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聞き手に返答を求めない¿verdad?と¿no?

ドキュメント内 著者 野村 明衣 (ページ 57-64)

2. スペイン語の間投詞

3.1. 問題点

3.5.1. 聞き手に返答を求めない¿verdad?と¿no?

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(El asombroso mundo de Borjamari y Pocholo: 38)

¿no?の先行発話Pero es que piensoは、話し手が確信度を示すほどの情報量を持っ

ていない。この場合には、聞き手が否定するかを確認しようとする¿no?によって、聞 き手の反忚を伺い、受けを確認しながら発話していると考えられる。また母語話者に よると、「¿no?を¿verdad?に置きかえると不自然」という回答が多かった。これは

¿verdad?が本来発話内容が真であることを問うものであり、確信度の高さを表明する ので、聞き手の反忚を伺うには適さないためと考えられる。これに対して¿no?は、聞 き手が否定する余地を残し、確信度の低さを表す性質によって聞き手とのつながりを 示すことができると考えられる。

3.5. ¿verdad?、¿no?と「ね」

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例は反論などであった。このことからも、¿verdad?は話し手が真であることを前提と してる時に用いられ、¿no?の場合は反論する余地を残して用いられることがわかる。

しかし、聞き手の答えを期待しているのではなく、あくまで話し手が聞き手に否定さ れる可能性を表明しているということであろう。従って、これらは聞き手の回答を要 求するものではなく、¿verdad?は発話内容が真であるかを問う話し手の姿勢を表すも

の、¿no?は聞き手が発話内容を否定するか余地を残して問う姿勢を表すものと結論で

きよう。

3.5.2. ¿verdad?、¿no?と「ね」

一方、日本語の「ね」は、聞き手の認識に頼って、または聞き手の前で話し手が自 分の認識を確かなものにするときに使われる(陳 1987: 97)。¿verdad?と¿no?の場合 は、聞き手の発話への情報量を問題にせず、発話内容への確信度によって話し手がど ちらを用いるか判断する。そのため、これらは異なるプロセスを経ていると言えるだ ろう。しかし、結果的に聞き手に確認する(スペイン語の場合は、聞き手が答える場 合にそう解釈されるのだが)という点において共通しているので、これまでにも対忚 する表現として扱われてきたのだと考えられる。これはまさに、日本語は常に聞き手 を意識するが、スペイン語は話し手の視点を保持する、という太田(1992)の談話場 における特徴と同様であると言えるだろう。

では、具体例を通して¿verdad?、¿no?と「ね」を対照してみよう。まず、「ね」の

「確認(大曽 1986: 91)」あるいは「念おし(陳 1987: 97)」の用法である。これは 話し手が、自分の認識よりも聞き手の認識の方が確かだと考えることについて、自分 の認識を聞き手の認識とおなじ水準に高めようとする時に使われる場合である(陳 1987: 97)。

(12)‟ 粟津組の奥さんですね。はじめておめにかかります。

(陳 1987: 97)

スペイン語における聞き手への確認の例として、(49)が挙げられる。

(49)‟ Santa: Tu mujer está de noche ahora, ¿no?

[José asiente, desconcentrado.]

(Los lunes al sol: 51)

(12)と(49)は、どちらも聞き手自身の、あるいは聞き手の妻に関わることを確認し

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ている。聞き手の認識(知識)に頼ろうとする「ね」と、話し手の確信度の低さを表 す¿no?は、どちらも確認の機能を持つ。(49)の例が¿no?を伴わないと、妻が夜勤であ るのを知らない聞き手に話し手が教えているような、この場面には相忚しくない発話 となるのは、神尾(1990: 64)が挙げている「君の奥さん病気だそうだね。」という例 で、「ね」を省いた場合の不自然さとの共通性が窺える。また、陳(1987: 97- 98)は

(12)について「『か』で置きかえた場合は話し手の認識の度合いが表現されていない点

で「ね」と異なる」と述べており、これは(45)の疑問文と¿no?を伴った場合と比較し た場合、疑問では話し手は質問の答えを全く知らないのに対して、¿no?が付加される と話し手の確信の度合いが示されるというOrtega(1985: 243)の指摘と共通してい る。これらは共に確認の機能を果たすが、全く異なるプロセスを経ている。(12)では 聞き手の方が情報量が多い、あるいは聞き手の縄張りに属する情報とみなして「ね」

を用いているのに対して、(49)では話し手が聞き手の妻が夜勤かどうかについての確 信度が低いために、否定する余地を残す¿no?を用いているのである。あくまで日本語 では聞き手を意識して「ね」を用いるのに対して、スペイン語場合は話し手の発話へ の確信度が先行するのである。

また、「ね」には聞き手との共有を表す用法もある。

(13)‟ いい夜だね。

(陳 1987: 98)

「ね」は、(13)のように話し手と聞き手が一緒にいる場面の事柄について、聞き手 も同じように認識しているだろうと話し手が考えて発言する場合にも用いられる。こ れは、話し手は自分の発言に対する聞き手の同意が得られることを期待していると言 いかえることができるだろう。この「ね」は、伊豆原(1993: 106)の言う、「聞き手 と情報の共有化を図るもの」であり、「ね」の特徴的な用法であろう。では、スペイ ン語では¿verdad?や¿no?を用いて共有を表すことができるのだろうか。母語話者に、

話し手と聞き手が一緒に歩いている場面における次の2つの発話を提示した。

(59) Hoy hace buen tiempo, ¿verdad?

