4. ゲルーシアの物語
4.3. 大衆とゲルーシア
66 ヨシュアの臨終の言葉を聞くのは、「町々の主だった者たちや(τοὺς ἐπ’ ἀξιώματος μάλιστα
τῶν πόλεων)、指導者たち(τὰς ἀρχὰς < ἀρχή)、ゲルーシアの長老たち(τὴν γερουσίαν)」、そ
して「大ぜいの人びと(τοῦ πλήθους)」である(AJ 5. 115)。ここでモーセの国制において規 定されている役職は二つ、すなわち統治者たちとゲルーシアである。興味深いことに大祭 司はここには含まれていない。ヨシュアの死の際にはまだ指導者とゲルーシアが機能して おり、ヨシュアが持っていた国事の裁定権はこの二つの役職に委譲されるはずである。だ が、ヨシュアの死後、この二つの役職は廃れてしまう。
以上で概観したことを踏まえると、ゲルーシアの活動が最盛期を迎えるのはモーセの死 後の時期であると言える。重要な国事上の判断はゲルーシアの承認を経て下される。ゲル ーシアは民の暴走を抑制し、内戦による国家の滅亡を水際で回避する。ギベオン人との間 の同盟条約締結の際には、大衆もその決定に参与している。ヨシュアの治世中はゲルーシ アと大衆の関係は良好である。ゲルーシアがうまく機能しているかどうかの判断の指標は、
ゲルーシアの権限で万事が決定されているか否かではなく、ゲルーシアと民がいかに協調 しているかどうかである。しかしヨシュアの死後にこの均衡のとれた両者の関係が破綻し 始める。すなわち、モーセの政治的な遺産が損なわれるのである。
67 求により、国民全体の利益を考慮した国制が運営されなくなる。こうして国制の秩序が乱 れた結果「内乱」が発生する。ここで言及されている「内乱」とは、ベニヤミン人と他の イスラエル人の間に勃発した戦争のことである。
すでに見たように(本稿 4.2.1.1 参照)モーセの国制では、各町が統治者とゲルーシアを 持つことになっている(AJ 4. 214, 220-221)。統治者の選出基準は徳である。「各町には統治 者として、長い間徳を実践し廉潔な生活を送ってきた七名の男子を置き、それぞれにはレ ビ人の部族の男子二名を部下として任命する」、とある(AJ 4. 214)。ゲルーシアの選出方法 についてはなぜか語られないが、いずれにせよ統治者とゲルーシアは共に、犯人不明の殺 人事件の儀式を執り行い、「自分たちの両手がこの殺人によって汚れていないこと、また自 分たちはこの殺人を行いも見もしなかったと宣言する」(AJ 4. 222)。ヨシュア死後のヘブル 人は、この二つの役職の任命を怠るのである。すなわち、何らかの問題を解決するための 統治者がいない町がヘブル人の間に現れ始めるということである。その町の一つが騒動の 中心となるギベアだと考えられる。『ユダヤ古代誌』がギベアにゲルーシアや統治者がいた か、あるいはいなかったかを明言することはない。しかし物語は、そこに統治者がいない ことが問題を深刻化させる要因であることを暗示する。
内乱のきっかけは、「ベニヤミン部族のギベアの町(εἰς Γαβὰν φυλῆς τῆς Βενιαμίτιδος)」で 起こる一つの殺人事件である(AJ 5. 140)。そこで「下級のレビ人の男」の妻が、「ギベアの 若者たち(νεανίαι τινες τῶν Γαβαηνῶν)」によって殺される(AJ 5. 143, 146, 149)。
ギベアの町には統治者もゲルーシアも、そしておそらく裁判員もいないらしく、この事 件が正式に裁定されることはない。そこでレビ人の男は、「彼女の死体を一二の部分に切断 し、各部族に一つずつ送った」(AJ 5. 149)。送り先はゲルーシアではなく、各部族である。
このような告発の仕方は前例がない。レビ人は民衆に司法の権限を委ねているのである。
それを受け取ったイスラエル人は「強い衝撃を受けた」(AJ 5. 150)。
そこで正義感に燃えた人びと(ὑπ’ ὀργῆς ἀκράτου καὶ δικαίας)が次つぎとシロに集ま り(συλλεγέντες)、幕屋の前に集結して(πρὸ τῆς σκηνῆς ἀθροισθέντες)、ギベア人を討 つためにただちに武器を取って立ち上がる決意を固めた。
(AJ 5. 150)
この場面ではヘブル人が主体となって、軍事行動を準備している。民衆が最高の意思決 定機関になろうとしている。彼らは自らの判断に基づいて集合し、軍事行動を起こす敵を 指定する。彼らがゲルーシアに意見や判断を求める気配はない。民主主義がヘブル人の間 に起こり始める。
ここで登場するのがゲルーシアである。ゲルーシアは彼らに対して法に基づく行動を勧 告し、外国の敵と戦争する際の規則(AJ 4. 295-297)を拡大適用し、まずギベアに使節を送 り、犯人の身柄引き渡しが拒否されたときに戦争を仕掛けてはどうか、と助言する。ヨシ
68 ュアの時代にヨルダン川を挟んだ内戦が勃発しそうになったことが思い出される。ここで のゲルーシアの主張の根拠は法である。
