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第 3 章 理論的背景

3.2 フレーム意味論

3.2.3 本論文におけるフレーム

理論におけるいわゆる「意味役割」がより抽象的なレベルでの項要素であるのに 比べ,フレーム意味論・フレームネットにおけるフレーム要素は,個々のフレーム によって定義付けられる要素である。しかし,個々の語彙項目によって個別に設 定される要素ではない。両者の中間に位置付けられるレベルでの要素,すなわ ち,概念的繋がりをもつある一連の語彙群が活性化する同一の背景的スキーマ としてのフレームの要素である。 (藤井・小原 2003: 376)

本研究では次節で述べるように,FrameNet という,フレームのデータベースに基づいて,「意 味フレーム」という語の意味構造を定義する。

事象をスキーマ化したものである。

[W]ord meaning is characterized in terms of experience-basedschematizations of the speaker‟s world.(Petruck 1996: 3)

つまり,一つの語は異なる背景フレーム(背景状況)において,異なる意味で使われる。例え ば,「打つ」という動詞は「囚人を鞭で打つ」という場合においては,〈危害〉という背景フレーム を喚起し,<【加害者】が【被害者】に【手あるいは手に持った道具】で衝撃を与えることでダメ ージを加える>という意味を表すが,「太鼓を打つ」においては〈演奏〉フレームを喚起し,<

【演奏者】が【楽器】に【手あるいは手に持った道具】で衝撃を与えることで音を出す>という意 味を表すようになる。意味フレームと背景フレームの二つの概念は混同しやすいが,意味フレ ームがある語の意味を表すのに対し,背景フレームは〈商取引〉フレームのような,ある背景状 況を表すものであり,二つは異なる概念である18

例えば,FrameNetでは,hitという語が〈衝撃(Impact)〉というフレーム(本稿における背景フレ ーム)を喚起する場合に,以下のような lexical entry(本稿における意味フレーム)を持つとして いる19

(21) 〈衝撃〉フレームに対応するhitのlexical entry Lexical Entry hit.v

Frame: Impact

Definition: (of a moving object or body) come into contact with (someone or something stationary) quickly and forcefully.

The Frame Elements for this word sense are: Depictive, Force, Impactee, Impactor, Manner, Place, Result, Subregion, Time

しかし,異なる〈攻撃(Attack)〉フレームを喚起する場合に,以下のような異なる lexical entryを

18 背景状況(background situation)の心理的実在性と重要性については Yeh & Barsalou (2006) を参照。

19 FrameNetのlexical entryはほかにもフレーム要素の文法的な具現化パタンや結合価パタンが

含まれているが,ここでは省略して表示している。

持つ。

(22) 〈攻撃〉フレームに対応するhitのlexical entry Lexical Entry hit.v

Frame: Attack Definition: to strike.

The Frame Elements for this word sense are:Assailant, Containing_event, Manner, Time, Victim, Weapon

〈攻撃〉フレームのような背景フレームは,hit以外にもstrikeattack, assaultなど,複数の語 と対応しているが,意味フレームは語の意味構造であるため,一つの意味フレームは一つの 語としか対応していない。

加えて,意味フレームの場合は導入された背景フレームによって内容を変えることができる ため,ある語はそれが直接喚起するフレームでなくても,他の語によって喚起されたフレーム に基づいて通常とは異なる意味として理解される場合がある。例として,Kay (1996: 112) は次 のような例文を挙げている。

(23) *Sybil had Sidney fall off the couch.

この文において,have は補語となる動詞に動作主的な主語を取ることを要求するが,fallの主 語は動作主を表すことができないため通常は容認出来ない文になる。しかし,〈演技指導〉と いう背景フレームを導入することで(23)はSybilが舞台監督で,Sidneyに自然にソファーから落 ちたように演技させた,というように,解釈可能な文となる。このように,語の意味は背景フレー ムによって決定される,または書き換えられるものである20

背景フレームと意味フレームの関係を先行研究で取り上げたクオリア構造に置き換えて考 えると,クオリア構造の「主体役割」を構成する「背景フレーム」の違いによって,他の三つの役

20 近年の生成語彙意味論はtype introductionという,新しい情報を意味構造に書き加える操作を 加えることでopened a wineのような例を説明しようとしている(Pustejovsky &Jezek 2008: 203-204)。 しかし,type introductionは本来のタイプのオントロジーと矛盾しない限りにおいて,書き加えるとい うものであり,背景フレームのように語の意味構造を決定する(書き換える)ものではない。

割,さらには項構造までも異なってくるということである。すなわち,「背景フレーム」は意味構 造の一部(主体役割)であるというよりは,ある語がどういう意味構造を持つのかは,「背景フレ ーム」によって決まると考えるべきである。

ここまで述べてきたように,ある語の意味を表すのが意味フレームであるが,それを構成する 意味要素をフレーム要素(frame elements, FEs)という。そして,本研究は動詞の場合には以下 のものがフレーム要素として含まれると考える。