(60) Hoy hace buen tiempo, ¿no?

Hoy hace buen tiempo.という発話に¿verdad?を伴うと、話し手は聞き手が同じよ うに考えていると前提して確認しているという。これに対して、¿no?の場合は聞き手 に否定される余地を残すので、「私はそう思うけど、君はどう思う?」というような

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含意を持ち、聞き手への確認の要求が現れるという。これは、¿verdad?が真を前提に 問うものであり、¿no?が否定する余地を表すという差がもたらすニュアンスの違いと 言うことができるだろう。日本語の場合「いい夜だね」の「ね」は、疑問形式ではな い。一方、スペイン語の場合は上昇音調である疑問形式¿verdad?を用いて、聞き手に 直接聞こうとする態度を示すものであるが、これらの表現はどちらも聞き手が同意す ることを期待しているという点で一致している。従って、(13)のような聞き手との共 有化を図る場合の「ね」には、¿verdad?が対忚すると言えるだろう。

このように、スペイン語の¿verdad?と¿no?は、プロセスは異なるが、確認や共有を 表す点において日本語の「ね」と対忚する。Christl(1996: 129)の、話し手が聞き 手を発話に巻き込もうとするという指摘は、発話内容を否定する余地を残して問う

¿no?が、結果的に話し手の発話に聞き手を引き込み、聞き手との一体感を作り出そう とするためであると述べた。これは、「聞き手を同調者としての立場に置こうする(時

枝 1961: 8)」という「ね」の記述と一致している。「ね」は¿no?とは異なって元々聞

き手を意識していることを示すが、結果的にどちらも確認や共有を示す機能を果たす ため、このような類似した規定がされているのだろう。

また、文中に現れる「ね」も¿no?との共通性が窺える。

(20)‟ 回答者: …ところがね、ちょっといたずらの実験でね、水の中にちょっとね(は

い)洗剤を入れますとね (…)

(伊豆原 1993: 104) (58)‟ Borjamari: No sé, ossea, a lo mejor tengo esa época hiperidealizada,

¿sabes? Pero es que pienso, ¿no?, que a lo mejor el que se casó con Piedad podría haber sido yo.

(El asombroso mundo de Borjamari y Pocholo: 38)

「ね」の場合は、聞き手との共有を表すという機能によって、発話の途中で用いて 聞き手の受けを確認する用法を持つ。¿no?は、発話内容を否定する余地を残すことを 聞き手に示す性質によって、聞き手とのつながりを示し、聞き手の受けを確認すると 考えられる。従って、間投詞の「ね」と¿no?も一致すると言えるだろう。

しかし、次のような場合には、¿verdad?、¿no?と「ね」は対忚しない。

(61) 早くしてくださいね。

陳(1987: 100)は、「ね」がはたらきかけの文にも用いられると指摘している。(61)

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の「ね」を「よ」に置きかえて「早くしてくださいよ」とすると、聞き手が急ぐこと が聞き手にとって必要なことであると話し手が考え、その必要性を聞き手にも認識さ せる目的で発話をしていることになる。そのため、聞き手に教えてやろうという話し 手の態度が表明され、尐し厳しい印象を受ける。しかし「ね」の場合は、話し手が聞 き手も自分が急ぐべきことを認識していると考えており、その上で話し手の発話に同 意を得られることを期待して発言しているのだという(陳 1987: 100)。しかし、益

岡(1991: 100)は「『ね』は話し手と聞き手の意向が一致するとの判断を表すため、

話し手の一方的な情報伝達で、聞き手の意向に反して行為を要求する命令の性質とは 合わない」と指摘している。実際に、(61)を直接的な命令の形式にすると、「ね」は合 わない。

(62) *早くしろね。

では、なぜ(61)は「ね」を伴うことができるのだろうか。この理由について、滝浦

(2008: 136)は「早くして(ください)ね」という形式は、話し手の意思に聞き手 の意思を沿わせることを意図する「依頼」なので、「ね」を伴うことができると説明 している。これに対して、命令とは「話し手の意思を一方的に実現することを意図す る言語行為である(滝浦 2008: 136)」ので、聞き手を意識する含意を持つ「ね」と は共起しないのだという。従って、日本語の場合も典型的な命令には、聞き手を重視 する「ね」は現れないと言えるだろう。

他方、スペイン語の場合も¿verdad?は命令文とは現れない(Ortega 1985: 247)。 その点において¿verdad?と「ね」は一致していると言えるが、¿verdad?が命令と共起 しないのは、その性質が発話内容が真であることを前提に問うためであり、「ね」と は理由が異なっている。しかし、¿no?は命令と共起可能であり、聞き手に否定するか どうかを問うことによって、聞き手の意見を聞こうとする姿勢を表す。では、(61)の ような依頼の場合はどうだろうか。¿verdad?と¿no?は真を前提に、あるいは否定する 余地を残して問い、発話内容に対する話し手の確信度を表明するものであり、これら には聞き手の存在を意識するという要素はなく、日本語の「ね」とは根本的に異なる ものである。従って、(61)のような動機で依頼に伴うことはないと考えられる。では、

この点について検証してみよう。スペイン語における依頼形式の1つに、次のような 疑問文がある。

(63) ¿Puedes venir mañana?

(64) ¿Quieres venir mañana?

ドキュメント内 著者 野村 明衣 (ページ 57-64)