第 5 章 意味フレームに基づく複合動詞の考察
5.2.1 動詞の意味フレームと複合動詞の意味的な結合制約
本研究では動詞の意味フレームに基づいて,語彙的複合動詞には以下のような意味的 な制約があると主張する。
(2) 語彙的複合動詞の意味的な制約
1) 複合動詞の意味関係のコンストラクション(「原因―結果」型,「手段―目的」型,
「様態―移動」型など)によって指定されるV1とV2の意味フレームの関連事象の 間に,意味的な一致性がなければならない。
2) V1のV2の意味フレームにおいて,不整合が生じてはならない。
意味的な一致性が必要であるということ,そして,不整合が生じてはならないというこ とは,両方複合動詞が成立するための必要条件である。本節おいては,まず複合動詞に おける意味的な一致性とは何か,ということについて説明する。意味的な制約の中で,
意味的な一致性という条件を満たしても,V1 と V2 の意味フレームの間に何らかの不 整合が生じる場合は複合動詞として成立できないが,この点については次節で取り上げ ることにする。
動詞の関連事象には【原因】,【結果】,【手段】,【目的】,【理由】,【前提的背景】,【様 態】,【感情】,【感覚】,【付随音】など,多くのものが含まれるが,V1とV2の関連事象 の間に意味的な一致性があれば複合動詞として成立するというわけではない。前述のよ うに,複合動詞のV1とV2の意味関係は「手段―目的」型,「原因―結果」型などに限 られており,本研究でいう意味的な一致性はこのような特定の意味関係によって指定さ れている。意味的な一致性がどの関連事象で見られるのかは,V1 と V2 の動詞の型に よって,ある程度決まってくる。
例えば,(3)のような「叩き壊す」について考えよう。
(3) 吉川は,怒りのあまり,刃引剣で柱や壁を叩き壊していく。
(BCCWJ 宮本昌孝 『夕立太平記』)
「叩き壊す」はその形式([他動詞-他動詞]V)から,手段―目的型のコンストラクショ ン[Vi-TR-Vj-TR]V↔[EjBY Ei]と判断される40。そのため,手段―目的型のコンストラクショ ンが指定する特定の意味的な一致性があるかどうかが鍵になってくる。手段―目的型は,
表5-1のように,V1の【目的】とV2の中心事象,そして,V2の【手段】とV1の中心 事象において意味的な一致性がなければならない,という指定を持つ(表における網掛 けになっている部分と四角で囲まれている部分は意味的な一致性があるところを表し ている)。
表 5-1 手段―目的型が要求する V1 と V2 の意味的一致性
V1 V2
中心事象 ……… ………
事象参与者 【…】;【…】;【…】;【…】;… 【…】;【…】;【…】;【…】;…
関連事象 目的 (【………;
………;
………;
………;…)
手段 (………;
………;
………;
………;…)
… …
V1「叩く」は,関連事象の【目的】として,(【対象】を破壊するため)や(【対象】を 変形させるため)などが含まれているが,〈破壊〉という背景フレームにおいては,(【対 象】を破壊するため)という要素が喚起される。これは,V2「壊す」の中心事象と一致 している。一方,V2「壊す」のフレーム要素の関連事象【手段】にも様々な情報が含ま れているが,その中の一つに(【対象】に打撃を与えることで)という要素が含まれる。
これはV1「叩く」の中心事象と意味的に一致している。したがって,表5-2のように,
「叩き壊す」は,〈破壊〉フレームという背景フレームにおいて,意味的な一致性が見 られるため,複合動詞全体として整合性の取れた意味フレームを構築している。さらに,
この意味フレームは手段のスキーマと一致する。
40 第三章で検討したように,自動詞や他動詞のような文法的なカテゴリーも抽象的なもの ではあるが,形式として捉えられる。
表 5-2 「叩き壊す」の意味フレーム [tatakii-TR-kowasuj-TR]V↔[EjBY Ei] 背景フレーム:〈破壊〉フレーム 中心
事象
【行為者】が【道具(手)】を用いて【対象】に打撃を与える V1ことによっ て【対象】の機能を失わせるV2
事象 参与者
【行為者】:【対象】に対して意図的な破壊行為を行う意思的な主体(通常は 人)。
【対象】:【行為者】の働きかけを受けて本来の機能を失うもの。
【道具(手)】:【行為者】が【対象】の機能を失わせるために用いる手または 手に持つもの。
関連 事象
目的 (【行為者】の怒りを発散するため;【対象】に入っている内
容物を取り出すため;…)
前提的背景 (【対象】は何かの性能を持っている;…)
結果 (【対象】の機能が失われる;…)
理由 (【行為者】に何か不満があったから;…)
…
V1「叩く」 V2「壊す」
中心 事象
【行為者】が【道具(手)】を用いて【対 象】に打撃を与える
【行為者】が【道具】を用いて【対 象】の本来持っていた性能を失わせ る
事象 参与者
【行為者】:【対象】に対して意図的な 行為を行う意思的な主体(通常は人)。
【対象】:【行為者】の働きかけを受け るもの。
【道具(手)】:【行為者】が【対象】に 働きかける際に用いる手または手に 持つもの。
【行為者】:【対象】に対して意図的 な破壊行為を行う意思的な主体(通 常は人)。
【対象】:【行為者】の働きかけを受 けて本来の機能を失うもの。
【道具(手)】:【行為者】が【対象】
の機能を失わせるために用いる手 または手に持つもの。
関連 事象
目的 (【対象】を破壊するた
