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第 5 章 意味フレームに基づく複合動詞の考察

5.2.2 意味フレームに基づく複合動詞の結合制限と類義表現の使い分け

5.2.2.1 組み合わせの制限

前項動詞 V1 と結合し,ある対象を捉えることに失敗することを表す V2 に「~おとす」,「~

もらす」,「~のがす」があるが,どのようなV1と結合するのかは意味フレームによって制限され る。これらのV2がどのようなV1と結合するのかを見るために,「Webデータに基づく複合動詞 用例データベース」に基づいて,その結合パタンと用例を表5-6に示す。

表 5-6 「~おとす」「~もらす」「~のがす」の結合パタン

V2 結合パタン 用例数 例文

おとす 見落とす 1470 看板を見落とすと通り過ぎてしまいますよ。

聞き落とす 446 大事な指示や,話しかけられた声などを聞き落とす 読み落とす 271 長文で情報を読み落とすこともあまりありません。

書き落とす 185 大事なことを書き落とす所だった。

もらす 聞き漏らす 619 キーワードを聞き漏らすと正解できない。

撃ち漏らす 235 北朝鮮がミサイルを連射すれば,撃ち漏らすことも あり得る

書き漏らす 116 一番重要な情報を書き漏らすな!

討ち漏らす 95 敵を討ち漏らす事の無い圧倒的な速さ

打ち漏らす 78 0.01秒間に数千発の攻撃を迎撃して17本打ち漏ら すくらいの速さだが

のがす 買い逃す 1413 お か げ で , 新 刊 を 買 い 逃 す 事 が 無 く な り ま し た!!!

聞き逃す 1307 バターのパチパチという音を聞き逃すな!

見逃す 1277 2011年,最後の放送を見逃すな!

聴き逃す 719 危うくこの意欲曲を聴き逃す所だった。

撮り逃す 578 決定的瞬間を撮り逃すことなく撮影できるのだ。

読み逃す 213 字幕が止まってくれないんで読むのに時間がかか ると内容を読み逃す事が多い

食べ逃す 130 これを食べ逃すと,次に出会えるのは1年後です ね。

乗り逃す 98 駅でICカードを落とすという失態をやらかし,1

本電車を乗り逃す。

売り逃す 83 アニメやってるこの時期に売り逃すのはもったい なかった…

次節より,表5-6に基づき,「~おとす」「~もらす」「~のがす」の結合パタンを分析す る。

5.2.2.1.1

「~おとす」

まず,「~おとす」は松本 (1998: 64-66) にて説明されているように,知覚情報を物体に見 立てて,それを逸することを物体の捕獲の失敗に例えて表現している。我々は抽象的な情報 のやりとりを日常生活上の経験基盤に基づき,具体的な物体の受け渡しに見立てて理解する ことがある。例えば,「相手が差し出した言葉を受け取る」,「判決を言い渡す」,「励ましの言葉 をもらった」などのような表現である(Reddy 1979, Lakoff & Johnson 1980などを参照)。そして,

「~おとす」の用法に対しても,情報のやりとりは物体の受け渡しという概念として理解されてい ることが根底にある。それゆえ,「~おとす」は情報のやりとりの最中に,無意識的に一部の情 報を脱落させたことを物体の受け渡しの時に無意識的に物体を落したことに見立てて理解す るという,類似性に基づいた意味関係を示す。

表 5-6 のように,ある対象を捉えることに失敗することを表す「~おとす」と結合できる V1 に

「見る」,「読む」,「書く」,「聞く」がある。この場合 V1 の意味フレームによって対象が映像や文 章の内容,もしくは音声に制限されるが,これらは全て「彼の姿を捉えた」や「文章の内容をつ かむ」,「音を聞き取る」のように,物体として捉えることができる。そのため,V2「落とす」の意味 フレームによって対象が物体として制限されるのと矛盾しない。また,V2「落とす」の【前提的背 景】 (動作主が対象を入手しようとしている)と,V1「読む」の中心事象の間に意味的な一致性 が見られる。そのため,V1「読む」と V2「落とす」は整合性を保った意味フレームを構成するこ とができ,複合動詞として成立できる。例として(7)の「試験の回答方式を読みおとした」にお ける「読みおとす」の意味フレームを表5-7に示す。

