第 5 章 意味フレームに基づく複合動詞の考察
5.2.3 複合動詞における多義語の解釈―「~取る」を例に―
複合動詞の適格性と関連して,本節では「奪い取る」や「洗い取る」のようなV2「取 る」を含む複合動詞について分析することで,複合動詞における多義語の解釈を検討す る。対象となるのは『日本語複合動詞リスト』に収録されている全65語の「~取る」
である。
不整合
「~取る」は多義語であり,大きくa. <対象を取得する>とb. <対象を除去する>
という二つの意味に分けられる。
(11) a. 太郎はお年寄りからお金を騙し取った。(V2: <対象を取得する>)
b. 太郎はテーブルから汚れを拭き取った。(V2: <対象を除去する>)
そして,「~取る」は『複合動詞用例データベース』の用例から判断したV2「取る」が 表す意味に基づいて,以下のように三つのグループに分けられる。
(12) 「~取る」が表す意味と,その場合のV1
a. <対象を取得する>
V1: 打つ,つかむ,吸う,かじる,貪る,刈る,狩る,召す,受ける,選ぶ(対象を自分 のコントロール下におさめる)
攻める,戦う,勝つ,奪う,盗む,かすめる,脅す,ゆする,せびる,騙す,乗る,
買う,引く,寝る,迎える(対象の所有権を自分のほうに移す)
感じる,嗅ぐ,聞く,見る,読む,書く,学ぶ,汲む(対象を認知的に受容する) 縫う,はかる,写す(対象を新たに出現させて自分が利用できる状態にする) 全36語
b. <対象を除去する>
V1: 拭く,拭う,掃く,焼く 全4語
c. <対象を取得する> or <対象を除去する>
V1: 切る,削る,削ぐ,えぐる,折る,破る,ちぎる,剥がす,剥ぐ,抜く,むしる,
もぐ,摘む,こす,こする,絞る,すくう,擦る,抱く,舐める,掘る,巻く,
掻く,絡む,移す 全25語
V2がどの意味として解釈されるかは,V1の意味フレームとの間に,どのような意味 的な一致が見られるかによって決まる。例えば,表5-10が示す通り,「盗み取る」にお
いて,V2「取る」が<取得する>という意味である場合には,V1の下位事象の【目的】
に含まれている情報と,V2の中心事象の間に意味的な一致があり,同様に,V2の下位 事象の【手段】に含まれている情報とV1の中心事象の間にも意味的な一致がある。こ れによって,「盗み取る」が成立している。
表5-10 「盗み取る」における意味的な一致性
V1「盗む」 V2「取る」
中心 事象
【加害者】が【起点】から【被害者】
の所有する【対象】を不当に手に入れ る
【行為者】が【起点】から【対象】
を取得し,自分の所有物とする
事象 参与者
【加害者】:【起点】から【被害者】の 所有する【対象】を不当に手に入れる ことで,【被害者】に被害を与える意 思的な主体(通常は人)。
【対象】:【加害者】が【起点】/【被 害者】から不当に手に入れるもの。
【起点】:【対象】が位置する場所。
【被害者】:【加害者】に自らの所有す る【対象】を不当に取られることで被 害を受ける人または組織。
【行為者】:【対象】を手に入れると いう意図的な行為を行う意思的な 主体(通常は人)。
【対象】:【行為者】が働きかける,
ある【起点】に位置するもの。
【起点】:【対象】が本来位置する場 所。
関連 事象
目的 (【対象】を自分の所有物 にするため;…)
手段 (【対象】を盗むことで;
【対象】を奪うことで;
…)
様態 (こっそりと;素早く;…) 様態 (こっそりと;強引に;…)
前提的 背景
(【対象】を欲している;
【対象】は他人の所有物 である;…)
前提 的背 景
(【対象】を欲している;
【対象】は他人の所有物 である;…)
… …
一方,V2「取る」が<除去する>を表す場合には,表5-11のように,V1「盗む」と の間に意味的な一致を見いだせない。その上,V1とV2の【前提的背景】の間に不整合 が生じるため,<除去する>という意味には解釈できない。
表 5-11 「盗む」と除去を表す「取る」の場合
V1「盗む」 V2「取る」
中心 事象
【加害者】が 【被害者】/【起点】
から【対象】を不当に手に入れる
【行為者】が【起点】から【対象】
を除去する 事象
参与者
【加害者】:【起点】から【被害者】
の所有する【対象】を不当に手に入 れることで,【被害者】に被害を与え る意思的な主体(通常は人)。
【対象】:【加害者】が【起点】/【被 害者】から不当に手に入れるもの。
【起点】:【対象】が位置する場所。
【被害者】:【加害者】に自らの所有 する【対象】を不当に取られること で被害を受ける人または組織。
【行為者】:【対象】を除去するとい う意図的な行為を行う意思的な主体 (通常は人)。
【対象】:【行為者】が働きかける,
ある【起点】に位置するもの。
【起点】:【対象】が本来位置する場 所。
関連 事象
目的 【対象】を自分のものにす( るため;…)
手段 【対象】が付着している【起( 点】を洗うことで;【対象】
を摩擦することで;…)
様態 (こっそりと;素早く;…) 様態 (ゆっくりと;素早く;…)
前 提 的 背景
(
【対象】を欲している;…) 前 提 的 背景
(【対象】は不要なものであ る;…)
… …
次は(12)における<対象を取得する>と<対象を除去する>の両方の意味で解釈で きる場合について見てみよう。この場合のV1の【目的】に(対象を自分のものにするた め)と(対象をある場所から取り除く)が共に含まれているため,V2「取る」は両方の意味
不整合
とも成立可能である。実際にどの意味に解釈されるかは,文全体の文脈が喚起する背景 フレームによって決まる。例えば,「抜き取る」という複合動詞は,(13)のような〈窃盗〉
という背景フレームでは,V1「抜く」の【目的】が(対象を自分のものにするため)とな り,V2は<取得する>という意味に解釈される。一方,(14)のような〈魚の骨取り〉の 背景フレームでは,V1「抜く」の【目的】が(対象をある場所から取り除く)となり,V2 は<除去する>という意味になる。
(13) 白川は少し迷ってから,金を抜き取ってズボンのポケットに入れる。
(BCCWJ 村上春樹 『アフターダーク』)
(14) さばは骨を抜き取り,ひと口大に切り,塩,こしょう少々をふる。
(BCCWJ NHK科学番組部編; 並木和子監修 『NHKためしてガッテン血液サラサ
ラ健康レシピ』)
以上のように,複合動詞における多義語の解釈は意味フレーム及び背景フレームの情 報に基づいて行われると考えられる。