しかし、ゲルーシアの長老たちは(ἡ γερουςία)次のように説いて(πείσασα)それを 制した(ἐπέσχε δ’ αὐτοὺς)。すなわち、彼らも自分たちと同じ民族(πρὸς τοὺς ὁμοφύλους)
なのだから、こちらが何を憤慨しているのかも話し合わずに、性急に戦争を仕かける のはよくない。律法は、外国人の敵(ἐπὶ τοὺς ἀλλοτρίους)にはまず使節を送るかそれ に類することを行なって、彼らに不法行為の反省を促し、それが拒絶されたときには じめて軍を派遣することを認めている。したがって、この際も律法によって、まずギ ベア人に使節を送り、犯人たちの引き渡しを要求すべきである。もし彼らがそれに応 じて犯人を引き渡せば、犯人を処罰して満足すればよい。しかし、もしわれわれの要 求を嘲笑して拒絶するならば、そのときこそわれわれは武器を取って報復すべきであ る、と。
(AJ 5. 151-152、秦訳)
ここで大衆の意見とゲルーシアの意見は対立している。大衆は、燃えたぎる正義感を根 拠とし、他方、ゲルーシアは法を根拠に国家としての行動を決定しようとしている。後の 時代に、ゲルーシアのように振舞うボアズは、ルツの要求を法に基づいていったんは退け
る(本稿4.2.1.3参照)。ゲルーシアの一員たる者は判断を情に支配させてはならないのであ
る。ゲルーシアは、民衆のそのような判断を制することにより、民衆を主体とする権力を 抑制しようとしている。その結果、最初に実行に移されるのはゲルーシアの提案である。
そこで彼らはギベア人に使節を出し、レビ人の妻を死に至らしめた若者たちを告発す るとともに、死罪にあたるこのような不法行為を処罰するために、犯人の身柄を引き 渡すように要求した。
(AJ 5. 153、秦訳)
ギベア人はヘブル人にとっての身内なのかよそ者なのか。そのような集団への対応の仕 方はモーセ法には明文化されていないため、彼らを何者として定義するかは、人々の解釈 にかかっているのである。ゲルーシアは、自らの提案の中で、ギベア人を「自分たちと同 じ民族」と見なすと同時に、「外国人」の敵に対するように彼らに対応しようともしている。
ゲルーシアはやむなく外国人を相手にした戦争の手順に従おうとする。
これにたいしてギベア人は、若者たちの引き渡しを拒絶し、戦争を仕かけると脅され たからと言って、よそ者の(ἀλλοτρίοις)命令に(προστάγμασιν)頭を下げるわけには いかない、と嘲笑した。彼らは、自分たちが武器を取れば、数や勇気ではだれにもひ
69 けをとらぬと自負していたのである。そして、彼らは攻撃を仕かけてくる者たちを撃 退できると信じ、他の部族の者とともに(τῶν ἄλλων φυλετῶν)、無謀きわまる戦争に 突入すべく大々的な準備をはじめた。
(AJ 5. 154、秦訳)
ギベア人は、結集したイスラエル人やゲルーシアをよそ者と見なそうとする。ギベア人 は同族人たちと共に抵抗することを決断する。ギベア人はゲルーシアの要求に何の権限も 見出さない。彼らは「拒絶し」、「脅された」と言い、「よそ者の命令」と見なし、「嘲笑し た」。モーセが確立しようとしたゲルーシアの権威が、ここでは無視されている。民とゲル ーシアが分断されてしまったのである。
しかしギベア人はある行動によって、ヘブル人のその後の運命を変えてしまう。それは
「他の部族とともに」戦争の準備を始めることである(AJ 5. 154)。ギベア人はベニヤミン 人と同盟を結ぶのである。これにより今後の戦いの性質が変わってしまう。ヘブル人の敵 がギベア人からベニヤミン人に変わるのである。
こうしたギベア人の返事がイスラエル人に伝えられると、彼らは、今後は自分たちの 娘を絶対にベニヤミンの男と結婚させないこと、そして、われわれの父祖たちがカナ ン人と戦ったとき以上の怒り――われわれはそれを知っている――を燃やしてベニ ヤミン人に立ち向かうことを誓った(ὅρκους)。彼らは即座に、武装した四〇万の大 軍をベニヤミン人を討つために送った。
(AJ 5. 155、秦訳)
それまではギベア人が対戦相手であったが、ここではベニヤミン人が対戦相手となって いる。この判断が下される場面にゲルーシアはいない。ベニヤミン討伐は民衆の判断なの である。したがって、ゲルーシアは内戦を防ぐことができなかった、と評価できる。
イスラエル人はギベアの町を焼き払い、女や未成年男子も虐殺した。彼らはベニヤミ ン人の他の町々も同様に取り扱ったが、彼らの怒りはそれでは収まらず、ベニヤミン 人との戦いを支援しなかったという理由で、ガラディティスのヤベシ・ギレアデの町 まで破壊した。
(AJ 5. 164、秦訳)
興味深いことに、この戦いに指揮官はいない。「軍を二つに分け(る)」のは「イスラエ ル人」である(AJ 5. 160)。後退するのも、反撃するのは「ヘブル人」である(AJ 5. 161)。 突出した人物も役人もこの戦にはいない。最初から最後まで、民意がこの騒動を導く。
当初、この問題の責任はギベア人にのみ帰せられるはずであった。しかし最終的にヘブ