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荒野の寡頭制

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 96-100)

5. 海辺と荒野の民主主義

5.3. 祭司の始祖

5.3.1. 荒野の寡頭制

前項では、モーセが手にできると期待していた大祭司職が、実は王たるアブラハムに由 来するという点を指摘した。王のような人物というモーセの性格は、アブラハムの系譜に 連なり、その系譜の特徴の一つは祭司権の保有である。ここから先では、その権限をアロ ンが手に入れる仕方を、主にコラ物語(AJ 4. 14-66)の分析によって記述する。この分析に より、アロンの大祭司職を巡る抗争が、ヘブル国の民主化の過程にとって重要な意味を持 つことが分かるであろう。荒野で人々はその要職の資格とその任命権、および選出方法を めぐって争うのである195

モーセがシナイ山で十の言葉を授かり、アロンが大祭司に選ばれた後、コラという人 物がアロンの大祭司職の選出方法に異議を申し立てる。コラは大祭司の資格審査のより厳 正な執行を訴えるのだ。彼が強調する審査基準は、出生、富、年齢である。コラの選挙制 度にしたがえば、大祭司職はヘブル人の大衆に対しては開かれていない。『ユダヤ古代誌』

のコラにとって、大祭司職はあくまで限られた人にのみ委ねられるべきものである。

『ユダヤ古代誌』でコラは、「ヘブル人の中でも出自のよさとその富のために最も有名な 者の一人」として登場する。

ヘブル人の中でも出自のよさとその富のために最も有名な者の一人で(μάλιστα καὶ

γένει καὶ πλούτῳ διαφέρων ἱκανὸς)、雄弁家として群衆に巧みに語りかける才(δήμοις

ὁμιλεῖν πιθανώτατος)もあったコラは、モーセが名誉ある最高の地位につくと、彼には

194 D. W. Rooke, Zadok’s Heirs (Oxford, Oxford Univ. Press, 2000), pp. 18-19

195 『ユダヤ古代誌』のコラ物語の政治的性格についてはFeldman, Studies in Josephus’ Rewritten Bible, 97-104 を参照。そこでFeldmanは旧約聖書のコラ物語と比較し、ヨセフスがいかにそれを政治的に脚色している かを論じている。

96 げしく嫉妬するように(χαλεπὼς εἶχεν ὑπὸ φθόνου)なった。彼はモーセと同じ部族で、

彼の縁者でもあった。

(AJ 4. 14、秦訳)

『政治学』は国民は民衆と貴族とに二分できるとするが(Pol. 4. 1291b15)、コラは後者に 属すると言える。「他方、貴族の種類は、富、生まれのよさ、徳、教育に応じて、またこれ に類するものとして挙げられる特徴に応じて区別される」、と述べられているからである

(Pol. 4. 1291b20)。コラはこれらのうち、「富、生まれのよさ」という点で傑出している。

寡頭制の側にいっそう傾いているものは、富裕であるほど教育と生まれのよさをとも なう傾向があるという理由から、貴族制と呼ばれるのが普通である。それにまた、富 裕者たちは、不正な人がそれを得ようとして不正を犯すところのものをすでにもって いると考えられており、そのために人は富裕者のことを「善美なる人」と呼んだり、

「貴族」と呼んだりする。したがって、貴族制というものは市民のなかで最善の人々 に優位な地位を割り当てようとするものである以上、人は寡頭制についてもむしろ善 美なる人々から成り立っていると言うのである。

(Pol. 4. 1293b30-40、神崎他訳)

ここでは富裕者たちが「貴族」と呼ばれる必然性について語られている。富裕者は不正か ら遠ざかっており、教育と生まれのよさという恩恵にあずかりやすい人々なのである。「と いうのも、生まれのよさとは、先祖が富と徳とをそなえていたということなのだから」(Pol.

4. 1294a20)。

実際、『ユダヤ古代誌』のコラとその一味は、「先祖たちの、あるいは自分自身の功績――

彼らの功績は先祖たちを凌いでいた――によって民の尊敬を受けている二五〇名の者」と 描写されている(AJ 4. 54)。また、「あれほど立派な人たち――いずれも貴族であった(τὸν δὲ τοιούτων ἀνδρῶν ... καὶ πάντων ἀρίστων)」とも呼ばれている(AJ 4. 61)。

物語はまずコラの動機に言及する。それは、モーセに対する激しい嫉妬とされる。

そこで彼は、その出自がモーセに劣らず、しかも財力でははるかに彼に勝る以上、自 分も彼に劣らぬ栄誉を受けて当然だと考え、不平を鳴らしはじめたのである。そのた め彼は、自分と同族のレビ人やとくにその縁者に悪意のこもった中傷を行うまでにい たった。

(AJ 4. 14-15、秦訳)

コラによれば、彼は出自と財力の点でモーセに優っており、それゆえに彼がモーセと同 等かそれ以上の栄誉を受けることは当然である。『政治学』によれば、国家には「ひときわ

97 富裕な人々」、「美しさや力強さや生まれや富といった点で抜きん出ている人」がいる。し かしこれらの者たちは「傲慢で大きな悪事をはたらく者になりやす(い)」(Pol. 1295b1-10)。 傲慢な者たちは公職の座を「熱心に追い求めること」がある、と『政治学』は指摘する(Pol.

