4.1 推論「そうだ」「ようだ」「らしい」の証拠とモダリティ
4.1.2 推論「ようだ」の証拠とモダリティ
「ようだ」は感覚や観察による証拠を話し手の思考を通して言語化する推論・推量表現で、
伝聞にも用いられるが、他にも「様態・比況・例示・婉曲」を表す際にも用いられる。しかし、
43 Deci & Ryan(1985:130)は内面化とは外発的動機づけから内発的動機づけに動機づけが変化する過程としている。
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本稿の目的は広義の意味で推論表現と伝聞表現を結びつけ、伝聞表現の全体像を描くことで あるため、 「様態・比況・例示・婉曲」といった他の用法には触れず、推論「ようだ」のモダ リティ、表現意図を情報の入手経路、証拠と話し手の心的態度を表す戦略、聞き手に及ぼす 影響からみた特徴の中から確認する。
4.1.2.1推論「ようだ」の先行研究
柴田(1982:88-89)は「ようだ」、「らしい」について、証拠の直接・間接性と心的距離とい う観点から分析している。「ヨウダ」は話者との距離が近い事態について、それが実現・実在 する確実度を直接的な根拠にもとづいて判断・推定するときに用い、「ラシイ」は話者との心 理的距離が遠い事態について、それが実現・実在する間接的な根拠にもとづいて判断すると きに用いると述べている。金昌奎(2013:30)は推量表現の「ようだ」について、体験・経験な どによる感覚的判断、主・客観的判断、中ぐらいの確信的判断による推量を表すときに用い られるものとし、益岡(1991:120)は判断の根拠が直接的か間接的かを根拠に、判断の根拠が 直接的な場合は「ようだ」が、「間接的」な場合は「らしい」が用いられると論じている。早津 (1988:52)は事態を自己の領域の外側のものとしてとらえようとする場合には「らしい」が用 いられ、自己の領域の内側のものとしてとらえようとする場合には「ようだ」が用いられると し、これらを「“ひきはなし”の態度」、「“ひきよせ”の態度」と称している。
しかし三宅(2006:123)では「ようだ」、「らしい」は、証拠の存在を認識しているのであっ て、証拠から、あるいは証拠に基づいて命題を推し量ったり推論していることを表すもので はないとし、その認識にいたるまでには、広い意味での「状況」の中に証拠を見出し、その証 拠と命題とを結びつける過程が存在すると述べた。また吉田(1971:330,2010:278)は客観的 な情勢からそのように思われるという推定の意を表すとしている。
4.1.2.2推論「ようだ」の証拠の入手経路
推論「ようだ」の話し手の情報共有の確保手段は話し手による情報伝達であるが、その情 報は基本的に話し手により生成された情報である。ここでは推論「ようだ」は何を証拠として いるのか、どのような経路で証拠を入手して情報を生成しているのかを確認する。
(3)a.(友達に会いに来たというおしゃべりな相手の話を聞き終わった警官が、)
「しかし、再会までの期間が、かなりながいようだ。きみが西部へ出かけてから、その 友達から便りはあったのかね?」(オ・ヘンリ傑作選)
b.ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみたことがある。ところが清にも別
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段の考えもなかったようだ。 (坊ちゃん)
c.(部屋の外の音に気づいて)
あんまりいいところではなさそうよ。うわさをすればかげと言いますが、二人帰って来 たようよ。(愛と死)
d.(意識を失って病院のベットに横になっている息子の笑っているような顔を手で指し、) 大丈夫さ、顔を見ろよ。笑っている。上機嫌だったようだ。 (青春漫画)
e.いまから夫婦げんかの予習は早いようですね。(愛と死) f.キツネは、かなり好奇心をそそられたようだ。(小さな王子)
推論「そうだ」が「視覚・聴覚・内的感覚・内的考察・人の話」を証拠としていることに比 べ、「ようだ」は「そうだ」のそれに、「味覚・触覚・嗅覚・書籍などの資料」が加わることから、
以下の<図6>のように体験・経験で得られるほぼ全ての証拠が「ようだ」の証拠の対象になる。
