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モーセの政治学

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 126-129)

6. 民衆の力

6.4. モーセの政治学

『ユダヤ古代誌』のモーセの統治もまた、支配するもの(ἄρχειν)221とされるもの(ἄρχεσθαι)、 という二分法である。荒野の彷徨もいよいよ終わりに近づいたときに、民との別れを告げ る演説のなかので、モーセは「支配されること」と「支配すること」の相互関係を論じる。

大祭司エレアザルとヨシュアは、ゲルーシアの長老たちと各部族の指導者たちととも に、おまえたちがしたがえば必ず繁栄に至る最上の判断を与えてくれるだろう。彼ら の言葉にすすんで耳を貸しなさい。よくしたがうこと(ἄρχεσθαι καλῶς)を知る者は すべて権威の伴う任務につけばいかによく支配するか(ἄρχειν)を知っている、とい うことを悟ってほしい。

(AJ 4. 186、秦訳)

ここでモーセは、民を指導する者たち――エレアザルとヨシュアとゲルーシアと部族の 指導者たち――の判断や命令に従うように勧めている。それは民が幸福に至るためである が、それは同時に、民が「よく支配する」ためでもある、とされる。支配されることで、

支配することを学ぶ、という論法である。国家は、支配するものと支配されるものとに分

220 神崎訳、219頁注2も参照。

221 神崎訳、149頁は、『政治学』の「市民たちは順番に公職に就くことを要求するのである」という一文

(Pol. 3. 1279a5-10)について、「『公職に就く』と訳した『アルケイン』は『支配する』という意味にもな る」と解説している。

126 割されるが、支配されることは単に隷属を意味するのではなく、いずれ自らに支配する役 割が回ってきたときための備えである、というのだ。これと似た論法は『政治学』にも表 れる。

『政治学』は、「市民的支配」――市民による市民の支配――なるものがいかに「主人的 支配」――主人による奴隷の支配――なるものと違うのかということを論じるために、「立 派に支配に服すること」という観点を持ちこむ(Pol. 3. 1277a20)。「名高い市民の徳とは、

立派に支配し、立派に支配に属する能力であると考えられている」(Pol. 3. 1277a20)。両者 は対立しているのではなく、「市民的支配」においては互換性があり、「この種の支配を行 う仕方は、支配する者が支配に服することによって学ばなければならない」とされる(Pol.

3. 1277b)。

たとえば、人は騎兵隊長の指揮に従うこと(ἱππαρχηθέντα)によって、騎兵隊の指揮 を執る(ἱππαρχεῖν)仕方を学び、将軍の指揮に従い(στρατηγηθέντα)、大隊長や中隊 長を務めることによって、将軍として指揮を執る(στρατηγεῖν)仕方を学ぶ(μαθεῖν)。 したがって、「支配に服したことがなければ(μὴ ἀρχθέντα)うまく支配することはで きない(οὐκ ἔστιν εὖ ἄρξαι)」と言われるが、これも正しいことを言っているのである。

この両者の徳は異なっているとはいえ、善き市民であるためには(τὸν πολίτην τὸν

ἀγαθὸν)、支配すること(ἄρχειν)と支配に服すること(ἄρχεσθαι)の両方を心得てい

て(ἐπίστασθαι)、両方ともできる(δύνασθαι)のでなければならない。そしてこのこ とが、つまり自由人の支配を両面にわたって心得ていることが市民の徳なのである。

(Pol. 3. 1277b10、神崎他訳)

『政治学』はこのように軍事指揮官を例として、よく支配するためにはまず支配されるこ とを学ばねばならない、と説く。

この論法は、『ユダヤ古代誌』のモーセの政治学に共有されているものである。そして、

『ユダヤ古代誌』もやはり、その政治理論を軍事指揮権にたとえて論じている。それが指 揮官ヨシュアの物語である。『ユダヤ古代誌』における彼の経歴は、支配に服することで支 配することを学ぶ事例として、意義を持つ。

ヨシュアは、モーセの「預言者の任務と指揮官の任務」を譲り受け、モーセの後継者と なる(AJ 4. 165)。「ヨシュアはそれまですでにモーセの指導を受け、律法と神事に関する完 全な教育を身につけていたのである」(AJ 4. 165)。ヨシュアは、モーセが「指揮官」の地位 にあったとき、その指揮下で「長」に任命される(AJ 3. 47-49)。対アマレク戦開始直前の ヨシュアは、モーセの指揮に忠実な部下として描かれる。