4. 1295b 10-19)。『ユダヤ古代誌』のコラはそのような傲慢を持つ人間である。

さらにコラは次のように主張することによって、寡頭主義の立場に立っていることを明ら かにする。

もし、神がこの名誉を(τὴν τιμὴν)レビ族の一員(ἐκ τῆς Λευίτιδος φυλῆς)に与えるべ きであると決定された(ἔκρινεν)のであれば、このわたしこそそれを受けるにふさわ しい(δικαιότερος)。出生(γένει)はモーセと変わらず、富(πλούτῳ)と年齢(ἡλικίᾳ)

は彼に勝っている(διαφέρων)からだ。また、もしもっとも古い部族からというので あれば、それは明らかにルベンの部族の者たちであり、ダタン、アビラム、ペレツら がこの名誉にあずかればよい。彼らはこの部族の最長老であり、財力もあるからだ。

(AJ 4. 19、秦訳)

コラのこの主張は、『政治学』に照らせば寡頭主義に相当する。寡頭制の公職選出の基準を

『政治学』は次のように要約する。

しかし、貴族制の最も顕著な特徴は、徳に応じて公職が配分されるところにあると 考えられている。すなわち、寡頭制の基準は富であり、民主制の基準は自由である のに対して、貴族制の基準は徳なのである。

(Pol. 4. 1294a10)

寡頭制では、公職の配分は富を基準に基づいて行われるという。では富を基準とする公職 の分配とは具体的にはどのようなものか。

たとえば、公職に就く人を(τὰς ἀρχάς)籤引きで決める(τὸ κληρωτὰς)のは民主制の 特徴(δημοκρατικὸν)であり、選挙で決める(τὸ αἱρετὰς)のは寡頭制の特徴(ὀλιγαρχικόν)

であると考えられており、財産査定額に関係なく(μὴ ἀπὸ τμὴματος)決めるのは民主 制の特徴(δημοκρατικὸν)であり、財産査定額によって(ἀπὸ τιμήματος)決めるのは 寡頭制の特徴で(ὀλιγαριχικὸν)あると考えられている。

(Pol. 4. 1294b5-10、神崎他訳)

ここでは、寡頭制と民主制の公職者選出方法が対比させられている。寡頭制のそれは(1a)

選挙と(2a)財産査定(τίμημα)であり、それに対して民主的な選出法は、(1b)籤引きを 採用し、(2b)財産査定を採用しない。「たとえば民会の参加資格について言えば、民主制

98 の場合、財産査定額は度外視されるか、ほんのわずかな財産査定額しか要求されないのに 対して、寡頭制の場合には高い財産査定額が要求される」(Pol. 4. 1294b)。

「寡頭制は財産のある人々が国家統治の最高の権限を握っているときに存立(する)」(Pol.

3. 1279b)。「人々が富のゆえに支配の座に就くならば、その国制は必然的に寡頭制であ(る)」

と書かれている(Pol. 3. 1279b40)。富裕者が富を根拠として「国家統治〔への参与〕を要求 するとき」、それは寡頭制となる(Pol. 3. 1280b)。「最も重要な公職に就く人々を最高位の財 産階級に属する市民のなかから選出するよう計らう点」は寡頭制的と言われる(Pol. 2.

1266a10)。

コラは、財力に優れた自分こそ高い地位に就くべきである、と主張することにより、寡 頭制的なヘブル人国家を作ろうとしているのである。

コラの寡頭主義に基づく不満によってはじまるモーセへの反抗は、「ギリシア人や非ギリ シア人の世界にも類例のない暴動(στάσις)」と呼ばれる(AJ 4. 12)。『政治学』は内乱一般 の発生の原因について、次のように考える。

したがって、一般に忘れてはならないのは、当の権力を築く原因となった人々が――

それが個人(ἰδιῶται)であれ、公職者(ἀρχαὶ)であれ、部族(φυλαὶ)であれ、総じ てそれがどのようなものの部分であれ、どれほどの数の多さであれ――内乱(στάσιν)

を生むことである。すなわち、高い評価を受けた者たちを妬む人々(οἱ τούτοις φθονοῦντες)が内乱を(τῆς στάσεως)始める(ἄρχουσι)か、あるいは評価された者た ち自身が、みずからの優越性のゆえに、等しい処遇に甘んじるのを望まないかのいず れかである。

(Pol. 5. 1304a30-1304b、神崎他訳)

このパターンはコラの反乱にも当てはまる。コラも高い評価を受けたモーセに対して妬み を抱き、国内の抗争を起こしているからである。コラの見方によれば、役職は富の大きさ に応じて配分されねばならないので、モーセより富裕な自分がモーセより低い地位にいる こと、すなわちモーセの支配に服している状態は不平等なのである。

生まれの点ですぐれている人々のなかには、その相違のため、自分たちには等しいも のだけではふさわしくないと考える者がいる。なぜなら、先祖の徳と富がそなわって いる者こそが、生まれがよいと思うからである。

(Pol. 5. 1301b1-10、神崎他訳)

コラは「生まれの点ですぐれている人々」の一人である。コラは自らの富の大きさに注目 しており、それを基準にして、自らに配分される権限の大きさを量るべきだと考えている。

以上のように、コラは荒野において寡頭制改革を行おうとしている。

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 96-100)