(24) 動詞のフレーム要素21

1) 動詞の表すイベントへの参与者(項として現れないものも含む。後述するように「泣く」は【経 験主体】以外に【目】や【涙】も事象参与者に含まれる)

2) 動作と関連する事象:状態変化を表す動作を引き起こす【原因】;動作がもたらす【結果】;

状態・位置変化の使役を表す動作を達成する【手段】;意図的な動作を行う【目的】と【理由】,

及びその際の【感情】と【感覚】;動作が行われる際の【様態】;動作が行われる【前提的背景】;

動作と共に起こる【共起事象】;動作に伴う【付随音】

動詞の意味フレームはこのようなフレーム要素と,その動詞が表す中心事象22(例えば,「割る」

という動詞が表す中心事象は【行為者】が【全体的な対象】に衝撃を加えて分解する)が含まれ る。

フレーム要素はプロファイルされている中心的フレーム要素(core FEs)とベースとなる周辺 的フレーム要素(peripheral FEs)に分けることができ,動詞の関連事象は周辺的フレーム要素 で背景であると考える。事象参与者にも中心的・周辺的という区別があり,中心的な事象参与 者は動詞が指し示すイベントを表すために必要な要素を指し,周辺的な事象参与者はそのベ ースとなる要素を指す。

例として「泣く」を考えてみよう。「泣く」はある人が目から涙を出すことを表す,その背景には 様々な関連する事項がある。なぜ泣くのか,どうやって泣くのか,泣くとどういう結果が起こるの

21 ここでの動作や事象参与者,関連事象は全て典型的なものを指している。例えば,「泣く」ことで しゃっくりを引き起こすことがあるとしても,典型的な結果ではないため,「泣く」の関連事象には含 まれないと考える。

22 松本(2011) が提案しているように,動作をイメージスキーマ(Langacker 1987, 1991)で表すこと で,参与者の間のエネルギーの流れなどを明示することができるが,本稿は文章によって動作を記 述し,参与者をaction chain(Langacker 1991)に従って並べる。

か,などである。これは多種多様であるが,決して何でもありというわけではなく,限定的なもの である。たとえば,悲しんだり喜んだりして泣くことはあっても,驚いて泣くことは通常考えられな い。泣いたために涙で頬が濡れたり,鼻水が出たり,目が腫れたりするが,髪の毛が縮れたり,

汗をかいたり,吐いたりすることはない。このように判断できるのは,泣くという行為の周辺的事 象に関する知識を私たちが持っていることを示す。

このような考察から,デフォルトとして喚起される〈感情刺激〉という背景フレームの場合の

「泣く」の意味フレームは表3-5のように示すことができる23

表 3-5 「泣く」の意味フレーム [naku]V

背景フレーム:〈感情刺激〉フレーム 中心

事象

ある【刺激】によって【経験主体】が【涙】を出す

事象 参与者

【経験主体】:ある【刺激】によって涙を出す人。

【刺激】:【経験主体】のある感情引き起こすもの。

【涙】:ある【刺激】によって【経験主体】の【目】から出る液体。

【目】:【涙】を出す【経験主体】の身体部位。

【周りの人】:【経験主体】が【涙】を出すのを見ている周囲の人。

(【頬】) (【鼻】) 関連

事象

原因 (ある【刺激】によって【経験主体】が強い悲しみを感じる;

ある【刺激】によって【経験主体】が強い喜びを感じる;…)

様態 (静かに;激しく;体を震わせて;狂ったように;…)

目的 (つらいことを忘れるため;演技のため;…)

結果 (【周りの人】に影響を与える;【経験主体】が疲れる;【経験主体】の

【目】が腫れる;【涙】で【頬】などが濡れる;すっきりする;…)

23 【】は事象参与者を表す。事象参与者の中で項として実現するものは太字で表す。背景フレー ムの設定は基本的にFrameNet を参考に設定するが,対応できるフレームがない場合は筆者の設 定に基づく。なお,紙幅のため下位事象は一部省略して表示する。

共起事象 (叫びながら;喘ぎながら;【鼻】をすすりながら;…)

ここでいう,関連事象は,原因や様態として,一般的に想定しうるすべてのケースを含んでいる。

そこには,典型的ものから周辺的なものまで様々である。事象参与者として含まれる【目】は

〈顔〉のフレームを喚起するので,「泣く」の事象参与者には【頬】や【鼻】なども間接的に含まれ る。また,泣くことは,見ている人に大きな影響を与えるため,【周りの人】という周辺的な事象 参与者が含まれる。注意したいのは,関連事象に何が含まれるかについては個人差がありうる,

ということである。例えば,演劇など,芝居をする人においては,「泣く」の関連事象の【目的】に,

(演技のため)という,一般の人の知識にはないものが含まれるであろう。