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生徒による授業評価の課題

第 1 章 序論

1.1 高校における教育改革の背景

1.2.5 生徒による授業評価の課題

生徒による授業評価を用いた授業改善には,大きく分けて3つの課題が存在している.

第一に,実施に際して注意が必要なことであり,第二に,生徒による授業評価そのもの に対して教師が抱く不安であり,第三に,結果を受けて改善に活かす際の課題である.

実施に際して注意が必要なことは,学習者たる生徒が授業を評価するにあたり,その 必要性,なぜ改善に繋がるのかといった意義や効果をあらかじめ理解していることが求 められることである.こうした理解が無い状態では,信頼性の高い授業評価とはならな いことが考えられる.

生徒による授業評価そのものに対しての教師の不安は数々存在している.このうち,

信頼性に対しての不安は,これまで授業を通して生徒を評価する立場のみであった教師 にとって経験したことのない「評価される立場」に対しての不安に起因することが考え られる.

実際に,飛内ら(2004)は生徒の視点を生かした授業評価を導入する際に,避けて通れ

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ない問題として,「生徒の評価能力への不安」,「評価の信頼性への疑義」といった教師 の不安を挙げている.実際,こうした不安には妥当性もあり,十分配慮すべきものであ ると述べている.また,岩佐(2004)は「生徒の意見を聞く」こと自体に抵抗を感じ,評 価の信頼性に疑問を呈する教師の存在を指摘している.更に,吉川(2001)は,「生徒は 自分の授業に取り組む姿勢を抜きにして教師を批判するのではないか.」,「厳しい教師 や自分に合わない教師には悪い評価を付けるのではないか.」といった不安を反映した 教師の声を紹介している.

評価の信頼性に対し,吉川(2001)が検証を行っている.生徒による授業評価の結果を 教師はどう受け止めているのかについて,1992年と1993年にアンケート調査を実施 している17.この結果,生徒からの評価に対して「生徒はよく見ている.」,「よく当た っていると思う.」,「やや見方が一面的にも見えるが妥当な評価である.」など肯定的な

回答は,1992年で88.1%,1993年で88.4%であった.この結果から「生徒たちが自分

勝手な評価をするのではないか.」という不安に対し,生徒の評価が「まともさ」を持 つものであるとしている.しかし,アンケート調査の回収率が60%に届いていないた め,調査実施校においても全ての教師の意見が反映されたものとはなっていない.

評価の信頼性に対しての不安は教師のみではなく生徒も抱いている.渡邊(2006)は,

「何をもって良い授業とすべきかの判断は難しく,評価の客観性に疑問がある.」との生 徒の意見を取り上げ,生徒の中でも評価の信頼性に対し揺らぎがあることを指摘してい る.また,森岡・池田(1998)は,生徒が評価を行なうことに生徒自身が違和感を抱くこ とがあるため,その違和感を取り除く必要性があると指摘している.

教師・生徒双方に評価の信頼性に対しては不安が存在するものの,笹田(2009)は,「(評 価する)能力が無いから評価させないのではなく,生徒・学生の能力を育成するために も評価を行う必要がある.」と述べている.

こうした不安に対し,解消に向かった事例が存在する.

生徒による授業評価には,自由記述欄が設けられる場合がある.この自由記述欄につ いて,記名での実施と,無記名での実施のどちらが良いのかについては,考えが分かれ ている.

記名での実施には,「コメント欄に書かれる教員への誹謗・中傷」を避け,正当な要望

17 対象は首都圏にある私立男子高校.2001年での非常勤講師を含む教員数は約80名.実 施当時の対象者数は不明.回収率は1992年が56.0%,1993年が58.2%であった.

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を書かせるといった狙いがある.野口(2004)は,無記名で行った自由記述欄での誹謗・

中傷が,全校集会での呼び掛けを経てから記名で行った所,ほとんどなくなったことを 報告している.

一方,無記名での実施には,生徒が素直に回答できる状況をつくるという狙いが存在 する.吉川(2001)は,実際に行われた授業評価の自由記述欄への記載から,無記名であ ることにより生徒が教師からの評価を離れて自分の考えを直截に述べている様子を見 出している.また,自由記述欄を設けることが,誹謗・中傷を助長するものでは無いと も指摘している.服部(2007)は,誹謗・中傷の記載が以外に少なく,授業に対する率直 な生徒の意見が,自由に述べられることのメリットの方がはるかに大きいと指摘してい る.

これらの事例を考えると,記名での実施,無記名での実施の何れにおいても,誹謗・

中傷とされるような意見が出ることは十分想定できる.しかし,授業評価の目的を理解 させる取り組み,授業の改善に向けた教師の取り組みから,徐々に収斂され,教師の不 安も解消に向かうと考えられる.

信頼性への不安とは別に,授業評価の結果への不安から,生徒への迎合に対する危惧 も存在している.例えば,大河内(2008)は,「生徒からの評価を得るために,生徒に厳 しく指導したり,生徒が嫌がる宿題などを課さなくなるのではないか.」といった生徒 への迎合化に対する危惧を指摘している.また,飛内ら(2004)は「生徒に気に入られる 授業をしようとすることの方が問題だ.」との教師の意見を紹介している.

