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第 3 章 理論的背景

3.2 フレーム意味論

3.2.1 百科事典的知識

フレーム意味論において,ある語の意味は日常の活動を通じて形成された経験,習慣など を背景として理解されるものである(Fillmore 1982)。つまり,意味は独立しているものではなく,

背景状況(background situation)や関連する概念と共に喚起されるのである。このような知識を 総称して「百科事典的知識」という。百科事典的知識とは専門的な科学知識ではなく,ある 社会に属している人間が一般的に持っている,ある物事と関連する「現実世界について の知識(real-world knowledge)」や「社会文化的知識(sociocultural knowledge)」,「一般的な 常識(common-sense knowledge)」,そして,その物事を理解するために必要な「背景知識 (background knowledge)」を包括する用語である(Evans 2009: 17)。

このような百科事典的知識を語の意味として含めるかどうかについては研究者の間 で意見が分かれており,有名な論争として,Cognitive Linguistics誌におけるTaylor (1996) とJackendoff (1996) のrunjogについての議論がある。

この論争の背景として,Jackendoff (1990) では意味の表示として,概念構造(conceptual

structure)と3Dモデルを用いることを提案し,例として,runjogは同じ概念構造を持

つ主体移動の表現で,二つの語の違いは3Dモデルにおける具体的な移動のイメージの 違いだけであると主張した。これに対し,Taylor (1996) はrunjogについて,文化や 現実世界についての知識が多くの言語事実として二つの語の違いとして表れることを

示した。Taylor (1996)によると,jogの意味を理解するには,先進国の裕福な中間階級に

おいて共有されている,ある特定の健康的なライフスタイルについて理解する必要があ

るという。このような文化的知識に基づいてrunjogは異なる振る舞いを見せる。例 えば,主語に対する制限として,run は大人でも子供でも主語になれるのに対し,jog の場合,幼稚園児ぐらいの子供が主語になるのは通常考えにくい。また,馬,犬,猫,

ネズミなど,多くの動物でも人間と同じようにrunの主語になれるが,jogの主語にな れる動物は人間以外に馬ぐらいしか考えられない。

さらに,run とは違い,jog は健康のために走るのであって,競争のためではない。

この百科事典的知識は(8)のような容認度の違いとして表れる。

(8) a. Bruce ran against Phil.

b. *Bruce jogged against Phil.

これに対し,Jackendoff (1996) はTaylor (1996) で挙げられている例のほとんどは統語 的な違いではないため,意味として含めるべきではないと反論した。しかし,百科事典 的知識は統語現象にも反映されることがわかっている。例えば,Boas (2006)は主体移動 を表すwalk, parade, totter, staggerを取り上げ,これらの語に関する百科事典的知識が

Levin (1993) で検討されているような文法的な構文や交替現象などの様々な統語現象

に反映されることを示している。ここでは,これらの語が動作主に対して持つ指定を取 り上げる。Walk の動作主は単に足で主体移動するものであればいいのに対し,parade は動作主の歩きぶりと一歩一歩のステップに焦点があり,その動作主は規則的かつ目的 を持った精力的な歩行をすることで他人に見られることを前提とした公的な自己表現 を行うものである。Totterの動作主はその歩幅が通常のものと異なり,直立の姿勢を保 つことが困難である様子から,弱っている,または酔っていると推測される。Stagger になると,totter の場合よりも動作主の足元が覚束なく,バランスを保とうとするも,

直立した姿勢を維持するのが著しく困難である場合を表す。

この4つの動詞の中核的意味(core meaning)は共に,動作主(Agent)が起点(Source)から 経路(Path)を通って着点(Goal)に至る,というものである。これらの主体移動動詞で異な っているのは,Jackendoff (1990) の3Dモデルにおける具体的な移動のイメージである。

このような動詞の中核的意味と具体的な移動のイメージの違いは,Snell-Hornby (1983) が動詞の記述力(descriptivity)を量るために提案したact nucleusとmodificantsという二つ

の概念の違いに相当する。Walkの場合,その modificantsは<足を使う>や<直立の姿 勢を取 る>のような ものしかない が,parade, totter, stagger はより多くの 情報が

modificantsに含まれている。Boas (2006) によると,このような中核的意味ではない情

報によって,walkとほかの動詞の文法的な振る舞いが異なってくる。

まず,これら4つの動詞は全て主体移動を表すが,共に経路を表す前置詞句との共起 が可能である。そして,共に同形の名詞を持っている。

(9) a. Gerry {walked/paraded/staggered/tottered}.

b. Gerry {walked/paraded/staggered/tottered} down the street.

(10) a walk, a parade, a stagger, a totter

しかし,結果構文と使役移動構文になると,4つの動詞の容認度が変わってくる。

(11) a. Cathy {walked/?paraded/*staggered/*tottered} herself to exhaustion.

b. Cathy {walked/*paraded/*staggered/*tottered} Pat off the street.

結果構文の(11)ではwalkだけ容認可能で,paradeは少し容認度が落ち,staggerとtotter は容認出来ない表現となる。使役移動構文の(11)は同様に walk だけ容認でき,他の 3 つは容認できない表現である。

次に,場所格前置詞脱落の交替現象(locative preposition drop alternation, Levin 1993:

43-44を参照)を見てみると,walkparadeはこの交替現象に参加するのに対し,stagger

totterはこのような交替が起こらない。

(12) a. Julia {walked/paraded/staggered/tottered} across the town.

b. Julia {walked/paraded/*staggered/*tottered} the town.

また,意思的な有生物であるCauseeがCauserによって誘導された結果,ある動作を 行うという誘導行為の交替現象(induced action alternation, Levin 1993: 31)について見る

と,先ほどの場所格前置詞脱落の交替現象と同様に,walkとparadeしか交替が起こら ない。

(13) a. Claire {walked/paraded/*staggered/*tottered} the dog down the street.

b. The dog {walked/paraded/staggered/tottered} down the street.

最後に,形容詞的受動分詞(adjectival passive participles, Levin 1993: 86-87)では,walkだ けが可能で,paradeはかなり落ち着きが悪く,staggerとtotterは容認されない。

(14) the {walked/??paraded/*staggered/*tottered} dog

このような文法的な違いは表3-4にまとめられる。

表 3-4 walk, parade, stagger, totterの文法的な分布(Boas 2006: 144) walk parade stagger totter

Location PP + + + +

Zero-related Nominal + + + +

Resultative Construction + ? - -

Caused-motion Construction + - - -

Preposition Drop Alternation + + - -

Induced Action Alternation + + - -

Adjectival Passive Participle + ?? - -

以上のように,walkのような動詞の記述力が低いもの,つまり modificants による指 定が少ないものは比較的自由に様々な構文に現れるのに対し,parade, stagger, totter

ような modificants による指定が多いものは現れることができる構文に制限がある。こ

のことから,Boas (2006) は,動詞の文法的な振る舞いを説明するには中核的意味だけ ではなく,具体的な移動のイメージや,動作主の状態などの情報を含む,粒度の細かい 意味表示を用いる必要があると主張している。第五章で論じるように,複合動詞の意味

形成における多くの問題点を説明するにもこのような百科事典的知識が必要である。