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第 3 章 理論的背景

3.2 フレーム意味論

3.2.2 フレーム

形成における多くの問題点を説明するにもこのような百科事典的知識が必要である。

て処理を行う必要があるが,その際どのようにして「関連する」事項を決定するのかが問題とな るというものだ(Dennett 1984 を参照)。この「フレーム問題」は,概念というものがその背景状況 と共に記憶・喚起されると考えることで解決できると考えられている(Clancey 1997, Wheeler 2008 など)。概念は独立して保存されるのではなく,それが存在・発生する状況において記憶 される。そして,その概念が使われるときに,その背景にある状況も一緒に呼び起こされる。実 際の状況の中で概念を形成していくことで,概念とその背景状況が関連付けられる。そして,

ある状況に遭遇したときにはそれと関連する概念が自然に喚起され,それによって我々はフレ ーム問題を解決していると思われる。特定の物事はある一定の状況において現れやすいため,

この相関関係を利用することで処理する情報を制限し効率を高めることができる。認知系統は 記憶の中にある全ての状況を検索するのではなく,現在の状況と関連のある知識だけに焦点 を当てる。状況を特定することで現れうる物事を制限し,反対に物事を特定することでこれから 起こるであろう状況を制限できると言われている(Yeh & Barsalou 2006: 350)。

このように,フレームはある概念が存在・発生する状況そのものに関する詳細な情報を含む だけではなく,その状況がどのような原因によって引き起こされたものなのか,そして,その状 況によってどのような結果がもたらされるのか,という情報もフレームによって関連付けられて いると考えられる。

Fillmore(1977)はこのようなフレームという概念を語の意味分析に取り入れる必要があると主 張した。それによると,buy, sell, pay, cost, chargeなどの語は同じ〈商取引(commercial event)〉

のフレームを喚起する。

図 3-8 〈商取引〉フレームにおける参与者(Fillmore 1977: 104)

図3-8は〈商取引〉フレームにおける参与者を表したものである。そして,buy, sell, pay, cost,

chargeなどは〈商取引〉のフレームの異なる部分(関係性)をプロファイルしている。図3-9のよう

buyはA(買い手)がB(品物)に対する動作をプロファイルしているが,C(お金)とD(売り手)と

の関連性も背景に含まれる。一方,sellはD(売り手)がB(品物)に対する動作をプロファイルし,

A(買い手)とC(お金)が背景となる15

図 3-9 buysellの異なるプロファイル(Fillmore 1977: 106)

図3-9の数字は文法的な関係(主語と目的語)を表し,4つのフレーム要素の内,囲まれている のがプロファイルされている中心的フレーム要素である。プロファイルされていない周辺的フレ ーム要素は前置詞を伴って動詞と共起することができる。

〈商取引〉フレームはいくつかの段階に分けることができ,このような「スクリプト」的な知識を図 式したのが図3-10である。

15 〈商取引〉フレームに基づく日本語動詞の項実現ついてはCroft et al. (2001) を参照。

図 3-10 〈商取引〉フレームにおける 4 つの段階

まず,第1段階では買い手(A)がお金(C)を所持しており,売り手(D)は商品(B)を保有している。

第2段階において,買い手と売り手はXが実現したらYが行われるということに合意する。第 3段階はXであり,買い手がお金を売り手に渡して,売り手が商品を買い手に渡すということを 表す。最後に,第4段階Yは買い手が商品を保有し,売り手がお金を所有することを表してい る。buy, sell, pay, cost, chargeなどの語を理解するためには,このような複雑な商取引に関す る背景知識が必要となる。

フレームの分析をさらに発展させた実証的な研究の一例として,Fillmore & Atkins (1992) はコーパスを用いて英語のriskという語の意味を詳細に分析し,riskを理解するにはその背景 にある〈リスク〉 フレームに含まれている豊富な知識が必要であることを示した。 ここでは

Hasegawa et.al (2006) で用いられている〈リスク〉フレームを例に,フレームベースの意味分析

の利点を示したい。

図 3-11〈リスク〉フレーム(Hasegawa et.al 2006: 2)

Hasegawa et.al (2006)によると,〈リスク〉フレームは図3-11のように示すことができ,〈リスク〉フ レームを構成する意味要素である「フレーム要素(frame elements, FEs)」,及び「背景知識 (background knowledge)」は次のようなものがあるという。

(15) 〈リスク〉フレームのフレーム要素

Action: Protagonistの行為で,Harmを招く可能性を潜在的に持つもの(例:ジャング

ルへと旅する,暗闇の中で泳ぐ,など)

Asset:Protagonist が所持する価値のあるもので,ある場面で危険にさらされる可能

性があるもの(例:健康,収入,など)

