• 検索結果がありません。

第 4 章 コンストラクションに基づく複合動詞の考察

4.3 日本語語彙的複合動詞の認知的な動機付け

4.3.1 複合事象を表す日本語語彙的複合動詞の認知的な動機付け

4.3.1.1 因果関係

まず,因果関係とは何か,ということについてだが,Talmy (2000) によると,因果関係は事 象と事象の関係であり,結果となる事象は原因となる事象が起こったことによって初めて成立 するものでなければならない。また,近年の認知科学と脳科学の研究によると,我々は絶えず 因果関係のシミュレーションを行っており,結果をシミュレートする能力と,原因を推論する能 力があると言われている(Patterson & Barbey 2011)。

In particular situations, then, we can call up from memory, or generate “on the fly”,

simulations of an actual or potential causal scenario and “run” the simulation so as to generate an array of possible developments of that situation and anticipate possible responses to it. Or we can envision possible antecedent scenarios that might have caused, and might explain, a given situation. (Patterson & Barbey 2011: 15)

因果関係は時間の順序と関連し,先に起こったことが原因でその次に起こるのが結果であ る(Radvansky & Zacks 2010)。二つの異なる時間に起こった動作は因果関係がある場合を除 いて異なる事象と見なされる(Shipley 2008)。一方,因果関係にある二つの情報は同じ事象と して見なされやすく(Zacks et al. 2009),因果関係にある情報はそうでないものよりエンコードさ れやすいことが分かっている(Radvansky & Zacks 2010)。これは,我々が因果関係にある二つ の事象を共起的に何度も経験することで,二つの事象に結びつきが生じ,一方の事象だけで もう一方の事象が自動的に喚起されるようになるからだという(Barbey & Patterson 2011)。

[A]s a causal event is experienced repeatedly, its simulated components and the causal relationships linking them increase in potency. Thus when one component is perceived initially, these strong associations complete the pattern automatically, supporting inferences about the underlying cause(s) and their resulting effect(s).

(Barbey & Patterson 2011:2-3)

このように,因果関係にある二つの事象は同時的に知覚されないが,その二つの事象の偶然 的でない強い共起性から単一の(複合)事象として経験されるようになる。

さて,因果関係に基づく複合動詞には三つのサブタイプが存在する。原因―結果型と手段

―目的型,そして,先行研究では背景的情報(松本 1998)または補文の一部(由本 2011)とさ れていた背景―具現型がある。

図 4-5 因果関係に動機付けられた複合事象のタイプ

以下において,各タイプを順番に見ていく。

4.3.1.1.1 原因―結果型

まず,タイプaの原因―結果型だが,このタイプはV1が表している事象であるE1が原因 となって,V2の表すE2という事象が結果として引き起こされる,という因果関係にある。そして,

[Vi-Vj-INT]V ↔ [EiCAUSE Ej-CHG]というコンストラクションで捉えることができ,V1は特定の形式を

持たず(日本語の場合,和語単純動詞の連用形であることは上位のスキーマから受け継いで いる),V2は自動詞という形式を持つ。

(7) a. 足が床を離れ,身体が浮きあがる。

(BCCWJ 宮部みゆき 『ブレイブ・ストーリー』)

b. 優越感を漂わせるあの笑顔を,南の島で見飽きるほど見せられたのだ。

(BCCWJ 鎌田敏夫 『Body & money』)

タイプaの原因―結果型は「V1した結果V2」と言い換えられ,全3514語ある『日本語語彙的 複合動詞リスト』の中で588語あり,全体の16.73%を占めている。

(8) a. 原因―結果型26

溶け落ちる,焼け落ちる,跳び下りる,立ち上がる,浮かび上がる,浮き出る,湧き出る,

流れ着く,崩れ落ちる,巻き戻る,すり減る,思い浮かぶ,読み飽きる,走り疲れる など

V1とV2が表している二つの事象E1とE2は実際に起こる際に,E1とE2が同時に起こる

「立ち上がる」などもあるが,E2がE1に先行して起こることはない。そのため,時間的な順序に 従って,時間的に先に起こる事象をV1とし,あとに起こる事象をV2とする,という時間的な類 像性(iconicity)の関係が見られる。

4.3.1.1.2

手段―目的型

次に,タイプ b の手段―目的型は,V1 が V2 の表す目的を達成する手段を表すもの である。このタイプは[Vi-TR-Vj-TR]V ↔[Ej-CAUS.CHG BY Ei-AGT]というコンストラクションで 表すことができる。Eiが動作主的なイベントで,Ejが使役状態変化のイベントである場

合は, [EjBY Ei]という手段―目的の意味関係として解釈され,(9)の「叩き壊す」「切り

倒す」のように,ViもVjも他動詞である27

(9) a. 吉川は,怒りのあまり,刃引剣で柱や壁を叩き壊していく。

(BCCWJ 宮本昌孝 『夕立太平記』)

b. のこぎりを出してきて,木を一本切り倒し,木でじつに器用に若い娘の姿を作り 出したんです。 (BCCWJ 小沢俊夫編 『世界の民話』)

この手段型のタイプは「V1(する)ことによってV2」と言い換えられる。手段型の『日 本語複合動詞リスト』において1732語存在しており,最も数が多く(全体の49.29%),

生産性の高いタイプである。

26 ここに挙げている複合動詞の例は全て『日本語複合動詞リスト』に収録されているもの である。他の例はAppendixを参照。

27「泣き落とす」はV1が自動詞だが,<泣くことで相手に承諾させる>という意味を表し,

手段型である。この場合は手段型の個別動詞レベルの下位スキーマを形成していると考え られる。また,「泣き落とす」においては,「泣く」は目的語を取らないが,意味的に泣くこ とで対象に働きかけるという点において他動詞と共通性がある。

