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第3章 日野川流域の鉄穴流しにともなう水害と対応

第2節 地形・地質条件よりみた鉄穴流し稼業地点の分布 1.鉄穴跡地の地形的特色

94 の鉄穴場が確認できる。

第2節 地形・地質条件よりみた鉄穴流し稼業地点の分布

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図4-4 上齋原地区杉小屋における鉄穴跡地の地形

三十人ヶ仙西麓には、高位小起伏面に属する凹地状の地形面が広く発達している。立体視を行うと、起伏に乏しい平滑 な自然斜面(A)の中に、微起伏に富む小凹地が確認できる(B)。この部分が鉄穴跡地である。なお、現地調査では、

鉄穴流しによるとみられる廃土の谷底への埋積が確認できる(C)。

[写真:林野庁 1970 年撮影・約 2 万分の 1 空中写真「チヅ 山―578(オクツ)C-15・16」]

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図4-5 上齋原地区杉小屋の地形

破線によって囲まれた部分は、図4-4の範囲を示す。実線によって囲まれた部分が鉄穴跡地である。

[資料:国土地理院 1987 年発行・1:25,000 地形図「加瀬木」]

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図4-6 上齋原地区本村の鉄穴跡地と土地利用

土地利用については、鉄穴跡地にもっとも多くの耕地が確認できた明治 20 年の状況を示した。[本図の等高線は、3,000 分の 1「森林基本図」による。空中写真の判読、現地調査、地籍図・土地課税台帳(旧上齋原村所蔵)などより作成。]

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図4-7 吉井川上流域における鉄穴跡地の分布

[約 10,000 分の 1 または 20,000 分の 1 空中写真から判読した鉄穴跡地を、

25,000 分の 1 地形図に記入したのち、縮小して作成。]

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表4-1 吉井川上流域における鉄穴跡地の面積と耕地化の実態

近世村名 村面積1) A

鉄穴跡 地の面 積2) B

B×100 A (%)

耕地面積3) C 鉄穴跡地の耕地化面 F×100 C (%)

G×100 D (%)

H×100 E 水田 (%)

D 畑 E 積2)

F 水田 G 畑

H 上齋原村

下齋原村 長 藤 村 奥 津 村 奥津川西村

羽 出 村 養 野 村 井 坂 村 至孝野村 女 原 村 西 屋 村 箱 村 杉 村

8,867.0 1,438.0 431.5 1,391.3 800.3 5,041.3 725.3 192.8 207.3 68.3 257.5 445.3 284.0

361.7 20.1 23.1 83.8 19.2 29.0 24.6 1.6 0.5 0.4 2.0 4.9 0.6

4.1 1.4 5.4 6.0 2.4 0.6 3.4 0.8 0.2 0.6 0.8 1.1 0.2

131.0 27.2 32.5 20.6 32.3 147.0 32.9 11.5 9.1 8.5 20.5 10.5 22.1

118.0 25.4 29.7 19.1 28.5 131.5 31.1 10.7 8.2 7.7 18.0 9.5 21.4

13.0 1.8 2.8 1.5 3.8 15.5 1.8 0.8 0.9 0.8 2.5 1.0 0.7

10.3 - - 3.7 - 0.4 0.3 - - - 0.7 0.9 -

8.9 - - 2.9

- - 0.3 - - - - 0.9 -

1.4 - - 0.8 - 0.4 - - - - 0.7

- -

7.9 - - 18.0

- 0.3 0.9 - - - 3.4 8.6 -

7.5 - - 15.2

- - - - - - - 9.5 -

10.8 - - 53.3

- 2.6 1.0 - - - 28.0

- - 合計 20,149.9 571.5 2.8 505.7 458.8 46.9 16.3 13.0 3.3 3.2 2.8 7.0 単位:ha 1)地形図上で計測。 2)空中写真から判読し 2.5 万分の 1 地形図(1988 年発行)に記入したのち、地形図上で 方眼法によって計測。 3)1980 年の農業集落カードより集計。

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と上齋原村の一部から構成される羽出川流域には、のこりの 36.8ha(6.4%)が分布し、

香々美川流域において鉄穴跡地は認められない。

三十人ヶ仙西麓にあたる上齋原地区の杉小屋から遠藤にかけては、小起伏面がよく発達 し、用水が確保しやすかったとみられる。鉄穴流しに最適とされる花崗閃緑岩も広く分布 していることから、ここは当流域の中でもっとも鉄穴流しの稼業に適した地形・地質条件 を備えたところといえる。前項で述べた上齋原地区の本村周辺は人形仙南麓および湯岳北 麓にあたり、中位小起伏面に属する山麓緩斜面の発達が良好である。黒雲母花崗岩の分布 域であるものの、人形仙南東麓に位置する標高 800m 前後の小起伏面とともに、面積の広い 鉄穴跡地が多く分布している。

