第 2 章 包括的所得概念下における所得控除
第 2 節 包括的所得概念下における所得控除の位置付けと機能
個人所得における包括的所得概念および、所得控除の位置づけを図示すると下【図表1】
のようになる。
【図表1】包括的所得概念下における所得控除の位置づけ
包括的所得概念下において個人の消費を担税力に反映させるプロセスとしては、まず、
ある一定期間の投下資本である費用を確定し、それに対応する成果としての収益を確定さ せて、その差額としての所得を算出する。これが所得の稼得段階(算術結果としての稼得)
であり、ひいては純資産の増減となる。包括的所得概念において著名である H.C.サイモン ズは、これに消費を含めて包括的所得としている。したがって、包括的所得概念における 消費は、純資産増加以外の一切の所得を構成するものとなることが導かれる。
このように、制限的所得概念と違い、消費が所得に完全に包含されることで、個々人で 選好が異なる消費の態様によっても個人所得に差異が出ることになる。しかし、所得の稼 得段階にある費用(投下資本)としての支出と、消費としての支出は厳密に峻別されなけ
26 同上、273-274頁参照。
課税所得 C
(包括)消費 ΔW
純資産の純増減
所得控除
(包括的所得
(Yc)=ΔW+C)
23
ればならない。これは、所得の稼得段階と消費段階との区別だけでなく、純資産の増減要 因と個人の消費支出との区別からの要請でもある27。
この点について、植松守雄教授は、「『純資産増加説』(包括的所得概念の別言)を個人に 適用する場合、純資産の増加のほかに、所得ないし財産の処分としての個人の消費支出を これにプラスしたものをその所得と考えるのは当然である(括弧内筆者)」28と述べた上で、
「個人の消費支出(資産の喪失を含む。)のうちには担税力の減殺要因として課税所得の計 算上控除を認めるのが適当と考えられるもの(所得控除)があり、所得を構成する個人の 消費支出とみるか、控除を認める純資産の減少とみるか、その線の引き方にむずかしい問 題がある(括弧内筆者)。」29と述べている。
また、わが国判例上の包括的所得概念は、神戸地裁昭和 59 年3 月21 日判決において、
「現行の所得税法は、課税の対象となる所得を取得した経済上の成果(利得)としてとら え、一定期間内における純資産の増加をすべて所得とみる」と判示されている30ように、い かなる源泉から生じたものであるかを問わず、そして、現金による利得のみでなく、現物 給付・債務免除等の経済的利益も課税の対象と考えられており、課税の対象は所得の源泉 を問わないとされる。しかし、これは、換言すれば、所得源泉についても個人の事情が反 映されることになったということでもある。したがって、同上判示の続きとして、「一方、
担税力が薄弱であることもしくは徴税上、公益上又は政策上の理由から非課税所得を定め
(同法9ないし11条)、租税特別措置法その他の法令により所得控除、特別税額控除等の 課税除外所得を定めている。」31とあるように、一般論としては、(投下資本以外の)支出を 所得税額計算の過程において控除することは、包括的に捉えられるべき所得の一部を課税 の範囲から除外する課税ベースからの逸脱、すなわちtax erosion(課税ベースの浸食)も
しくはtax expenditure(隠れたる補助金)と評価されることになる32。
しかし、同様に課税ベースからの逸脱と評価される租税特別措置とは違い、所得源泉に ついて自由な包括的所得概念を採用し、全ての所得を合算した総合所得による課税計算を 行っている限り、それと対応した形で、担税力としても個人の自由を認め、広く個人の事 情を反映できる所得控除を採用することが、課税負担の公平の面では望ましいのであり、
また、必要条件であることが導かれる。つまり、個々人の事情を反映しない、社会政策目 的の下に行われる一律な税額控除は、課税負担の公平の観点からいえばイレギュラーなも のとなる。そして、この点で租税特別措置と一致することになり、また、当該措置に税額