更に,西東(2007)は,自身の経験から,分かり難いと言われる授業でも,大学入試セ ンター試験などで成果が出ていることから,「実力の付く授業」と「楽しい授業」には 違いが存在し,「授業評価は管理職や生徒の顔色を窺う教員を増加させるのではないか と思う.」と述べている.

生徒への迎合への危惧については,関連した調査・研究が行われておらず,実態は明 らかにされていない.可能性として,有り得ることであり,教師一人ひとりの姿勢が問 われる内容でもある.

以上の様な,評価の信頼性への不安や,生徒への迎合への危惧への対応は,徐々に変 化していくとされている.

小栗(2004)は,自身が所属する学校において,生徒による授業評価実施3年目で,教 師の反応が比較的落ち着き,特に反対する声が聞かれることが無くなったことを報告し

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ている.この原因として,「教員たちが生徒との対話のなかから専門職としてのプライ ドにかけて授業改善を進め,達成感を持ったことにあるのではないか.」との推察を行 っている.この推察は,実際に教師と面談をし,「生徒からのアンケートの指摘により 自己の授業を客観的に見られるようになった.」との言葉が聞かれたことを基になされ ている.確かに,肯定的な原因により,不安や危惧が少なくなることが考えられるが,

同時に制度化されたことへの諦めに近い適応が原因となり反対の声を上げ無くなった,

可能性も考えられる.

生徒による授業評価を受け入れる「教員文化」によっても,評価の信頼性への不安や,

生徒への迎合への危惧の有無は異なる.日本で最初に生徒による授業評価を組織的に取 り入れた中等教育機関とされる正則高等学校(東京都港区)では,教師側から生徒による 授業評価導入の必要性が提起され,導入された経緯がある.管理職から指示はされてお らず,生徒にのみ改善を求めるのではなく,双方向で良い授業を作り出そうとする教師 の強い意志によるものである.そういった背景もあり,生徒の教師に対する「批判力」

を育成することが,社会への「批判力」向上にもつながるという理解がなされている.

こうした事例は,生徒による授業評価を取り入れた授業改善が,「成熟」した結果であ るとも考えられる.しかし,多くの中等教育機関では,こうした域には達しておらず,

評価の信頼性への不安や,生徒への迎合への危惧が解消されていると断言できない状況 である.

結果を受けて改善に活かす際の課題としては,その結果をどの様に解釈し改善に取り 組むのかなどの問題が存在する.

昨今,週5日制の導入や総合的な学習の時間の確保による教科の授業時間数の減少,

生徒数の減少などから,同一校内の教科担任教師数が減少するなど,教師を取り巻く環 境の変化により,教師主導の研修・研究会の実施が困難になってきている.

また,高校教師は専門性が強いがゆえに「自己の城」に閉じこもってしまうことが起 きやすく,他の教師が授業に関与しにくい部分も多々ある(山崎ら2006)とされ,授業評 価の結果は,個人のものとして封印され易い可能性がある.

教師が主体となり組織的かつ他の教師との関わりを中心としてきた授業研究の実施 回数は,減ってきている.一方,生徒による授業評価は,他者との関わりが取り難い性 質を持っているため,どの様に理解しどの様に改善に取り組むべきなのかが個人に一任 されてしまうことになる.そのため,改善方法が見出せない,効果を伴った改善となら

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ないなどの問題が生じ,授業の改善に結び付き難い現状が存在している.

また,授業の改善に結び付かない場合,生徒からの信頼を失い,評価することに意義 を見出さなくなる可能性もある.この可能性については,柳澤(2006)も同様の指摘をし ている.こうした課題は,傾向として十分に考えられるものであるが,実際に認められ るものであるか否かについての調査・研究は行われていない.

結果を受けて,教師が改善に向けて取り組んでいるかに関してはいくつかの先行研究 が存在する.

例えば,笹田(2009)は,正則高等学校での事例として,1992年に同校で実施した教 師を対象としたアンケートにおいて,78%の教職員が「すでに改善,もしくは改善中」

と答えたことを挙げている.一方,このアンケートによると,22%は「改善に取り組ん でいない」,または,「改善する必要が無い」などと答えたことが考えられる.

また,髙谷(2010)は,仙台市内のある私立高校での事例として,2009年に同校で実 施した教師を対象としたアンケート調査を単純集計し,分析した結果から,次の3点を 明らかにしている.

(1) 改善に向けて取り組みは,評価が下がった場合の方が,上がった場合よりも強い.

(2) 評価が上がった場合,そのために改善に向けての取り組まない傾向がある.

(3) 評価の信頼性に疑問を抱いている場合,改善に向け取り組まない傾向がある.

森岡,池田(1998)は,数学の授業を対象として生徒による授業評価から得られた改善 点を,同一の教材で行われる他の授業に可能な限り早い時期に反映させ改善の効果を検 証する研究を行っている.

あるクラスαでの授業のアンケートを集計・分析し,その結果を基に改善を加え同じ 範囲の授業を他のクラスβに行なった結果,できるだけ早い時期に改善を生徒に還元す ることが有効であることを見出した.また,生徒が評価を行なうことに生徒自身が違和 感を抱くことがあるため,その違和感を取り除く必要性があると指摘している.

こうしたことから,授業評価の結果を効果的に授業の改善に活かし,その取り組みの 意義を生徒が感じなければ,生徒による授業評価への関心は減退し,形骸化に繋がって しまうことが考えられる.