第 5 章 ルートとウエイト 75
6.2 直交群
6.2.5 水素原子の隠れた対称性 : SO(4)
水素原子のハミルトニアン H= p2
2m − e2
4πϵ0r (6.170)
は実空間の回転に対して不変であるので、実空間回転の生成子である軌道 角運動量演算子Li (i= 1,2,3)はHと可換である。しかし、異なったLi は互いに交換しないので、ハミルトニアンHと固有状態は一般に縮退し ている(ハミルトニアンと交換する演算子が互いに交換しないとき、エネ ルギーは縮退する)。今の例では、L3の固有値mに対してエネルギーが 縮退している。ところが、水素原子の場合は、それに加えて、全軌道角運 動量l= 0,1,· · ·, lmax=n−1 (nは主量子数)に対してもエネルギーが縮
退していることが知られている。各lごとに縮重度はゼロ磁場では2l+ 1 なので、主量子数がnの状態の縮重度は
n∑−1 l=0
(2l+ 1) =n2 (6.171)
である。
この縮退はしばしば偶然縮退(accidental degeneracy)と呼ばれてきた が、それは以下で説明する縮退の起源ーSO(4)対称性ーが昔は認識され ていなかったためだと考えられる。磁場をかけると磁気量子数mに関す る縮退は解け、固有エネルギーはnとmに依存するようになる。しかし、
lに関する縮退は依然として解けない。実は、lに関する縮退は、次のラ プラスールンゲ−レンツベクトルR(Laplace-Runge-Lenz vector)という 保存量が存在することに起因している。
R= L×p−p×L
2m + e2
4πϵ0rr. (6.172)
この保存則は、以下で明らかにされるようにクーロンポテンシャルが1/r に比例するという力の法則に起源があるので、力学的対称性(dynamical symmetry)と呼ばれる。
ラプラス-ルンゲ−レンツベクトルを成分で書くと次のようになる。
Ri= 1
2mϵijk(Ljpk−pjLk) +kxi
r , k≡ e2
4πϵ0 (6.173) ラプラスールンゲ−レンツベクトルが保存することは、RiがHと交換す ることから示すことができる。これは次の交換関係を用いて示せる。
[Li, xj] =iℏϵijkxk (6.174) [Li, pj] =iℏϵijkpk (6.175) [
Li,1 r ]
= 0 (6.176)
[1 r, pi
]
=iℏxi
r3 (6.177)
これらを用いると [1
r, Ri ]
= 1
2mϵijk [1
r, Ljpk−pjLk ]
= 1
2mϵijk
( Lj
[1 r, pk
]
− [1
r, pj
] Lk
)
= iℏ 2mϵijk
( Ljxk
r3 −xj r3Lk
)
= iℏ 2mϵijk
(
ϵjlmxlpm
xk r3 −xj
r3ϵklmxlpm
)
= − iℏ 2m
[(
pi
1 r +1
rpi
)
− 1
r3(pkxkxi+xixkpk) ]
(6.178) [p2l, Ri]
=−iℏk [(
pi1 r +1
rpi )
− 1
r3(pkxkxi+xixkpk) ]
(6.179) が示せる。これらから
[H, Ri] = 0 (6.180)
であることが分かる。こうして、ラプラスールンゲーレンツベクトルR が保存されることが示された。
次に、Riによって生成される群の性質を調べよう。生成子の交換関係は [Ri, Rj] =−2iℏ
m ϵijkLkH (6.181)
[Li, Rj] =iℏϵijkRk (6.182) で与えられる。HはLiおよびRiと可換なので同時対角化可能である。
従って、以下の議論ではある特定のエネルギー固有値Eに対して考える。
さらに、E <0の場合、すなわち、束縛状態の場合を考える。このとき、
(6.181)より
Ai :=
√
−m
2ERi (6.183)
を定義すると、
[Li, Lj] =iℏϵijkLk, [Li, Aj] =iℏϵijkAk, [Ai, Aj] =iℏϵijkLk (6.184) が成立する。このように、角運動量演算子Liと(6.183)で規格化された ラプラスールンゲーレンツベクトルの演算子Aiが閉じたリー代数を構成 していることがわかる。
