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第 2 章 先行研究

2.4 先行研究における意味構造

2.4.2 クオリア構造

「食べ歩く」や「飲み歩く」などにおいて,複合動詞全体の項は構成要素の項としては 実現しないものである。

従来の語彙意味論などのアプローチでは我々人間が持っている文化や社会,世界につ いての知識を意味から排除し,統語論と関わる意味性質,いわゆる中核的意味(core

meaning)しか語の意味構造に含めなかった。しかし,本節で見てきたように,複合動詞

の結合可能な組み合わせとその意味形成について適切な説明を与えるには,ある動詞が 表す動作とそれを理解するために必要な背景知識を含む豊かな意味構造が必要である。

v. Color vi. Position

3. TELIC: Purpose and function of the object.

i. Purpose that an agent has in performing an act.

ii. Built-in function or aim which specifies certain activities.

4. AGENTIVE: Factors involved in the origin or “bringing about” of an object.

i. Creator ii. Artifact iii. Natural Kind iv. Causal Chain

では,Pustejovsky (1995: 101) のbookを例に,クオリア構造が具体的にどのように表される のかを見てみよう。

(10) Bookの意味構造 book

ARGSTR =

QUALIA =

上の表記の中で,ARGSTRは項構造(argument structure)で,QUALIAがクオリア構造であ る。そして,lcpはlexical conceptual paradigmの略で,bookがinformationとphysical object の多義を持つということを表している。FORMAL は形式役割で,hold(y, x)という関数 によって,「ある物体yが情報xを有する」ということを表している。TELICは目的役割

ARG1 = x: information ARG2 =y: phys_obj

information.phys_obj_lcp FORMAL = hold(y, x) TELIC = read(e,w,x,y) AGENT = write(e’,v,x,y)

で,read(e,w,x,y)という関数によって,「動作主wが物体yから情報xを読み取る」とい うイベントeを表す。AGENTは主体役割で,write(e’,v,x,y)という関数によって,「動作 主vが情報xを物体yに書き込む」というイベントe’を表す。

Pustejovsky (1995) では book の CONSTITUTIVE(構成役割)を示していないが,小野 (2005) では次にように,Bound_pages (x)という関数により,「紙を束ねたもの」として表している。

(11) 小野 (2005:24) におけるbookのクオリア構造 形式役割(物を他の物から識別する属性):

Artifact (x) & printed_matter (x) 構成役割(物とそれを構成する部分の関係):

Bound_pages (x)

目的役割(物の目的と機能): read (e, y, x)

主体役割(物の起源や発生の要因): write (e’, z, x)

(11)のように,小野 (2005) によると,book の形式役割は「人工物」,「印刷物」であり,構成

役割は「紙を束ねたもの」,目的役割は「読むもの」で,主体役割は「書かれたもの」である。これ はPustejovsky (1995) の分析とは若干異なっている。

以上は名詞の場合のクオリア構造だったが,Pustejovsky (1995) は名詞だけでなく,全ての 品詞にクオリア構造を適用できると考えている。例えば,build という動詞の場合は,そのクオリ ア構造を次のように表している。

(12) 動詞(build)のクオリア構造9 create-lcp

FORMAL = exist (e2, 2 )

AGENTIVE = build_act (e1, 1 , 3 )

9 Pustejovsky (1995) におけるbuildの意味構造にはクオリア構造の他にイベント構造と項

構造があるが,ここではクオリア構造について検討しているため,他の構造を省略して表 示している。なお,クオリア構造において,四角で囲まれた数字は項構造における項を表 している。

Pustejovsky が提示した上述のような動詞のクオリア構造について,影山 (2005) はそれを 不明瞭で理解困難な点が多いとして,次のように規定しなおすことを提案した。

(13) 影山 (2005) における動詞のクオリア構造

a. 形式役割=その動詞が表す事象(eventuality)のタイプ(activity, state, process, transition)

b. 構成役割=その動詞の語彙概念構造(LCS) (影山 1996 で想定したような構造化され

た意味表示)

c. 目的役割=その動詞が含意する行為の目的・目標・機能

d. 主体役割=その動詞表現が成立するための前提(presupposition)やフレーム(場面や背

景状況)

そして,近年では由本 (2012, 2013) がこのような影山 (2005) で再定義したクオリア構造を 複合動詞の分析に取り入れることを提唱している。由本 (2012, 2013) におけるクオリア構造 は基本的に影山 (2005) のものを踏襲しているが,一部異なるところがある。由本 (2013) で は小野 (2005) の定義も含めて,表2-1のように三者の動詞のクオリア構造の捉え方を比較し ている。

表 2-1 動詞のクオリア構造の捉え方(由本 2013: 141) 小野 (2005) 影山 (2005) 由本 形式役割 包摂関係と結果

mumble, murmurにtalk 作成動詞にexist(e,x,y)

を記す

activity, state, process, transitionの区別

結果及び 予測する結果

構成役割 部分・全体関係 snoreにsleepを記す

LCS LCS

目的役割 (特に記載なし) 含意する目的・機能 含意する目的・機能 主体役割 原因 その表現が成立するための

前提やフレーム

(lackなら本来あるという前提)

原因およびその表現が 成立するための前提

影山 (2005) や由本 (2012, 2013) のクオリア構造の定義は動詞が表す概念と関連する事 象と背景的な知識を含むという点において,本研究で用いる意味フレームの概念とかなり類似 している。一つ大きく異なる点として,影山 (2005) や由本 (2012, 2013) で提案されたクオリ ア構造においては,構成役割における意味的な項を LCS で表示するのに対し,本研究で用 いる意味フレームでは意味的な項だけでなく,項として現れないものでもフレーム要素という意 味要素として含む。例えば,第五章で取り上げる〈競技〉というフレームには【点差】や【成績】,

【順位】などのフレーム要素があり,それぞれ「一点差で勝った」,「三対零で勝った」,「一位で 勝ち上がった」における下線部のデ格として具現化される。クオリア構造ではこのような意味要 素が含まれていないため,「勝つ」のデ格に現れるものがどのような意味を持つのかを説明す ることができない。意味フレームはこのような付加詞として具現化される意味要素も含む点で,

影山 (2005) で定義したクオリア構造より豊かな構造であるといえる。

ただし,影山 (2005) や由本 (2012) は主体役割の中にフレームを含めており,仮に本

研究のようなフレームを想定しているのであれば,その中に付加詞の情報をフレーム要 素として表すことは可能である。しかし,両者ともフレームの内容についての説明が全 くないため,どう扱っているのか不明である。例えば,由本 (2012) は「駆ける」の主 体役割をrun (e1, y),「担ぐ」をlift_act (e1, xi, yj),「寢る」をsleep_act (e1, y),「切る」

をcut_act (e1, x, y),「叱る」をscold_act (e1, xi, yj)などとして設定しているが,それぞれ のフレームの内容が何であり,どういった機能を持つのかについては触れていない(た だし,由本 (2013) でのクオリア構造は表2-1のように,フレームという概念を含めて いない)。本研究ではクオリア構造のように,フレームという概念を意味構造の中の一 部分として考えるという,周辺的なものとして扱うのではなく,フレームを分析の中心 に据えたアプローチを用いる。フレームを分析の中心に据えなければならない理由につ いては,第五章で具体的な例を示しながら改めて述べる。