第 8 章 所得税法 56 条の新解釈 ― 2 要件独立説の見地から ―
第 2 節 「生計要件」と「事業要件」のそれぞれの支配従属関係の検討
家族法の財産制度との関係において、所得税法 56 条による同居の親族に対する対価 の支払の否定は、特に重要な問題である。特に事業主とその親族が夫婦である場合にお いて、夫婦財産関係19は、両配偶者間における利害関係が第三者との関係では同一方向 にあることを常態とすると言って良いであろうから、配偶者が例えば租税回避を唯一の 目的として、通常ではない法律関係を相互に形成することもありうる。このような通常 でない法律関係は、独立当事者間で形成されるであろう法律関係に、租税法上引き直し て、租税法律関係を調整しなくてはならないであろう。ここには、所得の適正配分をそ の課題とする独立当事者間取引の法理が妥当するであろう20。とする見解を取り入れた 場合、居住者とその「生計を一にする」親族も同じ利害関係によった法律関係を結ぶこ とがあり得るため、その範囲を「生計を一にする」親族にまで広げることは特段問題な いであろう。したがって、第1章(2)において、既に相当な対価として独立当事者間取引 を取り上げているのであるが、改めてこの見解を基に、所得税法 57 条だけでなく、所 得 税 法 56 条 の 事 業 要 件 の 判 定 に お い て も 、 独 立 当 事 者 間 取 引 を 「arm’s-length
transaction」21と定め、それに伴って相当な対価を「arm’s-length price」として、各々
取扱うことにする。
ここで、これから取り上げる、いわゆる妻弁護士事件及び妻税理士事件において、当 該親族は弁護士あるいは税理士として、それぞれ独立した事業を営む者である。このよ うな場合において、弁護士である夫が弁護士あるいは税理士である妻に対して報酬を支 払ったとき、所得税法56条の適用範囲はどのように判断されるべきであろうか。また、
伝統的な所得税法56条の判決とはどう折り合いをつければ良いのだろうか。
上記の解釈を行う場合に重要となるのが、居住者(納税者)との支配従属関係であろう。
しかも、この支配従属関係は、家計における支配従属関係22であるのか、それとも事業 経営における支配従属関係(以下、「経営的支配従属関係」という)であるのかという二 つの意味を持っていると解される。これは、所得税法 56 条が「生計要件」と「事業要 件」の二つに分解されて解釈されることにも整合するものである。さらに、ここから想
19 この場合、夫婦別産制度というよりもむしろ生活の資を一にしている関係のことである。
20 木村弘之亮「夫婦財産法上の合意と人的帰属」『法学研究』64巻12号80-81頁参照。
21 木村教授は、「家族従業者が労務を提供し、これに対し相当な対価を得る場合、この対価を必要経 費に算入することが独立当事者間取引(arm’s length transaction)の原則に合致する。」(同上、70頁。) と述べている。
22 田中教授も「消費生活において、居住者にその親族が依存または従属しているかどうか(依存関係。
より正確には、消費生活における「支配従属関係」…)によって生計要件を二つに分ける考え方」(田 中、前掲注3、33頁)として同様の観点で生計要件を分けている。
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起されるのは、この2要件は、居住者たる納税者を基盤としての「支配」と「従属」と いう関係で、並列的に所得税法 56 条を構成しているのではないかということである。
詳しくは後述するが、妻弁護士事件・妻税理士事件の二つの最高裁判決は、この2要件 の相互独立を前提に解釈しているとはとても思えないものである。
ただし、妻税理士事件の第一審判決23においては、生計要件の支配従属関係の検討は していないが、事業要件の支配従属関係(「従事」するという観点)からの検討を行い、
「従事」することその他の事由の範囲を限定し、親族間でも独立当事者間の取引を認め た事例として評価するところである。これは、所得税法 56 条に関する伝統的な立法趣 旨の理解に立って、独立した事業者である親族に対する報酬の支払いについては所得税 法 56 条の規定は適用できないとするものである。一方で、妻弁護士事件第一審判決、
同控訴審判決24および同最高裁判決は、一貫して所得税法56条の立法趣旨につき、家族 間の恣意的な所得分割の防止目的にとどまらず、硬直的に生計要件の充足をもって所得 税法 56 条の適用範囲を判断しており、恣意的な租税回避的行為の防止目的には触れず に一般的な課税の公平目的によって判決を下しているものである。本章では、これらの 判決の解釈の違いもさることながら、その背景を探っていくことを目的とする。
(1)妻弁護士事件判決による解釈 ―生計要件のみを争う伝統的解釈-