表 5-7 「読みおとす」の意味フレーム [yomii-otosuj]V↔[EiIS THE PRESUPPOSITION OF Ej-CHG]

背景フレーム:〈読解〉フレーム 中心

事象

【認知主体】が【目】で【文字列】を【視線】で追うことで【情報】を受 け取るV1上で【情報】を受け取ることに失敗するV2

事象 参与者

【認知主体】:【目】で【文字列】を【視線】で追うことで【情報】を受け 取る人。

【情報】:【文字列】から【認知主体】が受け取る知識。

【目】:【認知主体】の身体部位の一つで,ものを見るための器官。

【文字列】:文字で構成された【情報】を含むもの。

【視線】:【目】と見る対象を結ぶ線。

関連 事象

結果 (【情報】が入手できない状態になる;…)

前提的背景 (【目】で【文字列】を視線で追うことで,【文字列】を視覚 的に認知しようとしている;…)

原因 (【認知主体】の注意力が欠けていたため;【文字列】の文字 が小さかったため;…)

V1「読む」 V2「おとす」

中心 事象

【認知主体】が【目】で【文字列】を

【視線】で追うことで【情報】を受け 取る

【行為者】が【対象】を受け取るこ とに失敗する

事象 参与者

【認知主体】:【目】で【文字列】を【視 線】で追うことで【情報】を受け取る 人。

【情報】:【文字列】から【認知主体】

が受け取る知識。

【目】:【認知主体】の身体部位の一つ で,ものを見るための器官。

【行為者】:【対象】を受け取ること に失敗する主体(通常は人)。

【対象】:【行為者】が受け取るもの。

【文字列】:文字で構成された【情報】

を含むもの。

【視線】:【目】と見る対象を結ぶ線。

関連 事象

前提的背景 (【文字列】は通常読 み返せるため逃げな い)

前提的 背景

(【行為者】が【対象】

を入手しようとしてい る)

… 結果 (【対象】が入手できな い状態になる)

5.2.2.1.2

「~もらす」

次に,「~もらす」は情報の受け渡しを液体の受け渡しと見立てることによって,あ る範囲内の全体を保持しようとして,その一部を捉え損ねるという意味である。「もら す」という動詞によって〈漏出〉という背景フレームが喚起されるため,複合動詞を構 成したときに,対象が流動体として捉えられるものでなければならない。また,例文(6) の「??携帯をバッグに入れていると,着信音を聞きもらすことがよくある」の容認度が 低いのは「~もらす」の関連事象に,【前提的背景】 (動作主は容器の中にある流動体の 全体を保持しようとしている),というフレーム要素があることによって,範囲の中に ある全てのものを捉えようとする意識が喚起され,着信音の一部を聞くことに失敗する という意味になるからだと考えられる。BCCWJで「聞きもらす」を調べてみると,次の 例文のように,43件中15件の高い確率で,否定形を用いて「一言も」のような表現と共起 するのはこのような全体を捉えようとする背景知識によるものだと思われる。

(8) 辻静雄はそれを一言もききもらさないように注意して通訳した。

(BCCWJ 海老沢泰久『美味礼讃』)

(9) 生々しい堀内の話に,角田は全身を耳にして,ひとことも聴きもらすまいと努めた。

(BCCWJ 上原光晴『堀内海軍大佐の生涯』)

「~もらす」がV1と結合して,一つの整合性の取れた意味フレームを構成する例とし て,「聞きもらす」の意味フレームを表5-8に示す。

表5-8 「聞き漏らす」の意味フレーム [kikii-morasuj]V↔[EiIS THE PRESUPPOSITION OF Ej-CHG]

背景フレーム:〈音声の漏出〉フレーム 中心

事象

【認知主体】が【耳】で【音声】を聴覚的に認知するV1上で【音声】の一 部を捉えることに失敗するV2

事象 参与者

【認知主体】:【耳】で【音声】を聴覚的に認知する人。

【音声】:【認知主体】が【耳】で受け取るもの。

【耳】:【認知主体】の身体部位の一つで,【音声】を聞くための器官。

関連 事象

結果 (【音声】の一部が捉えられない状態になる;…)

前提的背景 (【耳】で注意を傾けることで,全ての【音声】を捉えようと している;…)

原因 (【認知主体】の注意力が欠けていたため;…)

