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文末の呼びかけ語と「ね」 、 「よ」

ドキュメント内 著者 野村 明衣 (ページ 131-140)

5. 呼びかけ語

5.5. 呼びかけ語と「ね」 、 「よ」

5.5.1. 文末の呼びかけ語と「ね」 、 「よ」

呼びかけ語は、話し手が聞き手に接近することを表明するものであり、様々な発話 に伴う。どのような場合に「ね」、あるいは「よ」に対忚するのかを考察するために、

本論文のデータの中から無作為に100例を選び、「ね」、「よ」のどちらに対忚するか を調査した。うち51例が「よ」、20例が「ね」に対忚し、29例はどちらにも対忚し なかった。「よ」に対忚するのは言明、行為指示、返答などの発話であり、「ね」は感 情表現の行為のうち、感謝や謝罪、挨拶の一部の例であった。また、どちらにも対忚 しないのは質問の例であった。これらの事例を個別に見てみよう。

5.5.1.1. 「よ」に対忚する呼びかけ語の事例

次のような言明の例では、「よ」に対忚することが多いと考えられる。

123

(93)‟ Sole: Pues eso, que no tiene la cabeza buena, Raimunda.

Raimunda: ¡No me gusta que hables así de la tía, Sole!

(Volver: 40) (150) Manuela: Ya pasaron las tres horas, Ramón.

(Mar adentro: 23) (151) Benigno: Mi problema no es el cáncer, Marco.

(Hable con ella: 185)

言明は、話し手の持つ情報を聞き手に伝達する行為である。これに伴う場合の呼び かけ語は、聞き手との近さを表明する。一方、日本語で言明に伴うのは、話し手と聞 き手の知識(認識)が一致していない場合に用いられる「よ」であることが多い(白

川 1992: 39)。これらの発話を翻訳する場合、何も付加しないとぶっきらぼうな印象

を受けるが、「よ」を用いて、(93)では「あまり頭が良くないんだよ」、「おばさんのこ とそんな風に言うのは嫌だよ」、(150)は「3時間経ったよ」、(151)でも「問題はガンじ ゃないんだよ」と訳すとすわりがいいと考えられる68。また、スペイン語で呼びかけ 語のつく例を日本語で考えた場合、呼びかけ語をそのまま名前で訳すこともできるが、

日本語では文末で聞き手の名前を呼ぶことはあまりない。そのような場合に終助詞を 用いて訳すことによって、聞き手への近さを表明する呼びかけ語が持つニュアンスを 日本語でも表すことができるのではないだろうか。

また、返答の場合も「よ」と対忚する。

(86)‟ Andrés: ¿Es por la guerra?

Rosa: Sí, hijo... Dicen que han ganado los militares.

(La lengua de las mariposas: 91)

(86)では、聞き手の質問に対して話し手が返答している。返答は、聞き手が知らな い情報を断定する行為なので、言明の場合と同様に(86)は「そう(だ)よ」と、話し 手と聞き手の認識(知識)が一致していない場合に用いられる「よ」で訳すことがで きる69

行為指示にも「よ」を伴う場合がある。

68 文末において、呼びかけ語と終助詞の機能が一致していれば当然翻訳の際に問題なく訳せるはずであ る。本来なら呼びかけ語がどのように訳されているかを確認すべきだが、映画の字幕というものは、付 加的な形式を排除して命題のみを表すものである。従って、終助詞は省かれていることが多い。

69 本論文で「返答」に分類した承諾は終助詞を伴わない。

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(152) Ramón: ¿Pero qué dices, Rosa...? La habrás pillado en un mal momento...

No, pero ella siente que invadiste un poco tu terreno, tú también tienes que comprenderla... Y bueno, yo últimamente ando un poco liado. Sólo te pido que avises antes de vebir. Una llamada de teléfono y ya está. (Pausa.) Pero no llores, Rosa... Claro que quiero verte... De verdad, que sólo es eso...

