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第 3 章 理論的背景

3.3 文化と言語

共起事象 (叫びながら;喘ぎながら;【鼻】をすすりながら;…)

ここでいう,関連事象は,原因や様態として,一般的に想定しうるすべてのケースを含んでいる。

そこには,典型的ものから周辺的なものまで様々である。事象参与者として含まれる【目】は

〈顔〉のフレームを喚起するので,「泣く」の事象参与者には【頬】や【鼻】なども間接的に含まれ る。また,泣くことは,見ている人に大きな影響を与えるため,【周りの人】という周辺的な事象 参与者が含まれる。注意したいのは,関連事象に何が含まれるかについては個人差がありうる,

ということである。例えば,演劇など,芝居をする人においては,「泣く」の関連事象の【目的】に,

(演技のため)という,一般の人の知識にはないものが含まれるであろう。

いることを前提とし,さらに,互いに共有されていることを前提としていることを前提とするもので ある。

p is a cultural representation if and only if p is a private representation, andp is carried by both x and y, and both x and y assume the other carries theprivate representation p, and both x and y both assume they themselves areassumed by the other to carry the private representation. (Enfield 2000: 45)

同様に,言語もコンストラクションという言語的なスキーマに基づいているが,コンストラクショ ンも私的なものの場合がある。家族の間だけで使っている特別な言い方などがそうで,例え ば,絆創膏を「ペタン」といったり,スクランブルエッグを「ごちゃごちゃ卵」といったりする家族が あれば,その「ペタン」や「ごちゃごちゃ卵」は私的なコンストラクションである。

このように,文化とはある言語社会的なメンバーの間で相互に共有されている認知的なスキ ーマの集合であり,言語はある言語社会的なメンバーの間で相互に共有されている言語的な スキーマの集合である,と言えるだろう。Enfield (2002) が述べているように,言語と文化とは 共により広い概念スキーマの中の一部のものであるだと考えられる。文化も言語も同様に,相 互に共有され,また互いに共有されていることを前提とし,さらに,互いに共有されていることを 前提としていることを前提とするものである(D'Andrade 1987を参照)。

3.3.1

文化の違いに起因する言語の違い

前節で述べたように,言語と文化は密接な関係にある。そのため,文化の違いによっ て言語表現に違いが生まれる。

Enfield (2002) は社会における文化の違いについて,図3-13を用いてラオ(Lao)族とオ

ーストラリアの人々の言語形式を比較した。その方法としては被験者に図を見せてそれ を言語で表現してもらうというものである。

図 3-13 文化に影響される事象の言語化(Enfield 2002: 234)

図3-13aについて,ラオ族の人々はそれをjùùn3 kong3 „stand straight‟と表現する。ラオ族 にとって,このような直立不動の姿勢の絵が表す概念は,彼らが学校などで体験したこ とがある,よく知られているものである。一方,オーストラリア人はというと,図3-13a

についてstanding to attentionというような表現を用いることはない。これはオーストラ

リアの文化ではstanding to attentionという場合は,ユニフォームを着たり,足をもっと ピシっと揃えたりする必要があるからだ。一方,図3-13bと3-13cの場合は逆に,オー ストラリア人にとってはかなり確立された„watching the sunset/sunrise‟と„waiting for a bus‟という概念を表しているが,ラオ族にとってこのような場面は馴染みがないもので ある。そのため,ラオ族の答えはバラバラで,図3-13bに対して,火を起こしている場 面であるとか,自分の土地を眺めているところとか,自然を楽しんでいるところとかと 表現した。図3-13cについては道を横切ろうとしていると表現した人や,身長を測って いると表現した人もいたという。

このような文化に基づく言語表現の選択についてより深く知るため,Enfield (2002) はラオ語の付随姿勢構文(associated posture constructions)について,ある文を被験者に見 せて,その容認度を判断してもらうという方法と,前述のような絵を提示して言語化し てもらうという二つの方法で調査を行った。この調査はいくつかの場面を対象に,座っ ている,立っている,横たわっている,という三つの姿勢を組み合わせたものである。

例えば,ラオ族の社会において,lanaat4という楽器を演奏するというのは,確立された

文化的表象である。このlanaat4の演奏という場面を三つの姿勢と組み合わせることで,

座ってlanaat4を演奏する,立ってlanaat4を演奏する,横たわってlanaat4を演奏する,

という三つの絵ができる。まず,基本的な前提知識として,lanaat4は図 3-14 のように 通常座って演奏するものである。よって,ラオ族の人々は lanaat4を演奏することを思 い浮かべるときは,通常座って演奏するというのがデフォルトとして想起される。

図 3-14 lanaat4の演奏(Enfield 2002: 247)

それに対し,図3-15のaとbはそれぞれ立ってlanaat4を演奏しているところと,横

たわってlanaat4を演奏しているところを表している。

図 3-15(立って/横たわって)lanaat4を演奏する(Enfield 2002: 248)

Enfield (2002) では最初に図を提示せずに,ラオ族の被験者に次のような例文の容認

度を判断してもらった。

(25) a. tii3 lanaat4 hit lanaat

„play the lanaat4‟ b. nang1 tii3lanaat4

sit hit lanaat

„play the lanaat4 sitting‟

c. ?jùùn3 tii3 lanaat4 stand hit lanaat

„play the lanaat4 standing‟

d. ??nòòn2 tii3lanaat4 lie hit lanaat

„play the lanaat4 lying down‟

すると,(25)のaとbは問題なく容認されるのに対し,cは容認度が少し落ち,dになる

と容認されなくなる。これはラオ族の文化の中に,lanaat4という楽器は座って演奏する ものであり,通常立って,または横たわって演奏することはないからである。

次に,被験者に図3-14と3-15を見せて,それを言葉で描写させると,先ほどのテス トと大きく異なる結果が得られた。イラストが提供する情報によって,lanaat4を立って

/横たわって演奏するということがどういう場面であるのかがはっきりと思い浮かべ ることができるようになる。それによって,図3-14を自然に(25)のcとdのように表現 するのである。

以上見てきたように,ある言語形式がその言語社会において成立するには,言語形式 が指し示す概念が言語社会において,確立された文化的表象である必要がある。「?嗅ぎ 逃す」が表す「楽しみにしていた香水の発表会に参加し損ねて,嗅ぐことができなかっ た」のような概念は私的表象としては存在しうるが,日本において確立された文化的表 象ではないため,「?嗅ぎ逃す」の容認度が低いのである。他にも文化や社会によって複 合動詞が異なってくる場合があり,そのような現象は第五章でまとめて検討する。