第 9 章 結論
9.1 本研究の課題に対する回答
ここで、3.6で述べた本研究の4つの課題を再び示しながら、それぞれに対して回答をま とめる。
1. 共時的な分析をする前に、各逆接表現がどのように文法要素の接続表現になったの かを整理する。文法化の理論を使ってそれぞれの変化を説明する。
第5章では、先行研究を踏まえ、日本語逆接表現「けど」、「でも」、「ただ」、中国語逆接 表現“但是”、“可是”、“不过”という 6 つの表現がどのような変化プロセスを辿ってきたの かを整理し、図式化した。その上で、各表現の変化について文法化の理論を使って説明を 加えた。現代語で逆接接続表現として使われている各表現は、接続助詞や副詞など異なる 品詞範疇から転じてきたことが分かった。古代日本語には接続詞という品詞範疇はなかっ た。「けど」と「でも」は接続助詞から転じてきたことが分かった。また、接続詞「ただ」
は副詞から変わってきた。それに対して、中国語の3つの逆接接続詞は副詞から転じてき た。それらの表現の歴史的変化では、「再分析」と「類推」という文法化のメカニズムが働 き、「重層化」、「分岐」などの文法化現象が観察された。
2. 日中逆接表現がどのようなプロセスで談話標識にまで文法化したのかについて共時 的な分析を通して探る。分析にあたって、Traugott(1982)の文法化プロセスをもと に進めていくが、当てはまらない部分があれば、修正をする。
第6章では、実際の日常会話をデータとして、Traugott(1982)が提案した文法化経路を
もとに、共時的な角度から日本語と中国語の逆接接続詞が接続詞から談話標識まで文法化 したプロセスについて論じた。Traugott(1982)のモデルを参考にした理由は、3.3で示し たように、このモデルが「文法要素として確立した後に発達する多機能性をよりよく捉え るもの」である(大堀 2005:14)という見解に賛同するからである。
分析にあたって、まずは Traugott(1982)が提唱した文法化モデルに照らし合わせなが ら、日本語と中国語の各逆接表現の各段階での具体的な機能についてまとめた。各逆接接 続表現が使われている会話例を分析したところ、Traugott(1982)が提案したモデルに当て はまらない会話例が観察された。そこで、Traugott(2010)の主張を参考した上で、図 9-2 が示す新たなプロセスモデルを提案した。このモデルとTraugott(1982)のモデルとの違い については以下のように説明する。
Propositional
Component → Textual
Component → Expressive
Component
図 9-1図 3-1(Traugott 1982)のモデルの簡略版
Propositional Component Interactive Textual Component
Content Textual Component Procedural Textual Component 図 9-2 本研究で提案する逆接表現の文法化モデル
3.5.2 でも述べたように、Traugott(1982)は英語の逆接接続詞“but”は「…の外側」という
“Propositional Component”から“Textual Component”まで変わった例であると指摘した。よっ て、本研究では日中逆接接続表現の文法化は“Textual Component”(本研究のモデルでは
“Content Textual Component”)から始まると判断した。また、Traugott(1982)のモデルでは
談話の結束性を作り出す“Textual Component”を1つの段階にまとめたが、日中逆接表現は 異なる段階で異なる逆接の結束性を作り出している。“Content Textual Component”の段階で は、逆接表現は発話者自身の前後の発話内容の逆接関係を示す。“Interactive Textual Component”の段階では、逆接表現は発話者の意見と話し相手の意見との対立関係を示す。
さらに“Procedural Textual Component”の段階では、逆接接続表現は発話者の発話内容または 行為が相手の期待との対立関係を示す。そのため、本研究では、逆接接続表現の文法化プ ロセスとしてContent Textual Component > Interactive Textual Component > Procedural Textual
Componentを提案した。この段階では、逆接という原義が漂白化し、逆接接続表現が間主 観化していく。
3. 日中両言語共にいくつかの逆接接続表現があるが、各表現の間に違いがあるかどう かを観察する。また、日本語と中国語という2つの異なる言語で、逆接表現の文法 化にどのような共通点と相違点があるかを解明する。
各表現が現れた回数および各段階に該当する会話例の割合を数値で示した。日本語の「け ど」と「でも」はかなり高い出現数で使われており、談話標識まで文法化していると言え る。しかし、両者は機能の面で違いがみられる。「けど」の「提題用法」、「前置き用法」は
「でも」にはみられず、「でも」の感動詞的用法は「けど」にはみられない。また、「けど」
と「でも」の高頻度と対照的に、「ただ」は6回しか観察されず、談話標識的な使い方もみ られなかった。このことについて、「ただ」は改まり度の高い場面では現れやすいが、大学 生の雑談では現れにくいというデータの限界が指摘できる。
中国語の 3 つの逆接接続表現については、“但是”と“不过”は談話標識まで文法化したと 確認できたが、“可是”の出現数は非常に少なく、談話標識的な使われ方も見当たらなかっ
た。“可是”の出現数が“但是”より上回るという先行研究の調査結果もみられるため、“但是”
は書き言葉でより使われ、“可是”は話し言葉でより使われるという文体上の区別は認めら れない。
また、日本語の「けど」と「でも」と中国語の逆接接続表現を比較したところ、「けど」
と「でも」は機能的に多様化している。「けど」の「提題用法」、「終助詞的用法」など、ま た「でも」の感動詞的用法は、いずれも中国語の“但是”、“可是”、“不过”にはみられない用 法である。このことは、日本語の「けど」と「でも」が中国語の“但是”、“可是”、“不过”よ り文法化が進んでいるという証拠の1つになる。この機能の多様化の違いを生み出す要因 の1つは日中逆接表現の統語的自由度の違いであると思われる。日本語は膠着語であるた め、語順の制約がゆるい。「けど」は接続詞として文頭に使われ、接続助詞としては文末に 使われる。「でも」は文頭に置かれることが多いが、文中と文末で用いられる会話例も観察 された。一方、中国語は孤立語であるため、語順の制約が強い。“但是”、“可是”、“不过”は 文頭にしか使われない。
4. 日中両言語の日常会話には逆接関係を示すために逆接接続表現ではない表現が使わ れていることが頻繁にみられる。そのような表現には日中逆接接続表現と同じよう な文法化現象が起こっているか、また日中逆接接続表現とどのようなところで共通 しているかを明らかにする。
第7章では、「というか」と“其实”の文法化現象に注目しながら分析を行なった。この2 つの表現は、日本語と中国語で、逆接表現としては捉えられていないが、会話においては 逆接関係を表すために使われることもある。さらに話題を展開させる談話標識にまで発達 しているということは逆接接続表現と一致していることも示された。
日本語の「というか」は自分または他人の発話を修正する際に使われる表現である。発 話者は先行発話の中に正しくないところがあると考え、修正を行う。ここから、先行発話 と修正された後の発話の間にある種の対立関係が成立する。一方、“其实”のプロトタイプ 的意味は「事実」である。発話者は自分が「事実」として捉えていることを“其实”によっ て導き出す。しかし、発話者が捉えていることは先行する内容と対立する場合が多い。こ れが、“其实”の逆接的機能を生み出す契機だと考えられる。つまり、「というか」と“其实”
は同じプロセスで文法化しているにも関わらず、逆接的機能に至ったメカニズムは異なる。