(Mar adentro: 109)

(152)は、「泣くな」とゼロ形式で発話することもできるが、「よ」を用いて「泣くな

よ」とすることもできる。(152)のような聞き手を慰める場合は、呼びかけ語を伴うこ とで聞き手に寄り添おうとする話し手の態度が窺えるので、「よ」を伴った方がより 適切だろう。

しかし、次の例では呼びかけ語を伴うことによって命令が強まっている。

(153) Paco: Buscaré trabajo yo, pero de momento déjame ver el partido tranquilo...

Raimunda: Vete despidiendo del fútbol. Se acabó canal plus... ¡Somos una familia pobre y viviremos como una familia pobre! (A Paula, le grita).

¡Deja el teléfono, Paula!

(Volver: 45)

(153)は、夫に腹を立てている話し手Raimundaが長電話をしている娘Paulaに電

話を切るよう命令する場面である。聞き手への接近を表す呼びかけ語は、話し手と聞 き手が声で触れ合える近い関係であることも表明するのだが、これには二面性があり、

聞き手との親密さを表す場合と、聞き手に配慮をせず領域に触れる厳しさを表す場合 とがある。命令に伴う場合も発話状況によっては和らげにも強めにもなり、この場面 では、聞き手の名前を呼ぶことによって命令を和らげようとしているのではなく、聞 き手に威圧的に働きかけていると考えられる。このような場合にも、日本語では「電 話を切りなさい」よりも、「電話を切りなさいよ」のように「よ」を用いて威圧的な 意味を付加することができるだろう。

命令に伴う「よ」について、上野(1972: 72)と白川(1993: 8)は次のような例を 挙げている。

125

(34)‟ 行けよ。(下線部筆者)

(上野 1972: 72)

(36)‟ A: おい、ちょっと、そこどけ。

[相手が、どかない]

A: どけよ。

(白川 1993: 8)

(34)の例について、上野(1972: 72)は「『よ』を付加しない命令文より調子が弱く

なる」と説明しているのに対して、白川(1993: 8)は(36)のような例では「逆に調子 を強くしているとしか考えられない」とし、このような場合の「よ」は「その発話が 確実に聞き手の耳に入るように聞き手の注意を喚起する」ものであると述べている。

それが和らげ、あるいは強めと感じられるかは発話状況などによるのであろう。

このように、「よ」は注意喚起という機能によって命令を和らげたり強めたりする ことができる。これは発話状況によって判断されるものであり、日本語においては和 らげと強めを区別する助詞はなく、どちらも「よ」が用いられるのである。もし命令 を和らげていることを明確に表すなら、「行け」という命令を「行って」と依頼の形 式にしたり、「来い」を「おいで」のように語彙自体を変えて表現する必要がある。

一方、スペイン語では固有名詞によって命令が厳しく聞こえるのを避けたければ、

呼びかけ語の語彙を変えて調節することができる。

(154) a. Ven, Rosa.

b. Ven, cariño.

(154)aの固有名詞Rosaを(154)bのようにcariñoに変えることによって、発話内容

を変えることなく聞き手への愛情をより明確に示して命令が和らげることができる。

またVen, mujer.のように、話し手と聞き手の間に距離を置くような語彙を用いると、

さらに発話の聞こえ方が変わるだろう。このように、呼びかけ語の語彙によって「人 あたり」を調節するので、スペイン語では呼びかけ語の語彙が発達したのではないか と考えられる。

また、呼びかけ語を付加することによって現れる含意が「よ」に対忚する場合もあ る。

(101)‟ Raimunda: ¿¡A mi madre!? Mi madre está muerta, Agustina.

(Volver: 123)

126

先に見たように、この例における文末の呼びかけは、聞き手に接近して発話するこ とによって威圧的に働きかけるのと同時に、聞き手に対して「何を言ってるのか?私 の母親が死んでいることを知っているだろう。」と再確認させており、呼びかけ語を 伴わない場合、単なる新情報の提示になってしまう可能性がある。

日本語の「よ」はこれと同様に、言外の情報を含んでいることを示す機能を持つ。

(37)‟(妻の反対をよそに市長選に立候補する芳彦)

芳彦: 市長選に立候補するよ。

房子: あなた……(絶句)(中略)本気でいってるの?

