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中国山地の鉄山労働者と村方の住民は、ともに近世における山地の生活者である。そし

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表1-3 原初型鉄穴流しと洗い樋型鉄穴流し

原初型鉄穴流し

(18 世紀中頃まで主流)

洗い樋型鉄穴流し

(18 世紀後半以降の主流)

地形改変 方向

風化土の運搬 対象となる地形 規模

跡地の特色

上から下へ 人力

山麓緩斜面・支尾根の頂部など 小さい(せまく浅い)

小凹地、狭長な凹地

横へ 水力・重力 山麓・山腹・山頂緩斜面など

大きい(ひろく深い)

切羽跡、ホネ、鉄穴残丘の組みあわせ 諸施設の

状況

走り(宇戸)

比重選鉱の水源 比重選鉱の設備

なし 自然の小河川 なし(筵など)

人工水路・自然の小河川 人工水路・自然の小河川

水路状をなす板敷きの洗い樋 下流域へ

の影響

平野の拡大 濁水紛争の発生

関与小 少ない

関与大 多い 社会経済

的側面

所有と経営

労働 「半農半鉱」的な村方の住民?

村方の住民(個人・寄合)、鉄山経営 者、藩など

専業的技術者、農間稼ぎとする村方の 住民(出稼ぎあり)

土地開発 との関係

跡地利用の様子 流し込み田

切添い的な開発に適する。近世 前期には活発に耕地化された。

稼業地点付近の廃土の堆積地 に造成可能

耕地化される割合は低いが、集落形成を ともなうような大規模開発もありうる。

廃土の堆積地に造成されることはあ まりない。

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て、近世の山地住民に関する近年の歴史学や歴史地理学などの研究をみると、生業の複合 性に着目する方向性15を認めることができる(たとえば、佐々木 1988、渡辺 1997、溝口 2002、白水 2005、泉 2010)。この方向性は、水田中心史観を否定し、従来の歴史学の研 究では山村が辺鄙で貧困な地域として過小評価されてきたとする網野(2000 315-316)や 佐藤(2013 1-8)の主張に沿うものである。さらに、近世社会にあっては、百姓が担った 非農業部門の経済活動は「農間」や「作間」として位置づけられ、工業部門に属する諸稼 ぎはあくまで「副業」として理解されてきた。そのような中、田中(1991)や深谷(1993)、

六本木(2002)などの成果は、百姓経営において工業に属する諸稼ぎが重きをなした実例 を的確にとらえている。

歴史地理学における地域研究の直接的な対象は言うまでもなく「地域」であり、本研究 もたたら製鉄の稼業地域における地理的性格を究明しようとするものである。そのため、

近世の中国山地を対象とする本研究では、為政者や資本家側よりむしろ、その地域に暮ら す鉄山労働者や村方の住民、そしてそこに形成された景観に着目する。そのような「地域」

への視角は、山内-村方という二項対立的な見方ではなく、必然的にその関わりをとらえ る16。元来、鉱工業と地域社会の関係を明らかにすることは、鉱業地理学の主要なテーマ の 1 つであり(川崎 1973、岩間 1993・2009、原田 2012)、対象地域の開発をとらえるこ とと密接に関わる。

そして、地理学は、たとえば山本・田林・菊地(2012)が日本村落の特徴として小農複 合経営のあり方を示したように、集落の経済的基盤を景観とともにミクロスケールでとら える作業を得意としている。その特長を生かしつつ、本研究では、集落の景観復原とその 変化の解明に努め、住民の就業構造を分析する。そのため、本研究では、たたら製鉄に直 接あるいは間接的に関わる労働に従事し、中国山地を開発してきた鉄山労働者と村方の住 民の姿を追求する。個々の地域の開発過程を究明するにあたって、近世村や近世村を構成 していた小集落、さらには個人または家レベルといったミクロスケールでの検討を積み重 ねる。