モーセもその夜は、戦闘中の軍の配置はどうあるべきかをヨシュアに教えるためにほ とんど一睡もしなかった。さて、モーセは朝になって最初の曙光が射しはじめるとも

127 う一度ヨシュアを励まし、彼が託されている期待に背かぬ立派な行動をとり、教えら れた指揮法にしたがい軍隊の名をその功業によって高めるようにと言った。次にモー セは、ヘブル人の中のもっとも著名な人たち一人ずつに訓戒を与え、最後に、武装し た全軍団を鼓舞する演説を行なった。

(AJ 3. 51、秦訳)

「ヨシュアの指揮官としての能力は、彼が、大将軍としてのモーセを直接的に自らの師匠 に持っていたとされることにより、よりいっそう強調されている」222。ヨシュアはモーセの 後継者となる前に、モーセのもとで直接指揮官の手法を学んだという点を強調している。

ヨシュアは、自らの最高指揮官の命令と教えに忠実に従うことにより、ヘブル人を大勝に 導く(AJ 3. 59)。アマレク戦でのヨシュアは、支配する者はまず支配されねばならない、と いう鉄則を守っている。

『政治学』は、指揮官となるためには、まず指揮官に従うことによって、指揮法を学ぶ こと(μαθεῖν)が肝心である、と説く。『ユダヤ古代誌』第 6 巻でヨシュアは、モーセの弟 子(τοῦ μαθητοῦ αὐτοῦ Ἰησοῦ)として紹介されている(AJ 6. 84)。『ユダヤ古代誌』のヨシュ アは、まず支配されることで支配することを学ぶべきである、というモーセの統治者理論 の体現者なのである。モーセの後継者としてのヨシュアの高い地位は、Feldmanが言うよう に、たしかに「知恵、雄弁さ、勇敢さ、忍耐、柔軟性、そして敬神といった資質」223に基づ いている。さらに『ユダヤ古代誌』はそれらに加えて、よく支配に服したという経験を、

彼の支配権の正統性を証明するものとしているのである。

さらに、ヨシュアの服従の事例は、荒れ野でのヘブル人の国制変化、すなわち「単独支 配から民主制へ」という変革の過程の中に適切に埋め込まれている。よく支配されること によって、よく支配する統治者となったヨシュアの経歴は、市民による政治参加の模範な のである。市民もよく支配するためには、まず、よく支配されることを学ばねばならない のである。

支配されることの重要性は王制時代のサムエルも強調している。彼はサウル王に次のよ うに説く。

いいかよく覚えておくがよい。神は他のだれよりもおまえに好意を示し、おまえを王 にされたのだ。だから、おまえは神の意志をよく守り(πείθεσθαι)、その言葉をよく 聞かねばならぬ(κατὴκοον)。おまえが雑多の民族を支配しているとき(μὲν ἔχοντος τὴν

τῶν ἐθνῶν ἡγεμονίαν)、神はおまえと全世界を支配しておられるのだ(τοῦ δὲ θεοῦ καὶ

τὴν κατ’ ἐκείνου καὶ τῶν ὅλων πραγμάτων)。

(AJ 6. 131、秦訳)

222 Feldman, Josephus’s Interpretation of the Bible, p. 448.

223 Ibid., p. 443.

128 支配する者は支配されていることも忘れてはならないというのである。全世界の支配者と しての神のイメージは、支配されることの側面を強調するアブラハム、モーセ、そしてサ ムエルにとって欠かせないものなのである。

『政治学』によれば、「幸運に恵まれ、体力や富や友人や何かそのようなものをあまりに も多くもっている人々は、支配されることを望まず、また支配されるべきも心得ていない」

(Pol. 4. 1295b10-29)。彼らは「いかなるかたちにせよ服従するすべを心得ておらず、主人 のように支配するすべを知っているにすぎない」(Pol. 4. 1295b20-29)。このような人々から 成る国家は、「友愛からも国家共同体からもかけ離れている」(Pol. 4. 1295b20-29)。支配さ れることの大切さを説くアブラハム、モーセ、そしてサムエルは、単に国制を定めていた だけでなく、ヘブル人の国制の根本原理をも説いていたのである。

ドキュメント内 第一例:『バッカイ』と人民寺院 (ページ 126-129)