芳彦: むろん本気だ。

房子: やめてください。あなたは大学の先生ですよ。

(中﨑 2005: 82)

この発話では、「よ」を付加しなければ聞き手にとって既知の情報(聞き手が大学 の先生であること)をことさら述べるので不自然であり、発話を「字義通りの意味だ けでなくある種の言外の意味を推論によって導き出し発話」の解釈、すなわちここで は「大学の先生である者が、市長選挙などに立候補するべきではない」という解釈を しなければならないという(中﨑 2005: 82)。これらの例ではどちらも、呼びかけ語 や「よ」の存在によって発話に言外の意味を含んでいることを示すという点で一致し ている。

5.5.1.2. 「ね」に対忚する呼びかけ語の事例

しかし、「よ」を伴うことが多い言明でも「ね」の方が自然な場合もある。次の例 は、失踪した母親を探すためにテレビの情報番組に出演しているAgustinaに対する、

Locutoraの発話である。

(155) [La locutora se acerca al set donde está sentada Agustina y se sienta frente a ella, como para darle a la entrevista un tono más íntimo.]

Locutora: (Al público). Me gustaría explicar que Agustina está aquí también para comunicarnos que le han diagnosticado (mal pronunciado) una enfermedad mortal. ¿No es así? Agustina tiene cáncer. (A Agustina). Tienes cáncer, Agustina. No estés nerviosa, que está entre amigos. A ver, (al público) un aplauso para Agustina.

127

[El público obedece y aplaude con entusiasmo.

Agustina mira inquisitiva las gradas de los espectadores, y la invade una sensación de insoportable extrañeza.]

(Volver: 153)

Locutoraは、Agustinaが癌であることを観客に伝え、その後にAgustina 本人に

確認している。母語話者に対するアンケートでは、「この例における呼びかけは、自 らの病を知っているAgustinaに癌であることを確認する」機能があるという70。確か にこの発話は聞き手を慰める場面ではなく事実を述べているので、親密さを表す呼び かけ語とは考えにくい。また、この発話は本論文の規定では言明に分類されるため、

呼びかけ語は「よ」に対忚し得る。しかし、呼びかけ語の先行発話は聞き手にとって は旧情報であり、自らが癌であることを知っている聞き手に対して「癌ですよ」と言 うのは不自然であり、出典の映像で日本語の字幕を確認すると「癌ですね」と「ね」

が用いられていた。日本語では縄張り理論でも指摘されているように、終助詞は聞き 手と情報との関係を示すものであり、話し手と聞き手の情報が同一である場合には

「ね」が用いられる(神尾1990: 62)。そのため、この発話は言明であっても「ね」

に対忚するのである。また、筆者の日本語の直感では「癌ですよね」でも問題はない ように感じられる。本論文では「ね」と「よ」のみを対象としているので、今回は詳 しく言及しないが、このような聞き手にとって旧情報となる発話内容に伴う呼びかけ 語と終助詞との対忚は、今後も考察する必要があるだろう。

また、次の例においても「ね」の方が自然である。

(129)‟ [El conductor sonríe a Ramón por el retrovisor.]

Conductor: ¿Y qué se le perdió a usted en Boiro, jefe?

Ramón: Me voy a la playa, a... cambiar de aires.

Conductor: A cambiar de aires... Eso está bien, hombre...

(Mar adentro: 159)

(129)は、Boiroへ転地するという聞き手に対する発話である。この発話は先の(155)

70 もしこの呼びかけ語が文頭で用いられると、「医師がAgustina に癌の宣告をしている」ような発話 となり、この場面においては不自然であるとの回答も得られた。文末に置くからこそ、自分が癌である ことをわかっているAgustina に対する確認になるのだろう。しかし、この呼びかけ語を省くことがで きるかについては、意見が2つに分かれ、呼びかけ語を伴わなくても同様の機能を果たすかについては 明確な回答が得られなかった。¿verdad?や¿no?ではなく、呼びかけ語を用いて聞き手に確認している点 で、非常に興味深い事例である。

ドキュメント内 著者 野村 明衣 (ページ 131-140)