15 この方向性を生み出した原動力のひとつは、生業を研究する場合、人の生計は各種の生業技術の選択的複合の上に成 り立つものとして、個人(または家)を中心にその生計維持方法を明らかにすべき、という安室(1997)の提唱した 複合生業論である。

16 近世の鉱山業に対して、鉱山業は村方とは異なる特別な社会を形成するものとみなされる向きが強かった。確かに近 世、とくに近世初頭の大規模鉱山は、周辺地域の人びとにとって、出入りも制限された閉鎖的な社会として認知され てきた。しかし、労働市場としては開放された存在であり、近世の百姓は鉱山業に関連する労働にさまざまな形で従 事することができた(荻 2012)。德安(2012b)でもふれたように、たたら製鉄の稼業された山内の社会を閉鎖的に とらえない見方は、近世の鉱山業を特別視してきた従来の見方に再考が求められることと軌を一にするものといえよ う。

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一方、前節で述べた鉄穴流しに関する研究課題を解明するにあたっては、日下(1991)

のいう「地域史研究における第三の方法」、すなわち自然と人間の両サイドから過去の景 観を総合的に解明する」ことが有効となる。空中写真判読などの自然地理学的な手法は、

鉄穴跡地の範囲を認定できる。そのような手法は、史料の分析にもとづく研究分野には追 従できないものである。

以上の検討を経て、個々に明らかにしたミクロスケールでの開発の諸事例を、流域レベ ルで生じた濁水紛争にともなう鉄穴流しの稼業制限、すなわちマクロスケールで作用する 開発を抑制する要因との関連から考察する。地理学は、地域のスケールに応じた分析を得 意とするのである。

2.本論文の構成

本研究の目的は、冒頭にも記したように、18 世紀中頃以降におけるたたら製鉄の稼業に ともなう中国山地の開発について、鉄穴流しが受けた稼業制限の地域差に着目しつつ、歴 史地理学の立場から解明することにある。

本研究はⅢ部から構成され、第Ⅱ部では、鉄穴流しと濁水鉱害について扱う。第2章で は、鉄穴流しの方法と土地開発に関する筆者の見解をまず述べる。その上で、たたら製鉄 による中国山地の開発を抑制した濁水鉱害について検討する。第3章では産鉄地域と被害 地域とが同一の藩領内であった伯耆国西部の日野川流域を、第4章では下流の他藩や村々 などの要求によって鉄穴流しの稼業がよりきびしく制限された美作国の吉井川上流域を、

それぞれ研究の対象地域とする。

第Ⅲ部では、たたら製鉄による山地開発の多様なあり方を個々に検討する。第5章では、

中国山地の開発に深く関わる山内の立地展開について確認し、その山内で生活した鉄山労 働者の存在形態について示す。その上で、村方住民のたたら製鉄関連労働への従事状況に ついて、人・イエ・村・郡レベルで検討する。第6章では、鉄穴流しにともなう耕地開発 とそれに随伴した集落の形成と発展について分析する。その際、流し込み田の性格を再検 討する。第7章では、鉄山労働者の食糧確保のために進展した耕地開発と集落の形成につ いて明らかにする。第8章では、山内の立地にともなう居住域の拡大の事例として、山内 移行型にあたるたたら起源集落の農林業集落化を検討する。

結論では、後進・低生産地域としてイメージされやすい中国山地に対して、近世・近代 にはたたら製鉄によってきわめて活発な経済活動が展開し、開発も大きく進展したという 実態を明らかにする。18~19 世紀の中国山地では、「アイアン・ラッシュ」と呼ぶべき、

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たたら製鉄による活発な経済活動と開発の進展がみられたことを描きだす。その上で、第

Ⅲ部で検討したミクロスケールでの開発の諸事例を、第Ⅱ部で確認した鉄穴流しの稼業制 限にみられた地域差の中に位置づける。この視角によって、たたら製鉄による中国山地の 開発にみられた地域性を明らかにする。

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第Ⅱ部 鉄穴流しと濁水紛争

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