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三度の大祭司選出

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 108-112)

5. 海辺と荒野の民主主義

5.3. 祭司の始祖

5.3.4. 三度の大祭司選出

107 この制度では、三十歳以上の負債のない民衆の中から抽選で選ばれた者たちが裁判員と して最終決定権を握っている(AP 63)。『アテナイ人の国制』に記されている資格審査につ いて橋場は次のように解説する。

抽籤であれ選挙であれ、およそ公的に選任された役人はすべて、就任するまえに一種 の面接試問を受けねばならない。これを資格審査ド キ マ シ アという。(中略)重要なのは、ここ で試されたのが役人としての専門知識・技能・適性などではけっしてなく、あくまで 立派な市民かどうかということであったことだ。だから資格審査は、われわれの知る 公務員試験とはまったくことなる。(中略)一人前の市民であれば、役を務めるのに 必要な程度の教養は身につけていて当然というのが、アテネ市民の共通の認識だった のだ207

コラ物語におけるヘブル人もまた、民衆を審査員とする資格審査によって大祭司を選出 しようとしている。この資格審査の開催に合意するのは、コラ、民、モーセ、アロンであ る。彼らの発言はいずれも、少なくとも表向きは、民衆に最終決定権を委ねることを認め ている。コラは寡頭主義者ではあるが、「人びとの総意にはか(って)」大祭司を選ぶべき とする(AJ 4. 15)。コラに煽動された民は、大祭司を「推薦する権限は人びとに与え」られ てしかるべきだと主張する(AJ 4. 23)。モーセは「ここにいる大衆のすべてが、実は同じよ うに名誉を受ける資格をもっていると思っている」と発言した上で(AJ 4. 25)、民によって 挙手選出された大祭司を生み出そうとする(AJ 4. 29-30, 34)。アロンも「その職にふさわし いと思っている人に広く開放しておまえたちの選択にまかせようと申し出ている」(AJ 4.

29)。このように、『ユダヤ古代誌』のコラ事件は、荒れ野におけるヘブル国家の民主化へ

の進展の過程に位置付けられている。

ただしモーセは民衆が大祭司を直接選出することは許さず、民による選出という名目で、

実質は神による選出を執り行う。それゆえ、この資格審査が終わった後も民の不満が鎮ま ることはない。モーセは引き続きヘブル国家の民主化という流れに向き合わねばならない。

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( a )一度目の選出

一度目の選出は、幕屋完成直後の神の直接指名である。「神がモーセに現れ、彼の兄アロ ンを大祭司にするよう命じた。彼の徳が他のだれよりも、そのような高位にふさわしかっ たからである」(AJ 3. 188)。「神は今、この名誉に値する人物がアロンだと判断し、(中略)

彼を大祭司に選び出された(τοῦτον ᾔρηται ἱερέα)」(AJ 3. 190)。この選出の結果は演説によ って民に伝えられ、ヘブル人は神による大祭司選出に満足する。

ヘブル人は、モーセの演説に満足し、神の選択にしたがった。アロンが、その出生、

預言者の能力、弟の徳行によって、だれよりもこのような高位に適した人物であった からである。

(AJ 3. 192、秦訳)

第一回の大祭司選出では、人物の資質が選出基準とされている。その中には弟モーセの 功績が含まれている。アロンはモーセとの兄弟関係を評価されて大祭司に選ばれているの である。したがって大衆は誰一人としてこの役職に近づくことができない。しかし大衆は 疑問を抱かずにそれを受け入れる(AJ 4. 23)。

『政治学』によれば、このような公職の分配の仕方は「門閥制」と呼ばれる。それはた とえば「子どもが父親の公職を引き継ぐ」といった類のものである(Pol. 4. 1292b1-10)。そ れゆえ門閥制は寡頭制の下位分類とされる(Pol. 4. 1292b1-10)。これは公職者が法によらず 独断で公職を分配するため、国制には含められないとされる208。コラは、高い地位に就く者 は生まれの良さと財産とによって評価されねばならないと主張したが、その主張こそは第 一回の選出基準を踏まえたものであった。

( b )二度目の選出

コラが落選する第二回の選出は、第一回のものとは異なる。すでに見たようにそれは、「財 産その他の栄誉がなくても、ここにいる大衆のすべてが、実は同じように名誉を受ける資 格を持っている」というモーセの考え方の下で行われるからである(AJ 4. 25)。何かの古い 部族に属しているかどうかは基準とはされない。そのような条件は撤廃され、大祭司職は

「その職にふさわしいと思っている人に広く開放して」構わない役職とされる(AJ 4. 29)。 ただし第二回の選挙も籤引ではなく任命方式が取られている。すなわち何らかの資格が問 われているのである。その資格とは、資格審査において犠牲が喜ばれた者である。その際 に、預言者の能力や、徳、出生、近親者の徳などが言及されることはない。このように、

第一回の選出とは対照的に第二回の選出では、大祭司職の被選出者と選挙人の双方にすべ ての民が加わることが可能となる。

208 神崎訳、117頁。

109 ところが蓋を開けてみれば、祭司に立候補するのは、「先祖たちの、あるいは自分自身の 功績――彼らの功績は先祖たちを凌いでいた――によって民の尊敬を受けている二五〇名 の者」とアロンとコラだけである(AJ 4. 54)。大衆は、可能であるにもかかわらず、この選 挙に参戦しようとしない。民にとって第二回目の選挙もやはり貴族のためのものである。