Harm: Protagonistに起こりうる,望ましくない出来事(例:感染,失業,など)

Protagonist:あるHarmを招く可能性のある動作を行う人

(16) 〈リスク〉フレームの背景知識

Chance: 未来に関する不確定性

Choice:ProtagonistがあるActionを行うかどうかの決定 Risky Situation: Assetがリスクにさらされる状態

これを踏まえて,図3-11を説明すると,〈リスク〉フレームとはある【Protagonist】が自身の所有す る【Asset】をかけて,ある【Harm】をもたらす危険性を孕んだ【Action】を行うかどうか選択し,そ

の結果,【Harm】が【Protagonist】に起こるかもしれない,という状況を表すものである。

意味分析にフレームという概念を取り入れることで,従来明らかにされていない risk という語 に関するいくつもの新事実が見えてくる。その中から一部紹介すると,まず,(17)のように risk が取る目的語には意味的な性質が異なる複数のものに分けられることが分かった。

(17) a. He risked death. (目的語:【Harm】)

b. He risked a trip into the jungle. (目的語:【Action】) c. He risked his inheritance. (目的語:【Asset】)

加えて,フレームを用いることで,従来の項構造では捉えることができなかった,risk と文の中 で共起する要素の意味を分析できるようになる。(18)のような文は図3-12のように,〈リスク〉フレ ームのフレーム要素が具現化したものだと捉えられる。

(18) She risked her life by telling FBI the story.

図 3-12 〈リスク〉フレームのフレーム要素の具現化(Hasegawa et.al 2006: 3)

(18)の文において,by-phrase で表しているものは,risk の項ではなく,付加詞に当たるもので

ある。そのため,riskの項構造からではtell FBI the storyがどういう意味的な役割を担っている のかを説明できない。

同様に,(19)のような[RISKNPAsset Prep-NPAction]という構文において,inやon を伴って前置

詞句で表されるものは,フレーム要素の【Action】を表しているが,これも項では捉えられないも のである(Fillmore & Atkins 1992: 87を参照)。

(19) a. [He]Actor was being asked to risk [his good name]Asset on [the battlefield of politics]Action. b. [Others]Actor had risked [all]Assetin [the war]Action.

c. It would be foolhardy to risk [human lives]Asset in [the initial space flights]Action.

このように,意味分析にフレームという背景的な知識を含む意味構造を用いることで,従来の 意味論では捉えることのできなかった語の意味性質,そして,語とその共起要素との関わりが 見えてくるようになることがわかる。本研究では,フレーム意味論及びフレームという概念を取り 入れることで複合動詞の意味の面における様々な問題を説明するができるようになると考え る。

以上の risk のような分析を,より体系的・実証的な大規模プロジェクトとして実践したのが,

Fillmoreを代表としてバークレーのICSI(International Computer Science Institute)において行 わ れ て い る FrameNet プ ロ ジ ェ ク ト(https://framenet.icsi.berkeley.edu/fndrupal/)で あ る 。

FrameNetはコンピュータを用いた電子辞書編集プロジェクトで,英語語彙における関連した意

味的・文法的な性質に関する情報を大規模な電子コーパス(主としてBritish National Corpus) から抽出し,ウェブ上で公開しているものである(Fillmore, Johnson& Petruck 2003)。

藤井・小原 (2003) ではこのような FrameNet の言語学的意義について述べられており,そ の中で特に重要なものに,以下の二つがある。

第一に,語彙項目が想起する背景的知識の構造を,語彙の意味分析の中でど う扱いどう記述していくかに関する具体的な方法が提案されたこと。そして,具 体的なフレーム及びフレーム要素の認定・それらの言語形式による具現のされ 方・それら相互の関連付けなどを,具体的に表示し吟味していくことができるよう になったことである。

第二に,「フレーム」というレベルで「フレーム要素」を浮き彫りにすることの意義 である。フレー ム意 味論 は ,Fillmore 自 身の先 行理論 である格文 法(Case Grammar)を背景に生み出された。格文法における「格(case)」や一般的な統語

理論におけるいわゆる「意味役割」がより抽象的なレベルでの項要素であるのに 比べ,フレーム意味論・フレームネットにおけるフレーム要素は,個々のフレーム によって定義付けられる要素である。しかし,個々の語彙項目によって個別に設 定される要素ではない。両者の中間に位置付けられるレベルでの要素,すなわ ち,概念的繋がりをもつある一連の語彙群が活性化する同一の背景的スキーマ としてのフレームの要素である。 (藤井・小原 2003: 376)

本研究では次節で述べるように,FrameNet という,フレームのデータベースに基づいて,「意 味フレーム」という語の意味構造を定義する。