<図 6. 推論「ようだ」の証拠の入手経路>
直接経験を表す「味覚」においても思考が見られるが、たとえば「ケーキを食べた」と仮定 してみると、そのケーキが美味しかったならばすぐに「おいしい」と反応し、逆に美味しくな かったならば「おいしくない」と反応する。しかし、口のなかに入れたケーキの味が「おいし い・おいしくない」とすぐ反応できない、ケーキの味についておいしいというべきかおいし くないというべきか迷った場合は、「おいしいようだ・おいしくないようだ」が認められる44
44 もちろん「ようだ」の判断の証拠が間接的で、「おいしいようだ」が伝聞になる可能性もあるが、それは4.2.2伝聞用法「よ うだ」で扱うことにする。
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ことから、「内的思考」が「ようだ」の特徴であり、「ようだ」は直接入手した証拠が、話し手の 認識世界で内面化された高次の思考のもとで言語化されると言える。
4.1.2.3推論「ようだ」の話し手の認識態度を表す戦略
用例(3)の(3.a,b)は、相手の話を聞いてその話を証拠に「a.再会までの期間が、かなりな がいようだ」、「b.清にも別段の考えもなかったようだ」と判断する主観的判断で、(3.c)は外 からの足音又は人声に気づき「c.二人帰って来たようよ」と判断している主観的判断である。
(3.d)は意識を失い、病院のベットに横になっていながらも笑っているような息子の顔や、
事故が起こる直前の嬉しそうな電話の声を証拠に推し量って「d.上機嫌だったようだ」と判断 したもので、(3.e)も話し手の完全な主観的判断で「夫婦げんかの予習は早い」と自分の内的 思考を言語化している。(3.f)は普段と違うキツネの言動の観察から、「f.かなり好奇心をそ そられたようだ」と推論判断しているため、これらは体験・経験的証拠による判断と言える。
以上から「ようだ」は直接、見たり聞いたり話されたりしたことを証拠に考察した主観的 判断であり、話し手の用いるコトガラが、話し手の認識の産物である証拠として「ようだ」を 用いていると言える。即ち、話し手は証拠を「そうだ」のように直観的に受け入れ言語化する のではなく、証拠が話し手の認識の中で内面化された話し手の思考、話し手の主観によるも のとして話し手の責任のもとで提示しているのである。
用例(3)の「ようだ」を以下のように「らしい」に置き換えると、「ようだ」が「らしい」より内 面化された高次の思考による判断であることがさらにはっきり分かる。
(4)(友達に会いに来たというおしゃべりな相手の話を聞き終わった警官が、)
a.?「しかし、再会までの期間が、かなりながいらしい。きみが西部へ出かけてから、そ の友達から便りはあったのかね?」
b.?ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみたことがある。ところが清にも 別段の考えもなかったらしい。
c.(部屋の外の音に気づいて)
?あんまりいいところではなさそうよ。うわさをすればかげと言いますが、二人帰って 来たらしい。
d.(意識を失って病院のベットに横になっている息子の笑っているような顔を手で指し、)
?大丈夫さ、顔を見ろよ。笑っている。上機嫌だったらしい。
e.?いまから夫婦げんかの予習は早いらしいですね。
f.?キツネは、かなり好奇心をそそられたらしい。
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以上のように「ようだ」を「らしい」に置き換えると、目の前の人の話を聞いたりしたこと に対する推論の結果ではなくなる場合がある。(4.a~c)は直接聞いたことによる推論である が、これらを「らしい」に置き換えると距離感が感じられ、(4.d)は直接見たことによる主観 的推論判断だったものが他から聞かされた伝聞表現になり、(4.e)も同じく話し手の主観的 推論判断から伝聞になるため、直接的経験・体験による主観性の程度は「ようだ」が高く、よ り話し手の認識世界において内面化された表現であると言える。また(4.b)の相手から聞い た話による思考的判断や、(4.f)のキツネの行動の観察からの主観的推論判断は、「らしい」
