2. スペイン語の間投詞
3.1. 問題点
3.4.4. 行為指示に伴う¿verdad?、¿no?
ではなぜ行為指示には¿verdad?が共起しないのに対して、¿no?は共起して聞き手の 意見を求める含意を持つことができるのだろうか。この点に関して本論文のデータで
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は有益なデータが得られなかったので、次の肯定命令、否定命令の例にそれぞれ
¿verdad?、¿no?を付加し、スペイン語母語話者に提示して意見を求めた。
(56) * a. Levántate, ¿verdad?
b. Levéntate, ¿no?
(57) * a. No te levantes, ¿verdad?
? b. No te levantes, ¿no?
上記の4例中、肯定命令に¿no?を伴う(56)bの例のみが自然であり、¿verdad?を伴
う(56)a 及び(57)a の例は共に不自然であるという。また否定命令に¿no?を伴う(57)b
は基本的には不自然であるが、起きてはいけないとわかっているはずの聞き手への非 難として発話する場合には共起可能であり、¡Que no te levantes, tío!というような含 意を持つという回答が得られた。つまり、肯定命令であっても否定命令であっても
¿verdad?とは共起できないが、¿no?には特殊な場合も含めて共起できるということで
ある。しかし、この理由は¿verdad?や¿no?の話し手の発話内容に対する確信の度合い を示すという性質からは説明できない。亀井 他(1996: 1334)は、命令文について
「現存していない行為や状態を(聞き手に)実現させようとする意図をもって発せら れる文」と規定しており、これは話し手の一方的な表現であると解釈できる。話し手 からの一方的な発話である命令と、それに対する確信度の表明は、性質上合わないた めである。従って、¿verdad?と¿no?を確信の度合い以外の角度からも考察する必要が あるだろう。
では、どのような性質が考えられるだろうか。改めてこれらの表現の語彙的意味に 着目すると、verdad は「真実」を意味するので発話内容が真であることを前提に問 い、否定の意味を持つ no は聞き手が発話内容を否定する余地を残して問うのではな いだろうか。verdadの反意語は必ずしもnoではないので、この2つが真を前提にし て問うか、あるいは否定する余地を残して問うかという異なる性質を持っていると考 えることは可能であろう。そのように考えると、命令内容が真であるかどうかを聞き 手に問うことはできないので、¿verdad?は肯定、否定命令共に共起できないと説明で きるのではないだろうか。一方、¿no?は「そうじゃないのか?」という否定する余地 を残して問うので、命令と共起できると考えられる。母語話者によると、(56)bは¿no?
を伴うことによって「起きろよ」というような強調の含意を持つという。これは否定
を問う¿no?が「起きろ、そうじゃないのか?(起きなきゃいけないでしょう?)」と
いう情報を付加することによると考えられる。また、聞き手が否定する余地を残して 問うので、音調などによってはOrtega(1985: 245)の言うように命令を和らげるや
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などの副次的な機能を果たしたり、聞き手の意見を求めるように感じられると考える ことができるだろう。(57)bも同じように考えられるが、「起きるな」という命令はす でに否定であり、それをさらに否定するのは聞き手にとっても分かりにくく、否定の 繰り返しになるためにあまり用いられないのではないだろうか。実際にある母語話者
は(57)b について、起きてはいけないとわかっている聞き手が起き上がろうとする場
面で使用可能であり、¿no?を伴うことによって¡Que no te levantes, tío!というような 非難を表すと回答している。。この含意がQue no te levantesという形式をとってい ることからも、母語話者は否定命令を否定すると、命令内容をもう 1 度言うような、
強調的な繰り返しと受け取っていることがわかる。この場合、否定の否定が、肯定を 意味するわけではないということだろう。(56)bと(57)bがどちらも命令内容を強調す ることから、これらの例では命令に聞き手が否定する余地を与える¿no?を用いること によって、命令内容を遂行するよう促すことができると考えられる。従って、¿verdad?
は発話内容の真を前提にするもの、¿no?は聞き手が発話内容を否定する余地を残すも のであると言える。
そうすると、前節までに考察してきた¿verdad?と¿no?の確信度の差は、実は副次的 な違いであり、その本質は真であるかを問うか、あるいは否定するかどうかを問うか という差であると考えることができるのではないだろうか。真実を意味する verdad を用い、それを聞き手に問うので確信度が高いと感じられ、noを用いて聞き手が発話 を否定する余地を残して問うので、発話内容に対して自信がないように見えると考え られるだろう。¿verdad?と¿no?が平变文と共起する時は確信度に関わり、命令に伴う 時には真偽や否定かどうかを問うということは考えにくく、真であるか、否定するか を問う性質が確信度の高低というニュアンスを出していると考えるのが自然だろう。
¿verdad?と¿no?は、表面的には確信度の度合いや命令との共起の差であるが、
¿verdad?は発話内容が真であることを前提に問い、¿no?は聞き手が発話内容を否定す
る余地を残して問う、という成り立ちそのものが異なるものと言えるだろう。
このように考えると、¿no?が発話を和らげ、交感的言語使用としての用法を持つの も、聞き手に発話を否定する余地を示す性質によると解釈できる。聞き手が否定する 余地があることを示して、聞き手を意識していることや聞き手とのつながりを表明す ることができるのである。次の発話は母語話者に対するアンケートで、全員が「付加 してもあまり意味は変わらない」と回答した文中の例である。
(58) Borjamari: No sé, ossea [sic], a lo mejor tengo esa época hiperidealizada,
¿sabes? Pero es que pienso, ¿no?, que a lo mejor el que se casó con Piedad podría haber sido yo.
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(El asombroso mundo de Borjamari y Pocholo: 38)
¿no?の先行発話Pero es que piensoは、話し手が確信度を示すほどの情報量を持っ
ていない。この場合には、聞き手が否定するかを確認しようとする¿no?によって、聞 き手の反忚を伺い、受けを確認しながら発話していると考えられる。また母語話者に よると、「¿no?を¿verdad?に置きかえると不自然」という回答が多かった。これは
¿verdad?が本来発話内容が真であることを問うものであり、確信度の高さを表明する ので、聞き手の反忚を伺うには適さないためと考えられる。これに対して¿no?は、聞 き手が否定する余地を残し、確信度の低さを表す性質によって聞き手とのつながりを 示すことができると考えられる。