(10) b. 手段―目的型:

切り倒す,打ち壊す,抜き取る,洗い取る,削り取る,投げ入れる,突き刺す,引き離す,

拾 い上 げ る ,打ち 上 げ る,押 し 上 げ る, 引 き 立て る, 叩 き落 とす, 叩き 潰 す など

手段型は原因型と同じで,実際の事象が発生する順序を考えると,目的となる出来事が手 段となる出来事に先行することはなく,二つの出来事には時間的な順序がある。そのため,手 段型も時間順序の類像性に従う。

従来の研究において,複合動詞はV1 がV2 の手段を表すものとV1がV2の原因を表す もので区別されてきたが,手段型と原因型は共に因果関係にある二つの事象が一つに統合さ れたものであると考えられる。これはTalmy (2000: 509) が述べているように,動作主的な使役 事象も因果関係の一つとして考えられるからである。例えば,「私がカタツムリを殺した」という 文において,「殺す」という語を用いることが適切かどうかは,カタツムリがどうなったか,というこ とが重要であり,私が何をしたのかは重要ではない。私が手でカタツムリを叩いたとしても,カタ ツムリが死ななければ,「殺す」という語を用いるのは適切ではないのだ。そのため,I killed the snail「私がカタツムリを殺した」という文は以下のように概念的に分解することが可能である。

(11) I killed the snailの概念的分解 (Talmy 2000: 512) The snail died as a result of

my hand hitting it as a result of my willing on my hand

つまり,「殺す」のように,ある動作主的な使役事象においては,結果事象が起こったかどうか,

ということが重要であるため,手段と目的の関係は因果関係の事象として考えられる。

手段―目的型の周辺的なものとして,「割り入れる」のようなものがある。「割り入れる」という 事象において,V2 はV1 の目的であるが,V1 はV2の手段となる事象ではない。「割る」とい う事象は「入れる」という目的事象を達成するための準備事象に相当するものである。このよう なものは,V1は厳密にはV2の手段ではないが,手段―目的型との類似性から,本研究では 手段―目的型の周辺的なタイプ b1.準備事象―目的型として扱う。この「割り入れる」について は,5.3.4でまた取り上げる。

4.3.1.1.3

背景―具現型

この背景―具現というタイプは,V2 という状態変化が起こる背景として V1 が表す事象があ る,というものだ。背景型のコンストラクションは[Vi-Vj]V ↔[EiIS THE BACKGROUND OF Ej-CHG]で ある。この場合,「見落とす」「売れ残る」のように,ViとVjは他動詞でも自動詞でもあり得る。

(12) a. ひたすら走り続けているような暮らしの中では,本当に必要なものを見落してし

まうことがある。 (BCCWJ 雨宮榮一 『家族とどう生きたらよいか』) b. 高度成長期のように,需要が常に供給を上回っているときには,それでも製品が 売れ残ることは多くありませんでした。 (BCCWJ 遠藤功 『企業経営入門』)

タイプ c の背景―具現型は「V1 という背景において V2」と言い換えられ,全部で 64 語 (1.82%)のみであった。

(13) c. 背景―具現型

見 落 と す , 見 失 う , 聞 き 漏 ら す , 見 逃 す , 聞 き 逃 す , 買 い 逃 が す , 取 り こ ぼ す , 言い残す,書き残す,食べ残す,取り残す,やり残す,焼け残る,溶け残る など

「溶け残る」のような背景型において,「残る」という結果事象は「溶ける」という背景事象にお いて生じるものであり,V1 はV2 が起こる背景,V2 は V1 という背景における,ある事象の具 現を表している。では,なぜ V1 の「溶ける」は原因ではなく,背景であるかというと,V2「残る」

が表す結果事象を直接引き起こすのは「溶ける」という事象ではなく,「溶ける」という事象にお いて氷が溶けることを阻止する何らかの要因である。例えば,「温度の低下」という要因こそが,

V2「残る」の直接の原因である。「氷が溶ける」ということが原因となって引き起こされる結果は

「氷が無くなる」ことであり,「氷が残る」ことではない。この場合,V1「溶ける」が表す事象は V2

「残る」という結果を引き起こした原因ではなく,それが起こるための背景条件である。そのため,

「溶ける」と「残る」は厳密には因果関係ではない。しかし,V2の表すE2は必ずV1の表すE1 という背景において生じるものであり,直接の原因ではないが,E1 と E2 は強い共起性を持っ ている。加えて,この背景型は V2 がある状態変化を表している点で,因果関係のタイプと共

通性が見られる。このような特性から,背景型は因果関係に近いものとして考えられる。

由本 (2008, 2011) においては,「見落とす」のような「~落とす」を[xi FAIL IN

[Event(z)]]というLCSで表される。この場合,V2「落とす」はV1が表す事象に失敗 するという意味を表し,V2「落とす」はV1が表す事象を項として取るため,補文関係 にあると考えられている。本研究では松本 (1998) と同様に,「~落とす」は<動作主が 何かを捕獲しようとしていることを背景として,それを逸してしまう>ということを表 すものだと考える。そのため,「見落とす」などは補文関係のように,事象を項に取る のではなく,捕獲の際に逸した対象を項として取るものだと考える。「~落とす」のよ うな背景―具現型については,5.2で詳しく検討する。

以上で因果関係という共通の認知的な動機付けがある三つのタイプを見てきたが,複合動 詞が因果関係に基づいて成立するには,一方の動的プロセスによってもう一方の何らかの変 化を伴う動的プロセスが発生する場合に限られる。加えて,二つの動的プロセスに共通する参 与者が存在する必要がある(Matsumoto 1996a: 230-231, Talmy 2000: 485)。