27 この点について吉村典久教授は、「(前略)納税義務者の個人的事情に基づく支出は家事費として必要経 費とは峻別されねばならない。したがって、獲得のために必要な経費の控除に関する制度と納税義務者の 個人的事情に基づく支出の控除に係わる制度とは、その各々の制度が働く段階を異にしているといわざる をえない(前掲注2、241頁)」と述べ、必要経費(投下資本)と家事費(消費支出)とでは各々で働く制 度が違うという理解を示している。
28 植松、前掲注15、214頁。
29 同上、214頁。
30 神戸地裁昭和59年3月21日判決(昭和57年(行ウ)第37号)LEX/DB【文献番号】21080300。
31 同上。
32 吉村典久「所得控除の意義について」『税研』No.136、17頁。なお、括弧内は筆者による。
24 控除が多く用いられている事も興味深い。
ここで、再度確認であるが、所得税法における税額計算は、①一期間の費用収益対応に 基づき算定された総収入金額から必要経費を控除し、総所得を求め、②総所得から各種所 得控除を行った後に課税標準が算定され、③これに所得に応じた累進税率を乗じるという、
3段階を踏まえて行われる。さらに、①は、個人所得の稼得段階であり、そこで行われる計 算は、投下資本の回収余剰計算として、前掲【図表1】に示した包括的所得(Yc)における ΔW を構成する。そして、②は、個人の自由な選好に基づく消費段階であり、通常生活の ための支出に限らず、様々な支出が行われる。しかしながら、その消費段階の中でも、各 人の所得において、最小生活費の部分には課税しないという、消費型所得概念による課税 を採用していた頃から一貫している控除、および、所得を担税力とした事により控除が可 能になった、担税力減殺要因としての各種人的控除等が加味されていくことになる。これ は、制限的所得概念下でも同様であった。
しかし、所得の稼得源泉が包括的になったことによって、今までは所得にならなかった ものでも担税力として把握されることになる。一方で、包括的所得概念(Yc=ΔW+C)の 右辺を構成する消費(C)における最小生活費としての部分が変化しないということは、左 辺の所得が増えた分につき税負担が増えることになる。そこで、投下資本回収余剰計算の 結果として(ΔW)を固定し、残った消費を包括的な消費(C)として左辺の包括的所得(Yc)
とリバランスさせることで、包括的所得概念における両辺の均衡を保とうとしたと考えら れる。この点で、両辺の歪みが解消され得なかった制限的所得概念での欠点を克服したと いって良いであろう。しかし、この結果、制限的所得概念下での所得控除だけでなく、や むを得ない支出として雑損控除、医療費控除、社会保険料控除等が認められる論拠となる。
そればかりか、包括的な消費を前提にした控除として、やむを得ない支出とはまず認め られないような、各種の奨励的な政策的控除を容認し、控除額や控除の種類を政策的に増 減する下地となる。寄附金控除はその最たる例33であり、現在のように多様な所得控除が認 められていることの論拠となろう。またこの点で、所得控除を租税特別措置と同義として 捉える論者が表れるのであるが、所得控除と租税特別措置とは、個人の事情を反映できる か否かにおいて大きな差異があることを特筆しておきたい。
さらに、ここで課税負担の公平からの観点として、所得控除については、②の所得控除 の段階での公平と、③の課税標準に税率を乗じる段階での公平とに分かれることに留意し なければならない。また、税額控除は③の段階を終えてからの控除である。
しかしながら、所得控除とは、前述したように各個人の事情を担税力に主観的に反映さ
33 寄附金控除については、①財または役務の移転として控除すべきという議論と、②倫理的責務の履行に つき、やむを得ない支出として控除すべきという議論、および③寄附行為への誘因措置とする議論とがあ るが、①は、理論的には寄附を受益した者が課税されるだけでなく、寄附した側は、全額を控除されなけ ればならず、②は、寄附行為は任意の消費ではなく投資目的の支出とするが、そうすると交際費との区別 がなされないことになる。③は、いわゆる租税特別措置である。したがって、この中では③が一番無理の ない理解だとおもわれるが、そうだとすれば、それは結局所得控除だけでの問題ではないことになろう(増 井良啓「寄附金控除」『所得控除の研究』vol.52、166-179頁参照)。