長藤・奥津・養野付近は泉山西麓の中位小起伏面上にあたり、花崗閃緑岩の分布域であ ることから多数の鉄穴跡地が分布している。しかし、緩斜面には支谷がよく発達し、鉄穴 流しの対象となる風化層はその尾根の頂部に限って残存していたとみられる。したがって、

この尾根上に位置する鉄穴跡地は狭長な形状をとるものが多く、1 つあたりの面積は概し てせまい。第2章の第2節でみたように、泉山西麓では大神宮原を中心に 9~16 世紀に操 業された製鉄遺跡が 20 ヵ所以上確認され、近世以前に操業されたものとみなされた鉄穴流 しの遺構も検出されている(奥津町教育委員会編 2003)。その一方で、大神宮原周辺にお ける鉄穴流しの稼業を記す史料は、みつかっていない。大神宮原周辺の鉄穴跡地の多くは、

横方向へ掘り崩す大規模な地形改変が普及する以前に、尾根上の風化土を掘削したことに よって形成されたものとみなせる。

一方、香々美川の上流域には花崗岩類の分布する山麓緩斜面がみられ、鏡野地区の越畑 にはくり返し山内が立地した(宗森 1965)。しかし、香々美川流域では鉄穴跡地が認めら れない上に、史・資料や小字地名の検討によっても鉄穴流しの稼業を示唆するようなもの は見つかっていない。そして、明和 9 年(1772)に、越畑村から勝間田代官所(現・岡山 県勝央町)へ提出されたたたら製鉄の稼業願い3には、「勿論村内に鉄砂取り所も御座候へ 共、場所柄悪敷く、行き届き申さず候間、西々条郡上才原村の内杉小屋と申す所に、先年 車屋重次郎と申す者鉄砂取り申し候跡壱ヶ所、御許容遊ばされ候はば、銀主も御座候間、

右願い上げ奉り」とある。これによると、越畑村に「鉄砂取り所」は存在するものの、「場 所柄」が悪く行き届かないので、上齋原村杉小屋の鉄穴場から砂鉄を輸送することによっ て「右願い」、すなわちたたら製鉄を稼業したいと記されている。越畑付近に分布する黒雲

3 明和 9 年「乍恐奉願上候御事」、(鏡野町越畑・瀬畑家文書、鏡野町史編集委員会編 2008 438-439 所収)

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母花崗岩は、磁鉄鉱分に乏しいという性質をもつ(今村・長谷ほか 1984 89)ことからす ると、「場所柄悪敷」とは地質条件が鉄穴流しに適していないことを示すと考えられる。香々 美川流域では、①地形的には鉄穴跡地を認めることができない、②鉄穴流しの稼業に関す る史・資料は未発見である、③鉄穴流しに関連するとみられる地名が存在しない、④たた ら製鉄の稼業にあたって砂鉄を流域外から入手している、⑤花崗岩類の性質が鉄穴流しに は必ずしも適さない、の 5 点からこの地域では本格的な鉄穴流しは行われなかったと考え る。

羽出川流域は、山麓緩斜面と花崗閃緑岩が広く分布するのに反して、鉄穴跡地の分布に 乏しい。ここに広く分布する黒雲母花崗岩は、上述の越畑と近似した地質であることから、

鉄穴流しには適さなかったと考えられる。また、羽出西谷川の南側は花崗閃緑岩の分布域 ではあるものの、鉄穴流しに適した緩斜面に乏しい。羽出川流域のうち、鉄穴流しに適し た地形・地質条件を備えるのは、羽出川南岸の羽出の泉源六ツ合や、北岸にあたる上齋原 地区の新古屋などわずかの地域に限られる。

つぎに、近世村ごとにみると、鉄穴跡地の分布域と、史・資料によって鉄穴流しの稼業 が確認された 12 の鉄穴稼ぎ村の所在とは、よく一致している。鉄穴跡地を近世村ごとにみ ると、跡地面積のもっとも広い村は上齋原村(361.7ha、全体の 63.3%)であり、奥津村

(83.8ha、全体の 14.7%)がそれに次いでいる。そして村面積に占める跡地面積の割合が もっとも高いのは、奥津村(6.0%)である。

以上のように、本流域の鉄穴跡地は、砂鉄含有量が幾分多い花崗閃緑岩の分布する南部 と比較して、砂鉄含有量のやや少ない黒雲母花崗岩の広がる北部により多く分布している といえる。鉄穴跡地が上齋原村を中心とする当流域の北部に集中した要因としては、高位 小起伏面や標高 800m 前後の小起伏面が広がり、鉄穴流し用水の確保が容易であったこと、

緩やかな凹地状斜面からなる谷の発達が良好で、花崗岩類の風化層も厚く存在しやすかっ たことなどがあげられる。しかし、鉄穴跡地が北部の、地質的にやや条件の悪い黒雲母花 崗岩地域に集中した点については、以上のような自然条件のみでなく、鉄穴流しに稼業制 限をもたらす濁水紛争のような人文条件の面からの検討も必要である。

第3節 鉄穴流しの稼業状況と濁水紛争

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