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文法化の度合いを測る基準

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 160-164)

第 8 章 考察

8.1 文法化の度合いを測る基準

文法化の度合いに言及した研究としてHopper and Traugott(1993)、Bybee(2003)、Horie

(1998)とHimmelmann(2004)が挙げられる。Hopper and Traugott(1993)とHorie(1998)

は、文法化が進む項目ほど文法的機能は多様化すると主張する。Himmelmann(2004)は「受 容クラスの拡大」、「統語的拡大」、「意味的・語用論的拡大」という文法化過程に伴う3つ の特徴を挙げた。また、Hopper and Traugott(1993)とBybee(2003)は出現頻度と文法化 との関係について議論した。以下では、上記の先行研究に基づき、「機能の多寡」、「統語的 自由度」および「使用の頻度」という3つの基準にそって、日本語と中国語の逆接接続表 現の文法化の度合いについて考察する。

8.1.1 機能の多様化と文法化の度合い

Hopper and Traugott(1993)は、文法化が進むにつれ意味が広がることによって多義性が 生じると言う。言い換えれば、意味領域の狭化は文法化の過程では基本的には起こらない と言える。また、機能の多様化と文法化の度合いとの関係について、Horie(1998)による と、文法化の度合いが高いほど文法的機能が多い。つまり、多義性または文法的多機能化 は、文法化度合いを測る1つの指標である。Himmelmann(2004)が提案した3つのタイプ の文法化の特徴において、cの「意味的・語用論的拡大」はHorie(1998)と同じ立場をと っている。

a. 受容クラス拡大

文法化が進んで、その文法項目と共起する品詞の語種類が増える現象を指す。

b. 統語的拡大

文法化が進むと、その文法項目が以前には現れえなかった統語的位置でも使用可能 となる現象を指す。

c. 意味的・語用論的拡大

文法化を受ける要素の機能が広がり、使用されうる意味的・語用論的状況が拡大す る現象を指す。ランダムな方向へ機能変化するわけではなく、文法的機能を獲得す る方向へと拡大する点に注意されたい。

Himmelmann(2004: 31-32)米倉 訳(2017: 14)再掲(P58)

つまり、ある表現の文法化が進むに伴い、その表現はより多くの、多様な文法的機能を獲 得していく。文法的機能が多様であるほど、文法化の度合いが高いと言える。

第6章の質的分析から分かるように、日本語の場合、接続助詞「けど」が持つ「前置き 用法」、「提題用法」、「挿入用法」、「終助詞的用法」は、「でも」と「ただ」にはみられない 用法である。また、1例ではあるが、「でも」には、「しかし」のような感動詞的な使い方が 観察された。上記の用法は、いずれも中国語の逆接接続詞には身られないものである。こ のことから、日本語の接続助詞「けど」と接続詞「でも」は、中国語の“但是”、“可是”、“不 过”より文法化の度合いが高いことが示唆される。

文法化の度合いと関わる他の要因は、統語的位置である。次節ではこの要因について検 討する。

8.1.2 統語的位置の自由度と文法化の度合い

曽 ほか(2016)は、“但是”の文法化を促す要因として、「高頻度の使用」のほか、「冒頭」

という特殊な文法的位置を挙げている。英語の研究では、“peripheries”という用語が用いら れている。「周辺部」は「左周辺部(left periphery)」と「右周辺部(right periphery)」に分け られ、「左周辺部」は節または発話の冒頭を指し、「右周辺部」は節または発話の末尾を指 す。「周辺部」は「「文法化」がしばしば起きる場所であり、話者が「語用論的調節をする」

場所」(小野寺 2017: iii)で、「「やりとり構造」と「行為構造」が働く場所」(澤田 ほか 2017:

19)でもある。日中逆接接続表現、および第7章で記述した「というか」と“其实”は、い

ずれも発話の左または右の周辺部という文法化しやすい位置に現れる。具体的に言えば、

日本語の「けど」は、左周辺部より、接続助詞として右周辺部に位置するほうが多くみら れる。また、「でも」も接続詞としては基本的に左周辺部に位置するが、日常会話では右周 辺部に現れる例もいくつか観察された。また、中国語の3つの逆接表現も、必ず節または 発話の左周辺部に現れる。このことは、これらの表現が文法化した1つの要因だと思われ る。