V1「聞く」 V2「もらす」

中心 事象

【認知主体】が【耳】で【音声】を聴 覚的に認知する

【行為者】が【流動体】の一部を捉 えることに失敗する

事象 参与者

【認知主体】:【耳】で【音声】を聴覚 的に認知する人。

【音声】:【認知主体】が【耳】で受け 取るもの。

【耳】:【認知主体】の身体部位の一つ で,【音声】を聞くための器官。

【行為者】:【流動体】を捉えること に失敗する人。

【流動体】:液体か気体,またはそれ として認識できる抽象的なもの。

関連 事象

前提的背景 (【音声】は通常消え てなくなるものであ る)

前提的 背景

(【行為者】は容器の中 にある【流動体】の全体 を保持しようとしてい

… る)

結果 (【流動体】の一部が保

持できない状態になる;

…)

杉村 (2005) は「見る」の場合,対象となる文字や映像が一つの固まりとしてイメー

ジされるため「見おとす」とは言えるが,液体や気体のようにすり抜けていくイメージ とはならないため「*見もらす」とは言いにくいと主張している。しかし,「北朝鮮が ミサイルを連射すれば,撃ち漏らすこともあり得る」のように,「~もらす」の対象はミ サイルという固体の場合もあるため,上記の主張とは一見矛盾するように思われる。本 研究はこれを「~おとす」の意味との棲み分けの結果であると考える。「~おとす」は

「撃つ」のようなV1と結合した場合は,「ミサイルを撃ちおとす」のように,<下方へ移動さ せる>ことを表す。そのため,複数のミサイルを迎撃する際に,その一部を撃ち落とすことに失 敗するという,<対象の一部を捉えることに失敗する>ことを表す際には曖昧性を避けるため に「撃ちおとす」の代わりに「撃ちもらす」を用いる。一方,このような「~おとす」の 曖昧性が生じない場合においては,「~おとす」は固体として捉えられる具体的なもの に用いられ,「~もらす」は液体として捉えられるものに用いられる。「音が漏れてい る」と言えるように,「聞く」の対象となる音は液体や気体として認識することができ るため,「聞きもらす」と言える。一方,「*映像が漏れている」とは言えないように,

「見る」の対象である映像は具体的なものであるため,液体や気体として認識しにくい。

そのため,「*見もらす」が容認できないのだと思われる。

5.2.2.1.3

「~のがす」

「~のがす」はその背景にある〈捕獲行動〉フレームによって,対象は捕獲者が捉えた いと思うものであり,加えて,その対象は「逃げる」もの,すなわち「捕獲できない状態 になり得る」ものでなければならない,という制限が課せられる。そのため,「(逃げる)

獲物を撃ちのがした」と言えるのに対し,「*(固定された)的を撃ちのがした」とは言えな い。「見のがす」と「聞きのがす」の場合は,「見る」と「聞く」の対象である映像と音声 が保存される文字と違って,消えてなくなるため,「捕獲できない状態になり得る=逃 げる」ものとして捉えられる。一方,(7)の「??試験の回答方式を読みのがした」の容認 度が低いのは,試験の回答方式という対象が「捕獲できない状態になり得る」ものだと考 えられないからだと思われる。通常文字は静的なものであり,読み返すこともできるた め,二度と読むことができないとはあまり考えられない。そのため,表5-9が示すよう に,「試験の回答方式」が目的語となる場合において,V1「読む」の対象となる【文字 列(試験用紙)】とV2「のがす」のフレーム要素【前提的背景】の間に不整合が生じる。

それによって,V2「のがす」の【前提的背景】とV1「読む」の中心事象の間に意味的 な一致性があるにも関わらず,「読みのがす」は容認できない表現となる。

表 5-9 「??(試験の回答方式を)読みのがす」における不整合 V1V2「??読みのがす」

V1「読む」 V2「のがす」

中心 事象

【認知主体】が【目】で【文字列】

を【視線】で追うことで【情報】を 受け取る

【捕獲者】が【対象】を捉えることに 失敗する

事象 参与者

【認知主体】:【目】で【文字列】を

【視線】で追うことで【情報】を受 け取る人。

【情報】:【文字列】から【認知主体】

が受け取る知識。

【目】:【認知主体】の身体部位の一 つで,ものを見るための器官。

【捕獲者】:【対象】を捉えようとする 意思的な主体。

【対象】:【捕獲者】が捉えたい逃げる もの。