所得税法 56 条は、「生計を一にする」規定により生計要件を定めるが、生計要件の 充足を考える場合、居住者とその親族とが生計を一にしていることは、所得税法 56 条 を適用する際の考慮要素の一つにとどまることになる。その場合、生計要件については、
当該親族は居住者に生活を依存していない(自ら稼いだ所得から、共同生活の分担として 一定の金員を拠出している)ので、たとえ同居していても、生計要件を充たさないと解す る余地は事案によってはありうるであろう。また、家計が文字どおり混同した状況であ っても、あるいは、生計要件を共同関係で広く捉えた場合でも、当該親族が事業にかか わって事業要件を充たしていない場合には、結局のところ、所得税法 56 条の適用は排 除されることとなる。
居住者とその親族とが消費生活において共同関係にあることを理由に、生計を一にし ていると判断されれば、それだけで当該親族が受け取る対価のすべてが所得課税の範囲 から除かれるという考え方は、所得税法 56 条が個人単位主義の例外規定であるという ことからすると、その例外を必要以上に拡大する結果を招くことになり相当ではない25。 所得税法56条においては、生計要件は基本的に、居住者の経済力(所得)に親族が依存し ているという関係において理解すべきであろう。消費生活上相互に関係があることを好 機とばかりに、課税範囲を不当に拡大することのないよう特段の注意が払われるべきで、
23 東京地裁平成15年7月16日判決(平成13年(行ウ)第423号)LEX/DB【文献番号】28082433。
24 東京高裁平成15年10月15日判決(平成15年(行コ)第175号)LEX/DB【文献番号】28090431。
25 田中、前掲注3、38頁。
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この点で平成12年の岡山地裁判決26は、特に問題を残すように思われる。
事実関係が必ずしも明らかではないが、もし当該事例において、兄(歯科医師)と弟(歯 科技工士)の事業がそれぞれ独立していたとすれば、兄の事業から弟に給与その他を支払 った場合には、それは兄の事業の必要経費として控除されるべきであろう(事実兄は、弟 を専従者として青色専従者給与の届出をしている。これは、制度を錯誤したものであっ たが、結果的に兄は弟に対する支払対価を必要経費にできると考えてのものであり、対 価が外注費と給与との両方において払われた事実はこの件については特段問題にしなく てもよいであろう)。
そうして兄と弟がそれぞれ稼得した所得から、母親を中心とした家計に生活費をそれ ぞれ拠出したとしても、上記のような事実関係のもとでは、消費生活の共同関係を理由 に、所得の稼得段階における各人へ所得の帰属を否定することまでも、所得税法 56 条 が予定しているとは考えられない。所得税法 56 条は、その沿革からして、所得の実態 のない恣意的な分割を防止することを目的とするからである。
また、そのように考えるならば、居住者が事業からその親族に対して役務に相当する 対価を支払うことは、居住者が自らの所得から直接生計維持費用を支出することと同じ であるとする家事費混同論は、当該対価と事業との関係を切断する点において相当では ない、というべきである。問われるべきは、親族への支払いが必要経費性を持つかどう かであり、その支払いを受けたものがそれをどのように使うかは、必要経費性の判定に おいて直接の関係はないと考えられるからである27。親族が独立した経済主体として居 住者から対価を得たとしても、その対価が、消費生活においても独立しうる親族の所得 の一部を占めるに過ぎないのであれば、その対価の支払を捉えて家族の生計費の支給と いうことはあまりにも非現実的で不合理である28。
ここで、妻弁護士事件の最高裁判決29の判旨に着目すると、最高裁は、居住者と「密 接な関係」にある者が、その事業に「関して」対価の支払を受ける場合に、これを居住 者の必要経費の計算にそのまま算入すると「納税者間における税負担の不均衡をもたら すおそれがある」などの理由によって、所得税法56条が制定されたとする。
しかしながら、このような立法趣旨の理解には相当の問題があると考える。その中で も注目されるのは、規定をそのまま用いず、異なる語句を用いているところである。規 定上は、「密接な関係にある者」という文言はなく、「生計を一にする配偶者その他の 親族が」であり、その事業に「関して」対価の支払をうけるではなく、その事業から「対 価の支払を受ける」となっている。そしてこれは規定そのものではないが、同判決は、
納税者間の税負担の不均衡をもたらすおそれを立法の目的または背景として掲げるが、
26 岡山地裁平成12年9月19日判決(平成10年(行ウ)第13号)LEX/DB【文献番号】28091359。
27 田中、前掲注3、38頁。
28 最高裁昭和51年3月18日判決(昭和48年(行ツ)第30号)LEX/DB【文献番号】21053570で 示された判決も、このような理解を示しているといってよい。
29 最高裁平成16年11月2日判決(平成16年(行ツ)第23号)LEX/DB【文献番号】28092814。