に置き換えることはできるものの話し手の主観性が弱まってしまう。また「らしい」が (4.c,f)のような話し手の経験・体験による主観的判断に用いられないことはないが、「よう だ」がより居座りのいい、話し手の認識世界で内面化されたコトガラを言語化している主観 的推論判断であると思われる45。さらに聞き手の受け入れ態勢から考えると、聞き手は (4.b,d,e)を「伝聞」として受け取る可能性が高いことからも、「ようだ」より「らしい」が証拠 への依存度が高い客観的判断であることが分かる。
このことから、「ようだ」が「らしい」より①証拠が話し手の認識世界で内面化され、②証 拠を話し手の責任のもとで言語化している主観的推論判断になる。
4.1.2.4推論「ようだ」の情報が聞き手に及ぼす影響
推論「ようだ」の情報と話し手の関係は、外的証拠による判断であってもそれが話し手の 認識世界で内面化され、話し手の自己責任のもとで言語化されているため、話し手と証拠と の間の距離は密接で信頼度も高い。同じく、外的証拠が話し手の認識世界で内面化される過 程で、話し手と証拠の関係のみならず聞き手と証拠との関係も考慮される(詳細は 4.2.2.4 参照)。しかし、聞き手の立場から考えると、聞き手は「ようだ」により言語化された情報を 話し手の主観性の高い判断として受け入れるため、聞き手は情報判断に介入できるが、その 程度は低い。
以上の考察から推論「ようだ」と「らしい」には情報の内面化の程度、情報の入手経路は何
45 以下はコーパスから収集した用例であるが、以下のようにaの「らしい」は打消しができるが、bの「ようだ」は打消しがで きない。これは「ようだ」を用いる際の話し手は主観的判断としてコトガラを自分の領域に入れているため、自分の主観 的判断を打ち消すことができないからだと思われる。このことからも「ようだ」が「らしい」より主観的推論表現であるこ とが確認できる。
a.多分、ここでも彼等は部族語であるグルン語を交じえているらしいが、本当のところは分からない。
b.*多分、ここでも彼等は部族語であるグルン語を交じえているようだが、本当のところは分からない。
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か、それは話し手にとって主観的か客観的かという違いがあると言える。「ようだ」を用いる 際の話し手は現実世界の証拠を身近なものとして受け入れ、話し手の認識世界で内面化し、
話し手の責任のもとで言語化しているということが、他と違う「ようだ」の特徴と言える。
4.1.3推論「らしい」の証拠とモダリティ
諸学者において近来「らしい」が多用されていることが指摘されている。恐らく推論・推 量表現であった「らしい」が伝聞に多用されるようになったこともその一つの原因であると思 われる。このことから、推論「らしい」の特徴である証拠を不確かなものとして提示する話し 手の表現意図が、近来の社会変化により責任やトラブルを避けたい現代人の心理とマッチン グしていると考えられる。
4.1.3.1推論「らしい」の先行研究
寺村(1991:249)はラシイには、話し手が自ら見聞きしたことをよりどころに、それを何 ごとかの徴候だろうとみなして推定する場合(~シソウダに近接)と、他からの情報をよりど ころに推定する場合(伝聞のソウダに近接)とがあるとし、そのような二面性、あいまい性が ラシイの本性というほうが当たっているのかもしれないと述べている。さらにはヨウダとラ シイは話し手が自分の観察をもとに(いわば自分の責任で)推測しているのか、何らかの他か らの情報をもとにいっているのかが聞き手にはよく分らないあいまいな表現である点が共通 していると述べた。
澤西(2002:36-41)は伝聞の「そうだ」は話し手が確定的と判断したコトガラに直截に積極 的に伝達できる表現であり、「だろう」と同じように上記の意味でいたって主観的な伝聞表現 であるとした。「らしい」は基本的には「そうだ」よりも多用されているとの印象さえあるが、
本来の推量の機能が、コトガラ(命題)に対する話し手の距離感を示すことになっていると思 われると述べた。中畠(1992:15)は以下のような図で伝聞と推量表現の共通性を示している。
伝聞
様態
推量
ソウダ ヨウダ
ラシイ