め;【対象】を変形させ るため;…)
手段 (【対象】に打撃を与えること で;【対象】に圧力を与える ことで;…)
… …
「叩く」は【目的】として様々な事象を含むが,V2「壊す」の中心事象と一致してい るものがリストに含まれていれば,意味的な一致性がある。また,「壊す」は【手段】
として様々な事象を含むが,V1「叩く」の中心事象と一致するものがリストに含まれて いれば,意味的な一致性がある,ということになる。
一方,「*撫で壊す」においては,「撫でる」が【目的】として(【対象】を破壊するた め)というのを含まないと思われるため,このような意味的な一致性が存在しない。し たがって,この複合動詞は成立できない。
意味フレームにおける関連事象にどういう情報が含まれているかはある程度個人差 が存在し,その差によって複合動詞に対する容認度が異なる場合がある。例えば,「?舐 め落とす」はある特定の知識を有する人でなければ,落とすことの手段として舐めると いう状況(「舐め落とす」が整合的となる背景フレーム)を思い浮かべることが難しい ため,意味フレームにおいて整合的な意味的一致性がなく,容認度は低い。しかし,も し馬や牛が子供を産んだあとに,子供の体が冷えてしまわないように,すぐにその子供 の体についた羊水などを舐めて取り除くという習性があることを知っていれば,「体に ついた羊水を舐め落とす」というように使用することが可能となる。このように,ある 人にとっては容認度が高くない複合動詞であっても,特定の背景的な知識を有する人な ら容認度の高いものとして成立できる。新しい背景的な知識によって動詞の表す概念の 関連事象が追加され,そして複合動詞の容認度が上がるのである。このことにおいても,
関連事象の実在性を見ることができる(背景フレームについては5.3 で詳しく説明する)。
第二章の先行研究のところで,従来の LCS には動詞が指し示す動作や論理的に含意 する結果しか意味構造に含まれていないため,「~散らす」などの結合制限を説明する ことができない,と述べた。それに対し,本研究では次のように説明される。「〜散ら す」と共起するのは,関連事象の【目的】の一つとして,「散らす」の中心事象が含ま れている動詞である。関連事象の【結果】や【目的】などは典型的に起こりうることで
あればよい。(4)の「蹴散らす」については以下のように考えられる。
(4) 川床の砂利を蹴ちらし暴れた。 (BCCWJ 鎌田敏夫 『新・里見八犬伝』)
「蹴る」はその目的の一つとして,対象を散乱させることを含んでいる。また,「蹴 る」の中心事象も,「散らす」の手段の一つに挙げられる。つまり,「蹴散らす」などが 成立できるのは,表5-3のように整合的な意味的一致性が存在するからである41。
表 5-3 「蹴散らす」の意味フレーム [kei-TR-tirasuj-TR]V↔[EjBY Ei] 背景フレーム:〈散乱〉フレーム 中心
事象
【行為者】が【足】で【全体的な対象】に衝撃を与えるV1ことによって【全 体的な対象】を散乱させるV2
事象 参与者
【行為者】:【全体的な対象】に対して意図的に散乱させる行為を行う意思 的な主体(通常は人)。
【全体的な対象】:本来はまとまった状態にあるが,【行為者】の働きかけ を受けて分解するもの。
【全体の一部】:【行為者】の働きかけによって【全体的な対象】が分解さ れたあとのもの。
【足】:動物や人の,胴体から分かれ,体を支えたり歩行に使ったりする身 体部位。
関連 事象
前提的背景 (【全体的な対象】がまとまった状態にある;…)
目的 (鬱憤を晴らすため;…)
…
V1「蹴る」 V2「散らす」
中心 【行為者】が【足】で【対象】に衝 【行為者】が【全体的な対象】を散
41 「戦車が敵を蹴散らした」のように,<追い払って散り散りにする>という意味もある が,ここでは「川床の砂利を蹴散らした」のように,実際に蹴るという動作によって何かを 散乱させる意味について分析する。
事象 撃を与える 乱させる 事象
参与者
【行為者】:【対象】に対して意図的 な行為を行う意思的な主体(通常は 人)。
【対象】:【行為者】の働きかけを受 けるもの。
【足】:動物や人の,胴体から分かれ,
体を支えたり歩行に使ったりする身 体部位。
【行為者】:【全体的な対象】に対し て意図的に散乱させる行為を行う意 思的な主体(通常は人)。
【全体的な対象】:本来はまとまった 状態にあるが,【行為者】の働きかけ を受けて分解するもの。
関連 事象
目的 (【対象】を散乱させ る;【対象】を破壊さ せる;…)
手段 (【全体的な対象】に【足】
で衝撃を与えることで;
【全体的な対象】をばらま くことで;…)
理由 (不満があったため;
…)
…
前 提 的 背景
(【全体的な対象】がまとま った状態にある;…)
…
一方,「*握り散らす」,「*運び散らす」などが成立できないのは,それぞれの【目的】,
【手段】の関連事象と中心的事象の間に整合的な意味的一致性がないからだと説明でき る。意味的な一致性がない,あるいは意味フレームにおいて不整合が生じる場合は複合 動詞として結合できない42。
先に指摘したように,V1「こする」はV2「つける」ともV2「落とす」とも結合でき る。
42 分析的でない例は V1V2 が一つの全体として個別動詞レベルのコンストラクションとし て成立するため,この制限を受けない。逆に言えば,全体が一つの個別動詞レベルのコンス トラクションとして成立していないものは,この制限に適合しなければ複合動詞として結 合できない。