第 5 章 通時的な観点から見た日中逆接表現の文法化現象
5.1 日本語逆接表現の史的変化
5.1.2 接続詞「でも」の通時的変化
接続詞「でも」について、まず、辞書の記述を確認しておく。『広辞苑』(2018)は、「そ れまでの叙述を一応肯定しながら、改めて相反することを述べるのに用いる。それにして も。それでも。しかし。」と記している。『日本国語大辞典』(2006)は、「「それでも」の略。
前のことがらに対し、後の事柄が反対・対立の関係にあることを示す。また、相手の言葉 を受けて、不満を示したり反論したりする時に用いる。だけど。」と記し、「でも」は「そ れでも」の省略形と説明されている。遠藤・小野・長田・松井・村上・山口(1970: 76-77)
も、「でも」について、接続詞になった「それでも」の「それ」が略された形であるとして いる。同じ立場をとる研究として、Matsumoto(1988)、Nishida(2007)、石黒(2008)など が挙げられる。
次に、「でも」の通時的変化に関する研究を概観する。鈴木・林(1973)は近世の洒落本、
人情本と歌舞伎の脚本を分析し、接続詞「それでも」が最初にみられるのは『近松浄瑠璃』
であることを明らかにしている。これは、近松の歌舞伎狂言『傾城壬生大念仏』に「それ でも」の用例がみられたという湯沢(1936)の指摘と一致する。また、鈴木・林(1973)
によれば、洒落本には25例、人情本には59例が観察されたことから、近世中期ごろから 主に会話文中で使われはじめ、「それでも」の使用数が増えたことも示された。一方、例 5-8 に示されるような、接続詞として使われる「でも」は近松には1例、洒落本には2例、人 情本にも1例しか観察されなかった。ところが、当時の話し言葉を反映する狂言において は、17例の「でも」が使われていたという。さらに、『破戒』、『友情』、『暗夜行路』などと いった明治期の小説を調査したところ、逆接接続詞として主に「しかし」が使われており、
「でも」の使用率は上がらなかった。上記の分析からは、接続詞「でも」の成立は「けれ ども」と比べて、かなり遅かったことが示唆される。
例 5-8
(シテ)「夫は台所に何本もある傘じゃ。それを求て来るといふ事が有物か」
(太郎冠者)「でも都の者が、末広がりじゃと申たに依て求て参た」 (「末広がり」岩 波文庫・上)
(鈴木・林 1973: 110)
先行研究によるこれらの分析結果を踏まえ、ここでは接続詞「でも」の成り立ちを図示 しながら検討する。「それでも」は、代名詞「それ」、断定を表す助動詞「だ」の連用形と みなされる「で」、係助詞「も」という3つの要素から構成されると考えられる。しかし、
この3つが同時に結合したのではなく、まず「で」に「も」がつくようになり、「であって も」という意味の接続助詞として使われるようになる。後に、「それ」との結合により接続 詞として使われるようになった。その後、「それ」が脱落し「でも」自体が独立した接続詞 になり、現在に至っても「それでも」と共存することになっている。接続詞「でも」の変 遷の流れは以下の図 5-4のようになる。
段階 語 説明
1
で 助動詞「だ」の連用形58 +
も 逆接の接続助詞
↓
でも 接続助詞
2
+
それ 代名詞
↓
それでも 接続詞
3 ↓ 「それ」が脱落する
でも 接続詞(現代日本語) 「それでも」と共存 図 5-4「でも」の通時的変遷
58 断定の助動詞「だ」は、中世に現れた助動詞的な連語「である」から変化してきたものである。(山口 2003: 273)
文法化の主要なメカニズムである「再分析」の一種として「融合」がある。それは、「語 や形態素の境界を越えて、二つあるいはそれ以上の形式が一つになる現象」である(ホッ パー・トラウゴット 2003: 53)。「でも」の意味変化の過程において、段階1と段階2では、
いずれも融合と見なせる再分析が起こっていると考えられる。連用形「で」と係助詞「も」
との間の境界線がなくなるとともに、「でも」という接続助詞が成立した。その次の段階で は、指示詞の「それ」と接続助詞「でも」の融合が起こった。「けれども」と同様、文法化 の一方向性に反し、接続助詞「でも」から接続詞に変わる過程において、独立性が高まり 文頭に置かれるようになった。
Onodera(2004)は、「だけど」と「でも」が接続助詞から接続詞に変わる歴史変遷の動
機付けに言及している。それによれば、両形式ともコピュラ「だ」をその要素としている ことが動機付けになっているという。日本語では、「だって」、「だから」などにも同様の現 象がみられる。一方、中国語のコピュラ“是”に関する文法化の研究も近年数多くなされて いる。
「けれども」類に置き換えられた「ど(も)」に対して、「でも」は、現代日本語では「そ れでも」とともに使われている。このような新旧両形式の共存の現象は「重層化」(Layering)
と言われる。すなわち、文法化の過程においては、新しい層が現れても古い層は必ずしも 消失せず、新しい層と共存したり相互に作用したりする(Hopper 1991: 22)。ホッパー・ト ラウゴットは「どの言語においても、一つの領域にいつもかなりの数の共時的多様性があ る。完全な形式と省略された形式が、似たような形式と最小限の異なる機能を持って共存 するのが、その最も明らかなものである」(ホッパー・トラウゴット 2003: 149)と述べる。
しかし、「共存のどの段階においても、二つ(あるいはそれ以上)の型が語用論的違いを持 つことがある」(ホッパー・トラウゴット 2003: 150)とも付け加えている。「でも」と「そ れでも」は、省略された形式と完全な形式という関係でみてよいと思われるが、両者は全 く同じものと言えるのだろうか。この点に関して、赤羽根(1992)は例 5-9を挙げている。
例 5-9
全力を尽くしなさい。{でも/*それでも}無理をするな。
(赤羽根 1992: 68)
「でも」で前後を繋ぐことは問題ないが、「それでも」の使用は不適格と判断される。
その違いは、「それでも」に、前文を受ける「それ」があることに起因する。つまり、
「でも」は前後が矛盾する関係であれば使えるが、「それでも」は前文の事態を踏まえ た上で後文が続く場合に限られるのである。