異なるのは、日本語と中国語の逆接接続表現を比べると、日本語の「けど」と「でも」

は中国語の3つの逆接接続表現より統語的位置の自由度が高くなっている点である。文法 化と統語的位置の関係について、Himmelmann(2004: 31)は「文法化が進むと、その文法 項目が以前には現れえなかった統語的位置でも使用可能となる」と述べる。換言すれば、

文法化の度合いが高いほど、文法項目の統語的位置が自由になる。第5章で説明したよう に、接続詞「けど」は17世紀ごろに接続助詞「けど」から転じてきた表現形式である。現 代日本語では、「けど」は発話の冒頭と末尾に現れうる。また、「でも」は接続詞であり、

発話の冒頭に使われるのがほとんどであるが、最近の会話では文中と末尾に使われるよう になっている。一方、中国語の“但是”、“可是”、“不过”はいずれも冒頭にしか現れず、統語 的には固定されている。Himmelmann(2004)の見解に従うと、「けど」と「でも」は“但是”、

“可是”、“不过”より文法化の度合いが高いことになる。しかし、このように判断するのは 妥当ではないだろう。日本語は膠着言語であり、中国語は孤立言語である。日中逆接接続 表現の統語的自由度の差異は、文法化による結果というより、両言語は文法構造の異なる 言語であるということによると考えられる。3.5.2で述べたMatsumoto(1988)の指摘にも あるように、日本語で左周辺部に位置する接続助詞が右周辺部に位置する接続詞に変わる ことが可能になったのは、日本語が膠着言語かつSOV言語であるからである。一方、中国 語は孤立言語であり、統語的制約が働いているため接続詞は文頭にしか現れえない。

8.1.3 出現頻度と文法化の度合い

高頻度は、融合のプロセスを促進すると言われる(石 2011)。例えば、第5章で論じた 中国語の“但是”、“可是”と“不过”は、いずれも最初は 2 つの文字が共起する関係であった が、後に、2つの文字が頻繁に共起することで1つの単語に融合した。Bybee(2003)は、

頻度(frequency)と文法化の関連性について次のように述べている。文法化が進んだ文法 的要素は、普通の要素より出現頻度が高い。また、高頻度は単なる文法化の結果だけでは なく、文法化を引き起こす重要な要因でもある。つまり、出現頻度は文法化現象と相互に 密接に関連している。文法化が生じる重要な条件の1つは、表現が頻繁に使われることだ からである。

第6章で示した量的結果から分かるように、「けど」、「でも」、“但是”の出現回数はそれ ぞれ593回、371回、495回であり、大学生の日常会話で、「けど」、「でも」、“但是”はいず れも高頻度で使われている。一方、「ただ」と“可是”はわずか6回と10回しか現れなかっ た。しかし、「ただ」と“可是”について「話題方向付け標識」まで文法化したと指摘する先 行研究もあるため、この2つの表現がどの段階まで文法化したについてはデータの種類と 量をさらに増やして分析する必要があると思われる。

8.1.4 まとめ

ここまで、「機能の多寡」、「統語的自由度」、「使用の頻度」という3つの観点から、日本 語と中国語の逆接接続表現の文法化現象について考察を加えた。その結果、異なる表現間 の相違点および両言語間の共通点と相違点が明らかになった。日常会話では、「けど」と「で も」は、「ただ」と比べて、より頻繁に使われており、機能的にも多様化している。さらに、

「けど」と「でも」の統語的位置の自由度も「ただ」より高い。よって、「けど」と「でも」

は「ただ」より文法化の度合いが高いと言える。中国語の“但是”、“可是”、“不过”を比較し たところ、“但是”と“不过”は談話標識まで文法化していることが明らかになったが、

“可是”についてはさらなる分析と考察が必要となる。

なお、日本語の「けど」と「でも」、および中国語の“但是”と“不过”は、同じプロセスで 談話標識的な機能まで文法化したが、相違点もみられる。日本語の「けど」と「でも」は、

中国語の“但是”と“不过”より機能的に多様化している。このことから、日本語の「けど」

と「でも」は、中国語の“但是”と“不过”より文法化の度合いが高いことが示唆される。機 能多様化の差異は、日中逆接接続表現の統語的自由度の差異によると考えられる。

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