ここで、
Mi := Li+Ai
2 , Ni:= Li−Ai
2 (6.185)
を導入すると(6.184)は次のように書き換えられる。
[Mi, Mj] =iℏϵijkMk, [Ni, Nj] =iℏϵijkNk, [Mi, Nj] = 0 (6.186) こうして、{M1, M2, M3} と{N1, N2, N3}はそれぞれ閉じたリー代数を 構成することが分かる。それゆえ、水素原子の各エネルギー固有状態は SU(2)×SU(2)の変換に対して不変である。SU(2)×SU(2)はSO(4)に局所 同型であり、空間の回転群SO(3)はその部分群である。実際、SO(4)の6 個の生成子を次のように定義することができる。
Lij = 1
ℏϵijkLk (i, j, k = 1,2,3) (6.187) L4i = 1
ℏAi (i= 1,2,3) (6.188) さて、(6.186)より、M2, M3,N2, N3の固有値は直ちに分かる。
M2 = ℏ2a(a+ 1) (a= 0,1/2,1,3/2,· · ·)
M3 = ℏµ(µ=a, a−1,· · · ,−a) (6.189) N2 = ℏ2b(b+ 1) (b= 0,1/2,1,3/2,· · ·)
N3 = ℏν (ν =b, b−1,· · ·,−b) (6.190) ここで
R·L=L·R= 0 (6.191)
なので
M2 =N2 = 1
4(L2+A2) (6.192)
が示せる。これから、固有状態の量子数はa = bでなければならない。
また、
A2 =−m
2ER2 =−(L2+ℏ2)− m 2E
( e2 4πϵ0
)2
(6.193) なので
1
4(L2+A2) =−1 4
[
ℏ2+ m 2E
( e2 4πϵ0
)2]
=ℏ2a(a+ 1) (6.194)
が示せる。これからエネルギー固有値は E=− m
2ℏ2n2 ( e2
4πϵ0 )2
(6.195) と決まる。ここで、n:= 2a+ 1 = 1,2,· · · は主量子数である。このように、
水素原子の主量子数を決めるaは(6.185)からわかるようにSU(2)×SU(2) の既約表現の最高ウエイトであり、表現の次元は(2a+ 1)2 =n2である。
一方、軌道角運動量は
Li =Mi+Ni (6.196)
なので、Lは2つのSU(2)“角運動量” MとNの合成角運動量であること が分かる。従って、lのとりうる値は |a−b| ≤l ≤a+b であり、かつ、
a=bなので l= 0,1,· · ·,2a=n−1である。
ベクトル量N= (Nx, Ny, Nz) に対応する球テンソル演算子 N1±1 =∓Nx√±iNy
2 , N10 =Nz. (6.197) を導入しよう。N11はHと交換する([H, N11] = 0)ので、N11を状態|n, l, l⟩ に作用させると、同じエネルギーを持つ別の状態が生じる。球テンソル N11は角運動量と磁気量子数をそれぞれ1個ずつ増加させる役割を果たす ので、
N11|n, l, l⟩=c|n, l+ 1, l+ 1⟩ (6.198) が得られる。こうして、N11 を次々と作用させていくことで、同じnを持 つ異なった l の最高ウエイトを持った状態|n, l+k, l+k⟩ を得ることが でき、この状態に今度はL−を作用させることによって、与えられたlに 対して異なったウエイト mを持った状態が得られる。与えられたnに対 して、そのようにして得られる状態の総数は
n−1
∑
l=0
(2l+ 1) =n2 (6.199)
である。
一般に1/r型の相互作用をする粒子の束縛状態は、SO(4)対称性を持 つ。上で導かれた2つのベクトルMとNは4次元空間における4C2=6 個の回転の生成子になっている。力学的には、この問題は束縛運動をする ケプラー問題と等価である。エネルギーが正の状態は束縛されておらず、
SO(3,1)対称性を持っていることが示せる4。 これは、次に述べるローレ
ンツ群と同じ対称性を持っている。
4詳しくは次の文献を参照。M. Bander and C. Itzykson, Rev. Mod. Phys. 38, 330 (1966); Rev. Mod. Phys. 38, 346 (1966)