で は、このように、政治的判断が選出者の個人的利害に基づく不正によって汚染されないた めに、制度上の工夫を凝らしているのである。
コラによって告発されるモーセは、民衆による公共の決議を軽んじ、投票権の独占によっ て大祭司の人選を行っている。モーセはこの批判を受けて、その訴えが不当であることを 証明しようと、コラが用いたのと同じ単語を用い、神の決議によって再度大祭司を選出し ようとする。
199 Feldman, Studies in Josephus’ Rewritten Bible, pp. 103-104.
200 Ibid., p. 104.
201 『ユダヤ古代誌』のその他の場面でも人々は投票している。「人語を発する木々」は、自分たちの支配 者としてぶどうを選ぶ(AJ 5. 237)。サムエルは民のために王を選ぶ(AJ 6. 39, 43)。神はサウルとダビデを 王に選ぶ(AJ 6. 54, 143, 312; 7. 27, 53)民もまたサウルを選ぶ(AJ. 6. 81)。ユダ族人はダビデを王に選ぶ(AJ
7. 8, 10)。モーセは投票権を独占しているのである。
102
( c )恣意的に与える
コラによる非難の三点目は、モーセが、「自分の意中の人間に恣意的に名誉を与える」こ とである。その際に彼が用いる語、カタカリゾマイ(καταχαρίζομαι)の辞書的な意味の一つ は「私的な利益によって判断を下すこと(give judgement by private interest)」、である202。そ れを、「個人的な依怙贔屓から(κατὰ τὴν αὐτοῦ χάριν)」(AJ 4. 24)名誉や地位を与えること、
とも言い換えられるだろう。
そのような類の判断基準はアテナイ人の国では退けられねばならないものである。『アテ ナイ人の国制』第49章によれば、公共建築物の模型やアテナ女神の衣装の選定を行うのは、
かつては評議会(ἡ βουλή)であったが、「今では当籤した(λαχόν)陪審廷が(τὸ δικαστήριον)
203これに当たる」(AP 49. 3)。なぜなら、評議員たち(οἱ βουλεταί)が「選定に当たって(τὴν κρίσιν)情実に捉われると思われたから(ἐδόκουν γὰρ οὗτοι καταχαρίζεσθαι)」である(AP 49.
3、村川訳)204。
『政治学』は、「えこひいき」の事例としてスパルタの「長老会(γερουσία, γέροντες)」と いう公職を挙げている。
この公職に参与した人々が(οἱ κεκοινωνηκότες τῆς ἀρχῆς ταύτης)たびたび賄賂を受け 取り(καταδωροδοκούμενοι)、えこひいきによって(καταχαριζόμενοι)共通の利益を(τῶν
κοινῶν)損なってきたことは周知の事実である(φαίνονται)。
(Pol. 2. 1271a1、神崎他訳)
個人的利害に基づいて判定を下すこと(καταχαρίζομαι)を、コラは「独裁者のやり方
(τυράννων δὲ τρόπῳ)にほかならない」と形容する(AJ 4. 16)。モーセを告発するコラの姿 は、大衆の権限を守るために戦ったアテナイの民衆指導者と重なる。コラの指摘は論理的 である。だからこそ「彼の念願が共同体の安寧だけにあるように」見えるのである(AJ 4. 20)。
コラは、役職に就く者の資格については寡頭主義的な観点で意見を述べ、役職に就く者 の選出方法についての告発では民主主義的な立場に立っているのである。『政治学』は、公 職者の任命の分析のためには、(A)誰が、(B)どのような人のなかから、(C)どのような 方法で任命するか、という三項目を立てることが有効であるとしている(Pol. 4. 1300a10)。 コラは大祭司職の任命の仕方として、(A)大衆が、(B)財産査定額によって富裕者のなか から、(3)選挙によって選ぶべきである、と考えているようである。
では、モーセはこの国制案をどのように評価するだろうか。
202 Liddell and Scott’s Greek-English Lexicon, p. 920による。
203 橋場訳では「民衆法廷」。
204 村川賢太郎訳『アテナイ人の国制』、84-85頁。橋場訳では「なぜなら評議員が情実によって判定を下す と考えられたからである」。
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