第二回の選挙を目の当たりにした大衆は、貴族が破滅したと受け止め、「この地位を最初に 要求した人たちがこんな悲惨な目に遭って滅びたからには、今後二度とそれを要求する者 はいない」と考えるようになる(AJ 4. 61-62)。政治参与に対して及び腰になるのである。

そしてモーセの傲慢な振舞いをやめさせるような運動が起こる(AJ 4. 62)。大衆にとっては 第二回の選挙をもってしても、国制は旧態依然としている。大衆にとって大祭司職は自分 たちに無縁な役職、貴族の専有物であり、モーセはやはり僭主である。役職を望めば悲惨 な死に目に遭う、と民は怯える。

( c )三度目の選出

モーセは自らの宣言に誠実であることを改めて確証する必要がある。本当に、「ここにい る大衆すべてが、実は同じように名誉を受ける資格をもっている」のか(AJ 4. 25)。この主 張に嘘偽りがないことを証明するために第三回目の選挙が開催される。モーセはこの選挙 にいたってついに十二部族すべてを強制的に関わらせるのである。

第三回大祭司選挙に、モーセは、部族(φυλή)ごとの予選を導入する。大祭司を部族長

(φύλαρχος)たちの中から選ぼう、というのである。しかも神が選ぶのは「部族名(τὰ τῶν

φυλῶν ὀνόματα)」であって、人物ではない。

彼はただ各部族長には、部族名を彫りつけた杖をもって来るように言いつけ、神が印 をつけた杖の部族長に大祭司職をおくろう、とつけ加えた。全員がこれを承認し、そ れぞれが杖をもって来た。その中にはレビと刻みつけた杖をもつアロンもいた。(中 略)杖はそれをもって来た者と一般の人びとが彫りつけた部族名によって、どれがど の部族長のものか明瞭に識別することができた。

(AJ 4. 63-64、秦訳)

モーセはそれらの杖を「神の幕屋の中に並べ」る(AJ 4. 64)。その結果、「アロンの杖だ けは、新芽と若枝が生え出しているのが見られ、成熟した果実によってそれがアーモンド であることが分かった」(AJ 4. 65)。この選挙によって、アロンの他の部族に対する優位が 確定する。

第一回目の選出では、「神がモーセに現れ、彼の兄アロンを大祭司にするよう命じた」(AJ

3. 188)。第二回目の選出では、聖職申請者たちの中からアロンが直接選ばれている(AJ 4. 54)。

残念ながら私たちは、第三回目の選出の候補者たちである部族長の選出方法を『ユダヤ古 代誌』からは知ることができない。アロンがどのような過程を経てレビ族の部族長の地位

110 にあるのかは不明である。いずれにせよ、第三回目の選挙では、十二部族が選出母体とな っている。杖に刻まれるのは部族名である。財産や生まれの良さや部族の古さは問題にさ れていない。部族は民それぞれの所属先である。十二部族を母体とする第三回目の選挙に より、大衆はようやく国の要職に自らが関与することを知るのである。

R. Boerは旧約聖書版の第三回目の奇跡が「イスラエルの子らの会衆全体」を巻き込むも

のであることを指摘している。

実は、アロンの杖をめぐる選抜(the competition)は、組織のトップに、父の家々のレ ベルに働きかけている。アロンの杖はレビの家を象徴しているが、他の十一本の杖は その他の部族からもたらされている(民数記第16章第17-18節および第17章第2-3 節を見よ)。これはすべての民(the whole people)を関わらせるコンテストであり、

アロンの発芽した杖は彼ら全員を反逆者へと変える209

繰り返して言えば、『ユダヤ古代誌』の第三回目の選挙において重要な点は、大祭司の候 補者が財産、生まれの良さ、血縁、徳といった排他的な特徴によって囲われる集団を母体 とするのではなく、十二部族それぞれの長というより包括的な集団を母体とする。杖に刻 まれるのは部族名である。それを彫りつけたのは「一般の人びと(τοῦ πλήθους)」である(AJ 4. 64)。

この選出方法は民の下す結論にも変化を生じさせる。第一回の選挙の後、大衆は、モー セの演説を通して、アロンが選ばれた所以は「その出生、預言者の能力、弟の徳行」のゆ えだと納得する(AJ 3. 192)。第二回の選挙の後では、民は、貴族がこのような悲惨な目に 遭って滅びたからには、今後二度とそれを要求する者はいないと結論付けて萎縮してしま う。それに対し、第三回の選挙の後で、民は「改めて自分たちに対する(περὶ αὐτῶν)神の 裁断(τὴν τοῦ θεοῦ ... κρίσιν)に心服し始めた」、とされる(AJ 4. 66)。大衆は第三回の選挙 が自分たちに関わるものであり、その結果は自分たちに降りかかっていることを自覚して いるのである。もはや民は、疎外感を抱いたり萎縮したりする必要はない。大祭司職とは 民による、民のための役職なのである。こうして、人々は「アロンが名誉ある大祭司職を 受けることを承認した(συγκεχωρημένα)」(AJ 4. 66)。

すでに見たように、モーセは裁判制度の改正によって民を統治に参与させ、民の自立を 促す。民は支配される側に固定されてはならず、そのような奴隷状態から解放されねばな らない。自由は民が政治に参与することによって達成される。そのための制度改革の一つ がこの第三度目の大祭司選挙なのである。

209 R. Boer, Political Myth (Durham: Duke Univ. Press, 2009), p. 85.

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 108-112)